チャンギー捕虜収容所

子供たちがそれぞれ、出かけた午後、夫とふたりで
「BC級戦犯」のドキュメンタリーを見た。

夫の父が昭和23年まで捕虜として収容されていたチャンギーが
舞台だった。

夫によると、この捕虜時代の話を義父はしたがらなかったいう。
結婚してだいぶたったころ、夕食のときに一杯機嫌の義父が
「チャンギー」という名を口にした。
私しかいなかったので、話したのかもしれない。
でもそれはとても簡単にまとめられた話で
結論は「人間はおろかだよ」っていうことだった。

義父は軍医として南方にいっていたらしい。
チャンギで捕虜になってからは、なんでもやらされたらしい。
地元民といっしょにトラックにのり、捕虜の食事となる
残飯を探しに、町に行ったという。
人間の暮らしなんかじゃなかったと言った。

義父がどうやって帰国できたのかは聞いたことがないので
わからないけれど、その話をした翌日、父は眼鏡をかけ
英文の医学論文書を読んでいた。
その後ろ姿に感動したことだけ覚えている。

夫と涙しながら見た。
池上本門寺前貫首の田中日淳師(93歳)のお話するお顔、
彼が預かった遺書を毎晩書き写し、荷物に隠して持ち出したという
その行動、最後に慰霊碑の前で、リクライニング車いすにのって
お経を唱える姿。。
父と同じリクライニングだった。。

韓国籍で日本政府の保障を訴え続ける李鶴来さん(82歳)の心の闘い。

父をチャンギーで処刑されたTさん(69歳)は父の真実を追い続け、
父を「Guilty」と訴えた英国兵を尋ねた。

若くして悔いなく逝った青年弘田栄治さんの話など。

それぞれに背負ったものを感じながら、「人間が生きること」の意義を
見せられたような気がした。

高齢者というと「介護」ばかりに目がいってしまうけれど、
忘れてはいけないこと、
「人間」であり、「命あるかぎり生き続ける」こと、
それぞれの「人生」と「こころ」があること。
何もわからないからとか、もう年だからとかなんて、考えないで、
「ひと」をだいじにしたい。
「ひと」であることをだいじにしたい。
いつか自分も80や90になって、きっと思うんだろう。

「私は人間だ、こころある、人間だ、私は私だ、生きているんだ」

「おやじが帰らなかったら、俺は生まれてなかった。。。」
夫がポツリと言った。

そう、そして私たちの娘や息子も生まれてなかった。。。。

人が生きて行くことを、じっくりと考えさせられた。。。
もちろん、戦争の愚かさも。。。
by ygracia | 2007-08-05 21:37 | 今日のお話

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


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