マクロビオティックと私。

クッキングスクールに初めて行ったのは35年前。
当時有名な魚菜さんの学校。
おしゃべりして魚菜先生に怒られて、そのあと、目をつけられて
オムレツのデモンストレーションをやらされたっけ。
でもとっても優しい先生だった。

次の料理学校は、マドリッドで友達に便乗して行った。
これはカルチャーショックというか、おおざっぱというか、
先生はスペイン人らしく、オルグヨッソ(プライド高い、誇り高い〜〜)で
きちんとセットされた髪が印象的だったけど、
胴鍋に、いろんな野菜と卵といろいろゆでる物はいっしょにゆでちゃう。
調理台の上は雑多で、そこに18から30くらいまでの女の子が
寄り集まって、ピーチクパーチク。
うちのママはこうやるとか、おばあちゃんはこうだとか、
ちっとも先生の話が聞こえない。
でもお嫁に行って、お料理しなくちゃならないから、という女の子たちの
かわいい笑顔は忘れる事はない。

次はアメリカ滞在中に、ま、とにかくインターナショナルワイブズから始まって、
日本人は集まれば料理だった。
某教授のうちに集められ、なんだかなと思ってると、料理教室になり、
おとりまきがほめそやし、なんだかな〜〜と感じて終わり。
だけど、仲良しの友人たちとのポットラックパーティや、
夫のアメリカ人の同僚との集まりは最高だった。
パーティの日に奥さんが具合が悪くてこられないけど、アイスクリームだけ
作ってくれたよっていって、アイスクリームメーカーをそのまま持って来てくれた
先生、その素朴なアイスが今まで生きてる中でいちばんおいしいアイスクリーム。

子供たちが生まれてからは千葉で市川先生のところに通う。
お味噌作りもやったし、家庭ですぐ喜ばれるお料理も楽しめた。
子育て中はやっぱり一生懸命作った。

介護がはじまって身体支援だけで精一杯。
食べる物を考える余裕もなかった。
なるべく、体に負担にならなくて、自然で父や母の好きな物。
家族のご飯は二の次。自分のご飯なんて忘れてた。
父が胃ろうになってから、「食べること」にどれだけ大切な意義があるか
思い知らされた。
父が逝って、微笑み往生、在宅介護ホタルの中山れいこさんに、メールした。
「食」の大切さをそして人間最後までおいしく食べて心地よく、すごせるために
情報発信は続けてほしいとほんとうに思った。
それからひょんなことで「かいごの学校」をお手伝い。
3月号「食べにくい人の応援レシピ 笑顔になる“魔法のひとさじ”」
で中山さんとの対談ができた。
中山さんは「食養生」も実践してらっしゃるし、今これからの子供たちのために
食支援、指導をまとめておられる。

そう、私のマクロビも本当の意味で、生きる人のために勉強したいのだ。
栄養剤だけで最後の8ケ月を過ごした父にはできなかったけど、
自信をもって、自然の力を信じられるように、勉強したいのだ。
by ygracia | 2007-04-12 20:33 | 雑感


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