日々納々

久しぶりに夢を見た。
夢?と思うかもしれないけど、母の介護中からほとんど夢を見なくなってた。
レビー話が続き、疲れて夢の中にでてくるかと思っても、なにもみない。

ところが、夢を見たのだ。
母がベッドに起き上がって、「美容院に行きたいね」と言った。
のぼる先生に電話しなくちゃと思った。
私は何もしゃべらない。
「私歩けると思うんだけどね、だめかしら」
「。。。。」
でも、母の顔は穏やかで、明るい。
母が、大きなため息をついて、また自分で横になり、ふとんをひっぱった。
「ゆみこ、お茶ちょうだい」

そんな夢を見たあと、「日々納々」を読む。
お歌の好きな方はもうご存知だとおもうけれど、今、facebookで
発信していらっしゃる、90才の歌人、清水千鶴さん。
タイトルもいいけど、お歌は優しく、ときには強烈、そして日々の「ことば」が心に染み渡る。

今日はこれ。

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おはようございます。清水千鶴でございます。

 「あなたにとって言葉とはなにか」などと息子から難しいことをたずねられました。

 そこで、ふと考え込んでしまいました。私にとって言葉とは……、と。正直に申しますと、私は「言葉とはなにか」などという難しいことを、真っ正面から考えたことなどございませんでした。

 確かに若い頃はどういう言葉を使うと格好がいいかとか、どれだけの意味を重ねあわせれば深みが出るかとか、いろんなことをやってみましたが、いつ頃からかそんなことは単なる技巧に過ぎないと思うようになったのでございます。技巧は心には勝れないのでございます。どんなに技巧を労しても、砂上に楼閣を建てるがごとく、屋上屋を重ねるがごとく、虚しいものでございます。
 しかしこれも考えて導き出した結果ではなく、日々重ねてまいりました生活の中で感じて参ったことでございます。

 そんなことを息子と話しながら頭の中にひとつの言葉が浮かびました。「形見」でございます。どうやら私の言葉は日々をふりかえるための「形見」となっているようでございます。自分自身の足跡を自分でたどり、この身が消えました後も残る。そのためには飾ったり、偽ったり、背伸びをしたりなどということではなく、それ以上でも以下でもない私の心の在り様というものをしっかり語る。そんな言葉を自らのものとするための90年だったのかもしれません。

 言葉は形見。人生の終幕を間近にしてようやくそんなふうに思い至った次第でございます。もっと早くに悟っておれば、私の歌もまた違った趣のものになっておったやも知れません。が、それも私の人生だと、いまは穏やかに受けとめられるのでございます。
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by ygracia | 2013-02-21 12:53 | 気まぐれなお話


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