認知症の「当事者」ということば。

誰が言い出したのか、雲の上の世界のことは全く知らないから
わからないことだらけだけど、
このごろ、「認知症」を取り巻く世界で、
「当事者」という言葉が当たり前のように使われ出した。

私が感じる「当事者」は、法律用語や政治用語であったり、
私たちには関係ない、第三者的な立場から、その問題に
直面し、影響を受けている人々を見ているような、
そんな言葉に思える。

「当事者」と言ってるところから、もう大きな差別を
当事者自身も作り出しているような気がしてならない。

心や温かさを感じない。

ま、それも人それぞれの感性と言えば、それで終わりだけど。。

「認知症」という言葉も「痴呆」より良いとみな思ってたのだろうけれど、
「認知症」イコール 「ボケ、治らない病気、かわいそう」
っていうのは、変わらず、「認知症」の知識が広がれば
広がるほど、その間違った意識が強くなり、
また差別も広がっているような、そんな気がしている。

「ちほう」という言葉のほうが返って新鮮だったりして。

人間って勝手なもんだ。


認知症の人であろうがなかろうが(このごろ、こう書く事多いなあ)

「ご本人」でいいじゃない。

「○○さん」でいいじゃない。

集まるなら、可愛い名前で、会の名前付ければいいじゃない。

カミングアウトしたい人だけがいるわけじゃない。

プライド持って、自分の病気を知らせない人だっているはず。

人間、みんな名前を持ってるんだから。
名前で呼ぼうよ。

取り巻く世界もみんなそれぞれ信念持ってるのはわかるけど、
本気で活かして欲しい。
自分たちだけじゃない、他の考えもあるって知って、
意見を闘わせて、また認め合ってほしい。

そして、「生」かして欲しい。

認知症の本人と家族のために、社会のために。

家族が血の涙を流して、壮絶な介護からの脱却を計れば
情がないと責められ、
介護プロの世界が正しいと思って、クールに判断すれば
家族は絶望の渕に追いやられる。

そんなことが繰り返され続けている。

私が2009年に訴えた、「チーム支援の輪」は
しがらみや、意見の相違や、法律上の問題や、
結局めんどうくさいからなのか
わからないけど、まだまだ見えては来ない。

チームの色はいろんな色があっていい。
本人も家族もほんとにカラフルだから。


しばらくぶりで、介護のこと考えてみた。

「認知症」っていうことばもやめちゃおか。


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by ygracia | 2012-08-15 20:45 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


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