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老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


by ygracia
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救急車

12月7日
母を有料老人ホームのショートステイに連れて行く。
今回は助手席にすわらせ、背をすこし、倒し、足にはクッションをおき、
楽な姿勢にしてみた。
車のなかでインスリンをうち、おいなりをたべさせ、お茶を飲み、
ため息でれば、すぐ飴をあげ、だましだましの40分ドライブ。
私が手続きをして部屋にもどると、もう母はご機嫌。
爪もきってもらい、お茶をのませてもらい、声をかけてもらい
茶色い顔がいっぺんに色白の母に戻った。
環境がよくなって、こんなに顔が変わるとは。

今日、ホームから連絡がはいり、午前も午後もお仲間といっしょに
すごし、車椅子で長時間すわっていてもなにも言わなかったそうだ。
いつもなら腰が痛いとさわぐのに。
すっかりリラックスしている母。
よかった。

12月8日
父が昼過ぎまで起きてくれなかった。
やっとおこして、車椅子にすわらせたものの、左脱力。
9月の脳梗塞と同じ状態だ。
いつものことかなとおもったが、ご飯も無理だ。
おまけに、15時間も水分を取っていない。
脱水かもしれない。
脳梗塞が起きたかもしれない。
結局、訪問診療のに電話をし、指示まち。
救急車を呼んだ。
ところが、先回入院したE病院。
救急車が4台きてるとかで、いっぺんで断られた。
なにがなんでもE病院なので、結局先生にじかに電話をいれてみた。
9月の時の先生、お休み。
え~いとおもいきって、トップの先生につなげてもらうことに。
いやな態度ひとつなしに、うろ覚えであろう、父のことを思い出してくださり、
ただ、救急の権限がない、外来で手一杯ということで、
でも、私をがっかりさせない答えをだしてくださった。
ほんとうにありがとうございました。

救急隊員のかたもとても穏やかで、じっくり待ってくださって、
そして、もういちど、救急に電話すると、ちょうどあいたというので
すぐ受けてもらえた。
と、同時に、訪問診療のほうのクリニックから電話、Faxが
入ったとのことで、あとはスムーズ。
いやな顔もされなかった。

脱力してたはずの父は病院にいる間に復活して、
先生を足でけとばしたり、いろいろやってくれた。

今回私もちょっと目からうろこだったのは、若い女医さんが
MRIの父の脳の画像を詳しく説明してくれて、
ラクナ梗塞だけではなく、脳幹部の運動をつかさどる部分も
古くに梗塞でやられていること(これは西村先生にも聞いた)
あとはアルツハイマーのような脳の状況もみられるということ。
細かい梗塞がいっぱい。
いつ、また脳梗塞が起きてもちっともふしぎではないと言うこと。
レビーといわれているけれど、混合型だろうと思われると言うこと。
非常にためになった。

父にはいやな思いをさせ、疲れさせてしまったけど、
検査できたのでよかった。

あたらしい梗塞はなく、帰宅した。
脱力の原因はわからない。
ドプスを減らしたせいかとおもったけど、そうともいえない。
動きがわるくなったのはドプスのせいとおもったけど、
そうともいえない。
だれも答えはだせない。

娘にいわせると、私が父を無理に起こしたからだという、
病院では起立性低血圧はなく、血圧は高かった。
糖尿も悪くなってた。

病院の車椅子でタクシー乗り場までつれてきて、
だきあげて、のせ、家のまえまでいき、
娘が車椅子を用意して待機してたので
まただいておろし、できた。

E病院のN先生に外来でかかればいいのではといわれたけど、
もう木之下先生にお任せして、なにかのときにはE病院にいかれるように
こんどは段取りよくやらなくてはならない。
ほんと、アメリカのように、ドクターが契約している病院というふうに
ならないものかな。
そうしたら、受付拒否なんてなくなるのにな。

と、これらの出来事にほかに、父の郵貯の暗証番号がわからず、
ロックされ、委任状だったり、あとほかの件で住民票を
とるのに、委任状は自筆とかいわれたり、でも結局
私と娘で父母の名を書いてだしたり、夫も私も走り回ってた。

もうへとへと、超えて、どろどろ~~~~
by ygracia | 2005-12-08 23:21 | 今日のお話