気力

まるでバッテリーがあがってばっかりの古い車のようで、
ちょっと走っては、ブルルルルゥと息切れしている私。

今日は友が来て、ふたりで塩ラーメンを食べて、涙した。
18のときから知り合って、うん十年、長いもんだ。
彼女なりにちょっと突き放して励ましてくれる。

父は「思い出したよ~」なんて挨拶していた。
今日の出来事としては、ためしにめくらないでいた
カレンダーがちゃんと12月になっていた。
もうすぐ12月も終わりだけれど。
やっと気がついたらしい。

母のところへは、子供たちが行ってくれた。
インシュリンを自分で打つと言ったらしく、看護師さん監視の下
自分で打っていたと言う。
あわてて、病院へ電話して、あと数日なので看護師さんが管理してくれと
頼む。
昨日のことを覚えていない人に、目が良く見えない人に、
耳が聞こえない人になんで、インシュリン注射をまかせるのだ。
以前の母を知らないし、母と会話をするわけでもないから
病院側は母の認識障害など気にも留めていないのだ。
こういうところが大きい病院は困る。

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いろいろなことを理想的に収めたい性格の私で、
現実には完璧どころか、できないことのほうが多くなり、
そのジレンマにひとり悩まされ、ひとりで疲れている。

どこまで両親を世話するのか、自分の家庭のことはどうなるのか。

朝、父の支度をせかしながら、なかなか起きれない息子の時間を
心配し、ゆうべ熱のあった娘を気遣い、
父の入れ歯にポリグリップをつけ、「口を大きくあけないと!
それは下の歯でしょ、上はもうつけたよ!」
とどなりながら、夫の歯を磨く音を聞いて、
お茶をださなくちゃ、と思い、上に飛んでいき、
戻ってくると、父は牛乳を忘れ、コップにいれた水にパンを
ひたして、むさぼり食べている・・
そんなとき、あたふたする自分に嫌気がさし、ほんとにすべてを
投げ出したくなってしまう。
ついこの間まで母が元気でなんとか父と過ごしてくれていた、
そんな時間が戻ってほしいと思った。

両親の世話に関して、だまっていた夫がはじめてはっきり言った。
「自分のためだから、できる限りやればいい・・」
夫は自分の母親が動脈瘤破裂で倒れ、そのあと一時回復したものの
母のためになにもできなかったこと、そのとき、母親が以前の母親で
はなくて悔しかったこと、そんなことを話した。
直腸ガンに倒れた父親のときは、最後の1週間を父親とともに過ごし、
世話をし、話をして別れることができ、夫は後悔を残さなかった。

この年まで親と一緒に暮らせて、最後まで過ごせることに感謝しよう。
試練は試練だけれど、乗り越えられないことじゃない。

夜、ベッドで腹筋運動をし、発声体操をし、童謡を歌い、
「うるさい娘ですみませんね~ああ、うるさいって思ってるでしょ!」
と言って見ると、
ケタケタと笑う父。
やっぱり、笑ってくれる父がいい・・・・
by ygracia | 2004-12-25 00:12 | 今日のお話


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