アスタ マニャーナ、また明日! gracia.exblog.jp

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


by ygracia
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神さまは

私はカトリックだけど、教会に通う人ではない。
信者とは言えないって言われそうだけど、それでもいい。

生まれながらのカトリック環境に居て、父は旧教と言われた時代に
自分が赤ちゃんのときから信者で、いろいろ考えさせられたから
宗教は判断できるようになったら、自分で選びなさいと育てられた。

ただ、父と祖母はそのことで、いつも言い争いになっていたのは
子供心に覚えている。

それでも父は頑として、幼児洗礼は受け付けなかった。

だけど、祖母の手にひかれて、いつも教会にいて、
神父さまの礼服のサラサラとした感触、凛としたミサの声、聖歌、
お香のかおり、マリアさまの顔、キリストの顔、
木の椅子、みんなが触る聖書、、綺麗なカード、パン、葡萄酒、
すべてが身体に染み込んでいった。

だからカトリックの中にいたから、何も迷う事なく
グラシアという名をいただき、(洗礼証明書にはイタリア語のグラッチアと書いてある、
ずっとグラシアと呼ばれ続けてるけど、、、)
だから細川ガラシャと同じ。。と思いながら。。信者と思い、過ごして来てる。

教会にはたまに行って、まずは神に感謝をして、私の父母を思い、
世の中を思い、大きな声で歌を歌い、知らない人と挨拶をし、
神父さまのお話がいつも自分のその時のテーマと一致するのが
フシギだなあとか思い、
こんなに人がいるけど、人間は孤独とか、どうでもいいこと考え、
アメリカ人のパーティのように、初めて会う人となぜ気軽に話さないのか
とか、仲間意識の強い教会の空気にちょっと辟易としながら、
知ってる顔は今日はいないとか、、、ま、みんながそれぞれに
幸せならば、いいとそそくさと帰って来る。

昔はシスターもいて、みんなをつなぐ存在だったなあと
シスターの姿が見えなくなった事がすごく悲しいと思ってる。

スペインに留学し、先生の指示通り、修道会本部の教会に行った。
シスターと話ながら、階段を登ろうとしたとき、階段横の石の床を
磨く若いシスター(エルマナ、まだ修行中のシスター)がいたので、
声をかけて、挨拶をした。
沈黙の行ではなかったと記憶しているけれど、
シスターにすごく怒られた。
この子は掃除をする子で、あなたと話せるような相手ではないと
言われた。ほおっておきなさいと。
スペイン語が理解できなかったわけじゃない。
尊敬すべきシスターがそう言ったのだ。
そのとき、西洋でのカトリックの歴史、修道会の歴史、
いろんなものを最確認することになり、
一遍に全てを許せなくなった。

だから教会の歴史はヨーロッパにいる間にしっかり
勉強はできたけれど、ミサにでるのは旅先や、散歩中や
出会った場所だけ、、となった。

それでも人生の中で、次々と不思議なことに巡り会い、
教会から離れることがない。

お世話になった神父さま、シスター、思い出せば
ほんとうに大勢。。

最後に会うべきだったと心から、、反省していることもある。
シスターアンパロ、シスターモンセラート、
コックス神父さま。。ドミニコ会のドイツ人神父さま、、
古川神父さま、、

今日は会いたかった人に偶然か、お互いに思っていたのか、
ここで、こういう風に私がスケジュールを変更しなければ
ここで、車をあっちに走らせたら、、
絶対、会えなかったはずなのに、家の前で会った。

彼女もなんとなく、自転車で寄り道してみたそうだ。

とにかくお互い元気で、がんばってるのが確認できて、
また、自転車にのってさっそうと飛んで行った彼女を見送り、
あ〜〜〜

神に感謝。
偶然っていえば偶然、、って普通は考えるんでしょうねえ。。


母が生きていたら90才の誕生日、母は今の私を見てなんと言うんだろう。。


神さまは_b0055939_226109.jpg



ということで、このブログ、設定画面に入れなくなりました〜〜
私のパソコンのプラウザが古いので、シャットアウトされてしまうとのこと。


「気まぐれなお話」をいつも読んで下さってありがとうございました〜

またいつの日か〜

このブログを開設して、2度目の

アスタ、マニャーナ、また明日!!
by ygracia | 2013-10-01 02:21 | 気まぐれなお話