介護と経験

「経験しないとわからない」ということばは良く聞かれる。

でも私はこのことばをふりかざしたことは一度もないんだけど、
介護家族と見なされると、だれもが、
「経験しないとわからないと言われると、話し合いにならない」
だから、経験から考えないほうがいいと言い出す。
経験には発展がないのだろうか。

どうも、私や介護家族が経験している、「通じ合うもの」を理解できない
非経験者は、コンプレックスと介護家族への偏見で、構えちゃうのだろうか。

そしたら、私だって介護職の経験なければ、認知症の専門分野での勉強もしたことないから
非経験者で、何にも知らない。

でも「聞く耳」だけは人一倍持ってる。
考える「こころ」だけは人二倍くらい持ってると思ってる。

でもね、本音で言っちゃえば、在宅介護の壮絶さを、親を殺してしまいたいほどに
人を狂わせる生活(または殺してしまおうとした)、
こころが壊れるほど人を世話するっていうことを、
誰がわかるって言うんだろうって思う。
だから、それを知ってる人たちに会えば、お互い、やっぱりねえ、経験したもんじゃ
なければ、わからないよねえって、、思っちゃう。。んだ。

訴えることって何だろう。

「私は認知症です。
病気です。
でも普通に人並みに生きたいんです。
私をばかにしないでください。
私にも人生があるんです。」

私は父の代弁者だっただろうか。
そうじゃないなあ。
私は父がりっぱな人生を送って来て、それが「認知症」ということで
消されて行くことが許せなかっただけ。

だけど、考えてみると、私がイライラしなくても
父を支えてくれた人たちは、みな父を尊敬していた。

認知症になっても父は、父であり、母は母である。
その人生はだれにも汚されることはない。

叫ばなくても訴えなくても人として、その人らしく
静かに人生をまっとうしていく人々がほとんどなのだ。
がんであっても、認知症であっても。。。

なんかね、、認知症の世界を語る前に、
「生きること」って何なのか考えたほうがいいのかも。

といいつつ、おいしいもの食べて、今日に感謝して、
また明日命があれば、精一杯一日楽しまなくちゃと
思ってる私なので、、、、

9月9日は重陽の節句。
私のお誕生日。

母は壁に顔つけて、食事拒否中だったけど、
私の努力でなんとか、食べさせた。

飲み込みやすいけど、かめるほうがいいと、母が言う。
今はミキサー食。


命をかけて生んでくれた母がまだ元気なことに感謝しつつ、乾杯。
by ygracia | 2011-09-10 01:52 | 気まぐれなお話


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