老年医学会シンポジウムー食べられなくなったらどうしますか?ー認知症のターミナルケアを考えるー

一年ぶりで、セミナーに参加した。
老年医学会主催であること、医療関係者、介護関係者からの調査報告、そして、メインの死生学。
興味がありすぎて、うきうきして出かけた。

で、今日いろんなところで、このシンポジウムのニュースやブログ記事を見て唖然とした。
なんて恐いんだろう。
マスコミ関係者もかなり出席していたけれど、捉え方がどうなんだろう。
ただ、まちがいではないけれど、すごく恐くなった。

ガイドラインというものは、それは決定ではなくて、「参考にする」ということで
あって、かならずそうしなければいけない、ということではないのに、
ガイドラインができれば、楽になるっていう考えは違う。
ガイドラインは、あくまでもツールなのだ。

そして、恐いのが記事になると、経管栄養=延命治療と誤解されてしまう
ような感じがする。
シンポジウムのなかでも発表者が、何度も「胃ろう」が悪いもの、という考えに
流れないように、そこを間違えないように、と言っているのに、
おそらくマスコミ関係者の一部は、ターミナルケア=延命治療=自然死がベターと
捉えているのだと感じた。



ニュースでは医師への調査のみを取り上げてたところが多かったが、
シンポジウムでは
① 患者家族対象面接調査
②看護師対象量的調査
③医師対象量的調査
がなされていた。

そして、言いたいけど、老年医学会4506名への調査なのに、回収率は35.3%
回答数は1555。
平均年齢53.8±12.3

こういう数字は、実際良い方だというけれど、私は情けないと思った。
これから大いに頼りたい老年医療に関わる医師たちが、お忙しいとは思うけど、
もっと真剣に考えろ、って言いたい。

医師への調査から見えてくることは、医師は医学的に真摯に考慮して、
家族に伝え、患者に医療を施している事(意思決定のできない認知症患者)

ANH(artificial nutrition and hydration-人工的な栄養・水分補給法で
静脈栄養法と経腸栄養法のすべてを含む)導入の方針決定に困難さを
感じていること。

その内容は第一番目
本人の意思不明    73%
経口摂取継続に伴う危険(肺炎・窒息) 61%
家族の意志が不統一   56%
ANHに移行する判断基準  45%
ANHを行うことに関する倫理的問題 33%
AHN差し控えの法的問題(刑事) 23%
民事訴訟の懸念 14%

第二番目
・AHNを差し控えた場合のマスコミ問題
・AHNに関する医療側の見解の不統一
・AHN差し控えに関する家族やスタッフの心理的葛藤
・AHNについて家族に説明するが理解してくれない
・終末期の医療・ケアに関して家族の意志が不明
・責任の所在が不明
・家族が判断できず、主治医に決定を任せる

と医師は考えてるようだ。

でもAHN導入を検討する要因のところではきちんと
発熱を繰り返す、咽せが多い、栄養摂取量の低下、開口しない、口から食べ物を出す、
体重が減って来た、褥瘡がある、
という家族でも理解できる判断となっている。

医師たちの「ガイドライン」の考え方はやはりいろいろだ。
『画一的になってはならない。患者個々に医学的・社会的背景が異なる。「死の迎え方」の多様性を一般社会に浸透させることが必要。』
というのが同感。

家族調査から見えてくることは、どの家族もとにかく苦しんだこと。
そして、やはり「医師からの説明がなされていない」ということ。
医師側は「説明したのに分かってくれない」とでているから、
あきらかに、コミュニケーションの不足、医療用語での説明は
一般人に理解しにくい、時間不足、エトセトラ、なのだ。

看護師への調査では看護からの立場で、
やはり、家族、医療者の話し合い、コミュニケーションが重要と感じているが、時間が
十分に取られていないということも指摘されている。

と、まだまだ続く。

この老年医学会のシンポジウム、
「認知症末期患者に対する人工的な栄養・水分補給法の導入・差し控え・中止に
関するガイドライン作成」を考えることが目的。

西洋から入って来たものをそのまま取り入れて実行するのではなく、
日本人にあった、生身にあった考え方で、ツールを作れないかということ。

介護家族が、親の死を経験して、意思決定に苦しんだから
エンディングノートに書いていると言ったら、医師がそろって言った。
いや、その時になって、治療を妨げる結果になることもあるし。。。。

そして発表者がそろって言った。
自分は何もしないでいい。。
ただ、ひとり、「わたしは、ずるいから、家族の決定に従います」って。正直だ。

死ぬのが近くなって、どうなるか、あのね、そんなのわかりません。
食べたいっておもうかもしれない。
死にたくない!って思う人だっているし。
突然苦しくなって、助けて〜〜っておもうかもしれないし。

認知症患者で意思決定が難しい場合と言っているんだけど、
そこ自体が、話しているうちに、健康な人間の考えになっていってしまうところが
難しいなと感じた。

80過ぎの老年医学会の会員の先生が発言していたけど、
みんな「いつまで話すの」なんて笑ってたけど、ほんとはきちんと話しを聞くべきだ。
もういつも死を目前にしている毎日、そして、いままで人の命を
しっかり見て来た人だ。
「あのね、80過ぎたら考えも変わりますよ」
そしたら、壇上がいいましたね、
「60にはまだわかりませんよ」

だからこそ、十二分に話し合わなければならないのだ。
マスコミももっと広い見方の報道しないとだめだ。

そして、メインは死生観。

医師が悩むのも、看護師が疑問に思うのも、家族が苦しむのも
「生きることと死ぬこと」について、自分の考えの軸となるものを
持っていないか、ぐらついているか、弱いか、、、だから。

面白いと思ったのが、

「尊厳ある死」
良く言われるけれど、じゃあ、一体何か。
それは、本人の生き方、人生を知らしめること。
医師も家族も考えなければならない『死生観』

続いて、生きてる人間が理解していないこと
「死」が近くなってからだに起こるさまざまなこと。。。

つづく
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by ygracia | 2011-03-01 02:55 | Comments(0)

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


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