生きる、死ぬ。

世間では「命」を考えない、考えられない人の事件があふれかえっている。

私の周囲では、「老い」と「認知症」と「死」と「健康」が溢れかえる。

ノートばやりの昨今は、自分の生き方死に方、きちんと書いておこうって
団塊の世代には結構浸透して来たらしく、売れ行きもいいらしい。

だけど、、「認知症」という病気にかかった場合のことは、、想像つかないかもしれない。

多くの介護ブログはみな、ただ「認知症」になっちゃった、と捉えている人が多い。
「分からなくなった人」という考えだ。

私はたまたま父がレビー小体病で、母がアルツハイマーだったから、
「認知症」にもたくさんの種類があって、それぞれにダメージを受ける状況が
違うこと、医療にしてもケアにしてもきちんと理解すべき点が必要だと
知る事ができたけど、多くの場合、興味がないのか、医師も告げないのか
「認知症」ひとくくり、みたいな感じも受ける。

また名前は聞いたものの、家族がまちがった情報を持ってたり、相違点など
興味もなかったり、そういう場合もある。

何が残念かといったら、本人がいちばん苦しむので、そこが悲しい。

なんでもそうだけど、「自分に置き換えてみたら」すこしは本人の思いに近づくと思う。

人間は自分の価値感、判断力、知識の範疇を最大限に使うけど、結局それ以上の判断はできないという。情報を得てもそれを使うのは「自分」だからだ。

thirdman現象というのを先日テレビでみたのだけど、かなり面白かった。
911の被害者がみた「守護天使」の話から始まっている。
脳の極限状況で現れる現象で、結局は「自分」が作り出すものという。
脳のどこがうごいて、そのメカニズムがわかってはいるのに、
人間は「自分の脳を使って、脳の研究をしている」ので、科学的な方法だけでは
真実をつかめるわけではない、と言う。


父が言ったことば
「俺を病気にしたのはお前だ」

私はこのことばが、父の訴えたかった真実かもとこのごろ思う。

薬でもない、ケアでもない、人間の生き方、死に方、
その権利は本人にしかない、と同世代の認知症の方たちの声を聞きながらも
すごく同感する。

また続きはあとで。

「生きる」「健康」のためにピラティスに行く♪
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by ygracia | 2013-05-08 14:25 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


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