ああ認知症家族

携帯のカレンダーを見たら、今月はほとんどピンマークがついてた。
母のこと、娘のこと、夫のこと、そして自分のこと。
それはすべて車の運転もくっついてるので、体はお疲れだろうなあと思いながら。。
今日は一日ゆっくりする予定。
ほんとは夫とピラティス体験にいく予定だったんだけど、私はやめとく。
来週から始まるし〜〜

さて眠れない夜に溜め込んでた本を読む事にしている。
昨日は2冊一度に読み終わった。

「認知症の人と家族の会」の高見代表理事の最新の本と
佐野洋子の「役にたたない日々」

そりゃあ、後者のほうが断然おもしろい〜〜

高見さんにはお会いした事もなく、ちまたに流れる話で、想像してるしか
なかったが、驚いたのは、高齢じゃなかったということ。てっきり高齢の
方だと思い込んでたので。1943年生まれというから、なあんだ(失礼)と
思ってしまった。

認知症新時代について、わかりやすい説明があった。

認知症が痴呆と呼ばれていて、隠されていた時代が旧時代、そして理解が進み、
介護保険や社会の支援が少しずつ変化してきて、
2004年の京都での国際アルツハイマー病協会の国際会議で
57才のアルツハイマーの男性が自分思いを発表し、
「認知症の人の本人の思い」を知ったとき、新時代は
スタートし、その支援も変化し始めた。
この国際会議も1980年代には参加国が世界の数カ国と日本だけだったのが、
今は74の国と地域が加盟していて、世界中が認知症への関心を高めてきた。
こうやって新時代はやってきた。

「認知症の人は何にもわからない、できない人」ではないんだという
ことを2004年にみんなが気がついたって、、
すべてではないとわかってはいるが、腹がたった。
家族はとっくに、そんなことわかってたと思うのだ、毎日の介護のなかで
おしっこやうんちにまみれたとしても、そこにいるのは
本人で、確固とした人格を持った人間で、サポートが必要なだけの
「ひと」であったはずだ。

しかしそれを伝えるすべが、個人ではなかったのかもしれない。
誰かが声をあげて、肩を寄せ合い、手を握りあって、社会に訴えようと
したから、日本の今があるのかもしれない。
認知症を病気として捉えることをしてこなかった社会、もちろん
医療が進歩したから、いまは病気として考えることもできるのだが、
ほんとうは、人間として、素直に老いを受け入れることを
考えれば、差別も「座敷牢」もなかったのだと思うのだけど。
私が認知症旧時代に父を介護していたとしても、私の思いは
変わってはなかったと思う。
理解しない人がいれば闘ったと思う。
変わらない。

若年認知症の人が表現しはじめたことで、世の中がやっと気がついたということだけど、
高齢者の場合はどうだったんだろう。
90でも100でも発信していた人はいただろうに。
じゃあ、家族の会にはたくさん「本人さん」がいたでしょうに、その声は
どこにいっていたんだろう、、って思ってしまう。

読み進めていくうちに、高見さんが書いていることが、どこかで読んだぞ
聞いたぞ、みたいになって、なんだ、家族のおもいって言うのは、
結局はいつの時代も何にもかわらないんだよ、って思ってたら
その同じ文章は、ぜんぶ私がゆるりんで訴えてきたことだった。
つまんない。

手をつなぐことで、大きな力にもなる。
社会を動かす力にもなる。
支部でつながる人のぬくもりと、優しさに涙することもある。
理解できるし、その貢献はやはり大きなものだとわかる。

だけど、その大きな器からこぼれちゃった人のことを考えているのだろうかと
聞きたい。
それは、家族会との相性や、好きずきで,ウンが悪かったからしかたがないと
あきらめていいのだろうか。

家族会というのもたくさん人がいるようでいて、よ〜くみると
同調できる、同じ方向を向いた人、性格的にもだいたい似た方向の人が
集まり、そこに合わないと結局は省かれたり、去って行ったりということに
なり、その背中に声をかける人はいない。

そんなときでもだれかが、去って行きそうな人に声をひとことかければ
また安心して去って行ける、ほかの場所を探しに行けるのに。
「あんたはまだまだ序の口よ」と経験をふりかざして、ほおりだしちゃいけないのよ。

家族たちの合い言葉だそうだ。
○ぼけても安心して暮らせる社会を
(認知症の人が安心して暮らせる社会はどんな人でも安心してくらせる社会であると
しているけれど、私はこのごろ思うのが、国を担って行く子供と若者のための
しっかりとした基盤のある社会をまず作り出すことが先決じゃないかと思い始めている。
おとなたちがしっかりしないと、あかんぞ^^と危機感があるんだ。
確かに社会というのはものすごい数の細胞で成り立つ訳だから、認知症の人のための社会を新しくつくることも子供や若者の為の基盤を結果的には作る事にはなるんだけど。
認知症の人を取り巻く社会を変えようと若者たちが動き始めていることもその細胞のひとつで、
これも同じ事で、最終的にみれば未来の社会を成り立たせるあたらしい細胞を作り出す作業ではあると思うのだけど、楽しくすごそうよ、生きる事を楽しもうよ、河原でバーベキューみたいな
その場しのぎになりそうで好きじゃないのだ。それよりも医師を教育し、認知症をもっとしっかり
把握でき、無知であろう家族も社会も正しく認知症を受け入れる社会を早急に作るべきだ。)

○ぼけても心は生きている
(当たり前だ、これはいつだって忘れちゃ行けない事。じゃあなんて、これを合い言葉にしなければ
ならなかったかといえば、認知症を正しく理解し、観察できてないからだ。
勉強しなくちゃいけないし、医師も正しく説明できなくちゃいけない。ボケではないのだ。
やめてくれっていいたい、私が今認知症と診断されたら、すごくいやな言葉だ。自分で言えるか
「私はぼけてます。でも心は生きているんです」って。これはだめじゃん。)

○百の介護があれば、百通りの介護がある
(私も同じ事ずっと言ってきた。だから、だれかに押し付けられることでもないし、
1つの例であり、参考でしかないそれぞれの介護なのだ。それを「あんたはまだ苦労してない」
と軽くいう介護経験者が山のようにいて、平気で家族会の中を悠然と歩き回る。
介護経験者の勉強会って言うのも必要だ、ほんとに。)

○家族の暮らしあってこその介護
(そのとおりだ。だからそういう経済的な問題は、親ドットコムのようなとこ、とか
若い介護者むけの応援場所(娘サロンのような)や、家族会から離れても細やかな
サポート場所があるべきだ。また介護を放棄してしまったという罪悪感を緩和できるような
カウンセリングサポートとかね。。)

○がんばりすぎないけど、あきらめない
(がんばらなきゃ出来ないのが介護。いつだったか言ってしまったことがある、お母さんと一緒に
死んでもいいという覚悟があるなら、在宅続けてもいいんじゃないかって。。。
がんばっちゃうし、あきらめない、つぶれたっていいじゃない、って思う私は、好かれない。)

大きな会には大きな会の役目がある、しかしワールドを形成しちゃっちゃだめだ。
どんな会でも代表交代し、新風を吹き込みながら進むべき。
意見の対立があってこそ、また新しい視点が生まれるんだ。

自分がほんとに認知症になったら〜〜

今認知症に関わる発信をしている人は、自分が認知症になったらぜったい、
その経過を発信するべきだ。
そこで、隠したり、やめちゃったりするなら、にせもんだぞ!

私はする。
指でキーボードを打てなくなったら、口にペンを加えて
障害者向けのパソコン用意してもらおう。
それでもだめなら、聞き取り頼んで、それでもダメなら、目の動き。
それもだめになったら、次を考える。

でもね、私の姓名判断は、
人にも甘く、自分にも甘い、、、だそうだ。。。だから将来は、、あやしい、、


ということで、認知症の人と家族の会のことを知りたかったら
この本を読んでくださいな。

「ああ認知症家族」高見国生 岩波書店 1500円

追加
家族家族というけれど、実際は家族がいないとか、縁がないとか、
ひとりで暮らす人たちや夫婦だけなんていうのが増えているんだから
そういう方面こそ、支援体制がんばらなくちゃなあと思うこのごろ。
by ygracia | 2011-07-27 13:18 | 気まぐれなお話


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