「認知症は治せる」ということ

我が家の2012年は母の熱と共に始まった。

母はもう認知症の世界とはあまり関係なくなった。
てっちゃんコールもなくなり、だーれだと聞けば「ゆみこ」と答える。
誰が誰だかわからないという様子も見せなくなり、
ちょっと寂しいと言えば寂しい。

おせちも食べてもらいたかったし、いろいろ楽しく過ごしたいと
思ってたことは夢に終わった。

河野先生の新刊を読んだ。
「認知症は治せる」マキノ出版

たまたま存じ上げていたフリーライターの方がまとめあげた。
数年前「やりますよ」って、おっしゃってたことを成し遂げられた。
本の中に出て来る方々には知り合いも多かったことで、リアルで
真実で、実感があった。

「認知症は治せる」というと、はたからみたら、そんな話は聞いたことがないと
言われるだろう。世間一般の「○○病が治る」という類いのものと同じだと
考える人も多いだろう。

しかし、違うのだ。
「認知症」とひとくくりにして、「治らない」としている世間の考え、予防策しか
答えない、高齢者対策行政、医療、そんなものを吹っ飛ばして、
現実に「治す」ことに取り組んでいる医師や家族、そして本人が
いることをしっかり伝えてくれたのだ。

「治す」の「治」という字は治水工事を意味し、「何かに手を加えて正しい流れに
調整する」という意味を持っている。

だから、医師の力を借りて、良い流れになるようにすればいいのだ。

そして、それが決して自然の流れにさからっているわけでもなく、
もともとのその人の寿命のなかの一部であることも
家族体験記からも読み取れる。
無理してるわけじゃない。

「認知症」だからとそのままを受け入れて、混乱と悲しみのなかに別れを
迎えるか、「認知症」を正しく理解し、それこそ「野球の九回裏の攻撃(河野医師)」
のごとく、もう一回わ〜〜っと歓声あげてみるか、
それは各自の自由だけれど、
たったひとつ言えることは
「希望」

もちろんいろんな背景のなかで、タイミングを逃してしまう人々もいる。
それでもわずかでも穏やかな日はぜったいあると信じてもらいたい。

家族も本人も泣くことはないんだと思った。

「レビー小体型認知症」の初めから終わりまでしっかり分かるこの本、
家族の希望になることと思う。



母は気丈だ。
何を聞いても、先生が聞いても
「痛くない」
「何ともない」
と言う。

震えがきても
「なんでもない」

なす術があってもあえてしない、ということ、
家族には試練になる。

救われるのは、私以外の家族が非常に冷静で
また医師が強い味方であることだ。

母に初めて、睡眠導入剤を半錠飲ませた、「先生からお薬」と言って。
眠る薬というとぜったい口は開けないからだ。

娘がせっせとオートミールとココアを作り、私にかわって
時間をかけて母に食べさせてくれる。
私の介助だと食べないので、助かる。

息子が「だいじょぶだよ」って母の手を握って安心させてくれる。

夫はせっせと一日中洗い物をしてくれる。

そんなんで、なんとかなってる私。

ついこの間までゴクゴク飲めていたものは飲めなくなった。
薬も処方されたばかりだったけど、中止になった。
癌のサプリも増やしてみたものの、飲ませること自体難しくなった。

自然に任せて、、じっと見守る鍛錬中。。


b0055939_2135187.jpg

名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by ygracia | 2012-01-04 02:14 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


by ygracia
プロフィールを見る