母の記録Ⅰ

経過

2004年10月22日、朝、母が車椅子にしがみつくようにして、床に座り込んでいた。
娘を呼んできてすわりなおさせて、話をすると目を合わせないが普通に返答していたので
気にもせず私たちは外出した。

夕方帰ってきて母の様子をみるとほとんどうつらうつらしている。
食事もほとんどしない。

どうやらインシュリンも打っていないみたいだし、薬も飲んでいないようだ。
あわてて、たずねると打ったかどうか覚えていないと言う。
しかたないので明日からにしようと薬とインシュリンをあづかった。

この日まで母は自分ですべて管理していた。

母の様子がおかしいとおもいながら、救急車をいつ呼ぶか考えていた。
24日に救急で昭和大学病院へ。
おかしいんだと訴えたものの、血圧も正常でこれといった所見はないと若い女医さんに
言われ帰宅した。

その後あまりにも食事量が減り、インシュリン調整に困ったので
昭和大学病院のN先生に連絡。
すぐに入院のつもりで来るようにと言われて、雨の中車椅子に母を乗せて
歩いていった。
長年母を見てくださっている先生「これはたいへんだ」
すぐ母の変化に気がついてくださった。

そしてまず、内科で入院、翌日は神経内科に転院。
脳梗塞だった。


変化

入院中は母の顔つきがよその人になり、私は動転した。
母じゃないのだ。
見たことのない母の横顔に困惑した。

名前も生年月日も夫の名も、私の名前も孫の名もねこのなまえも
忘れたのに、娘婿の名前はしっかりおぼえていた。

練習させたので、名前と生年月日はすらすら出るようになったが
再審査にきたケアマネさんがやっぱり気がついた。
年齢がでてこないのだった。
そういえば、いつも59歳とか65歳とかいっていたが練習してなかった。

家に戻って、しっかりするかと思ったらもっと意識の混乱がひどくなった。
自分の姉と姪たちの名前しか出てこない。
人を呼ぶときはすべててっちゃん。
わたしのことを娘だとは思っているが名前はわからないという。

細かいものの名前も忘れた。
サンドイッチはパン。
イヤホーンは磁石とかくろいもの。
なにかを急いで言おうとするとなにをいっているのかわからないくらい
あせって言葉がただの音だけになる。だだぐぐげげ・・というふうに。

喜怒哀楽がないのに、怒りだけが目立つ。
トイレ回数が多いので夜だけパッドにする約束をしても
夜中に騒ぐ。
たのむからパッドにする練習してみてというと
「覚えてなさいよ!」と鬼のような顔をする。

人づきあいがよくて、明るい母が消えた。
いつも私や孫を心配する母がどこかへ行ってしまった。

by ygracia | 2005-02-02 22:31 | 母の記録


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