母がくれたもの

納骨式が済んだ。

今日まで、夜中にひとりで何回も泣いた。
母の咳が聞こえたと、何回も飛び起きた。
ドラッグストアに行けば、(オムツ間に合ったっけ?)
和菓子屋の前を通れば、(母が食べられそうなのは。。)
クリームシチューを作れば、(母が食べやすく。。)
地震があると、ホームの場所の震度を見て、(母だいじょうぶかな。。)

母はどこにもいない、ホームにももちろんいない。
でもどこかにいるような気がして。。

これが、「迷子」になった気持ちなのだろうか。。



霊園では、ふだん関わりのない方々が丁重に、真心で迎えてくれて、
花泉さんの美しいとしかいいようのないお花も同時に届き、
たった3人の家族と母と、神父さまと、荘厳なミサに預かった。


神父さまのお話は、私のこころに深く突き刺さった。

「絆とは絆を結ぶ相手に責任を持つこと」

「納骨を済ませたから終わりではない、一段落したことでもない、
今日からが始まりで、亡くなられた方々との時を大事にしていくこと」

まとめるとこういうことなのだけど、お話は、震災後の人々の関係の結び方から
始まり、こころに響き、いろいろなことを反省もした。

夫も感動したと言った。

初めてお会いする神父さまだったのに、、私の行いの反省を含めて思わず、
話してしまったら(告解のごとく)

「今日からが始まりです」と言われた。

母が最期の最期にくれた贈り物は、お聖堂でのたったひとりの
聖体拝領と、人としての責任と自立。
「いくつになっても、お母さんがいないとだめね、しっかりしなさい」と
母が笑っていた。。

私は小さいときからカトリックの環境にいて、洗礼も受けているが、
決して熱心な信者でもない。
宗教は「感謝」とからだが覚えているだけ。

でも今日は、どうしてもこの聖書の言葉を記したい。


☆ヨハネによる福音(ヨハネ15.4〜5)

そのとき、イエスは言われた。
「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたにつながっている。
 ぶどうの枝が、木につながっていなければ、
 自分では実を結ぶことができないように、
 あなたがたも、わたしにつながっていなければ、
 実を結ぶことができない。
 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
 人がわたしにつながっており、
 わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」

墓前には石屋さんが用意してくれた大きなパラソル。

母と父が仲良く並んだ。
なぜか骨壺がくっついていた。
笑ったのは、父のは名前が縦書きで、母のは横書き。
「じゃあじゃあはモダンだったから」と娘。
「え、生前に決めてたの?」と夫。(ちがうけどね)

お墓を建立するときに、父と母が名前を縦書きにするか横書きにするかと
もめてたことを思い出した。
結局、母のデザインで、お墓の形も決まっていたっけ。

今日の雨といい、とにかく母らしかった。

母は雨女、神父さまは晴れ男だそうで、母に負けたとおっしゃった。


明日は最後の大仕事がある。
おとなとして、毅然として過ごそう。
なんて、いつもの私に変わりはないか。。
Commented by ウルル at 2012-03-24 13:15 x
「迷子」の気持ち   わかります

不意のスイッチで 涙が アレレ?? ってくらい溢れました
買い物途中だったりすると恥ずかしくて すごく困りました(汗)

でも・・・・
泣きたい時 涙が溢れるときは 母を思い出しているとき
その気持ちは大切なことですよね

そのうち、少しずつ 時間が癒していってくれます

ぼちぼちと・・・

ご自愛くださいね
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by ygracia | 2012-03-24 00:15 | 気まぐれなお話 | Comments(1)

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


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