心理

父が亡くなったのは2006年11月。
2007年は納骨を始め、さまざまな後始末があり、まだ昨日父が亡くなったような
錯覚に追われる1年だった。
在宅介護を途中でぶつっと切られたようなそんな痛みがずっとずっと
続いていた。
神父様が「人の一生を始末するというのは、ずいぶんと大変でしょう」と
おっしゃっていたが、確かにその通りだと思った。
何もなければすべてきちんと終了するかというと、そういうものでもなかった。
役所の手続きひとつでも、延々と死んだ人の名前が残されて
いろいろ続く、変なもんだ。
で、昨年一年は心は落ち着かなかったわけ。

今年はというと、父の亡くなった知らせを忘れた方数名から
年賀状が届いていた。
娘に言わせると、高齢だからきっと家族が書いているのでは、
だから知らせを知らないのでは、と。
そのはがきを見ながら、父はいないとしっかり感じた。

すこしづつ周囲のものを整理して、在宅にむけて買いためた
新品の衣料や、父が元気でデイにいってたときに買いそろえた
衣料を山友会に送ることにした。
サイズは小さいけど、誰かの役にたてばいいとおもって。
今は冬物のみ受付だから、早速荷物を作る。

プラスティックの衣装ケースのそこから、ビニールにくるまれた帽子
3個出て来た。
ひとつはゴルフクラブのお気に入りの帽子。
あとは紺と白の作業帽。錨のマークがあるから海軍だろうか。
わからないけれど、取っておくことにした。

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父や母の荷物を整理しても、ふたりの一生、膨大すぎて、どうしようもない。
子供たちのために、いまからすっきりさせておかなくちゃと
真剣に考えてしまった。

今年の今、父の写真を見ながら、おとうさん、ごめんねって言わなくなった
自分に気がつく。

でも突然、涙に襲われて、無性に父に会いたくなる、、自分もいる。

そして一番の大きなこころの変化は、
人の命は強くて、もろくて、はかない、でも尊大なもの。。。。

命の道を歩むとき、その心臓の鼓動をみな忘れているけど
そのありがたさをいつくしむと、世のすべてのできごとは
平和へと安息へとつながるはず。

その一息を大事に呼吸すればいい。。

てなこといいながら、試験で昼夜逆転の息子のご飯作りで
カッカしている私。

人生100年とすると、私は終末のほうが近くなったけど
一息、一息だいじに生きよう。
父の呼吸が聞こえてくる。。。
by ygracia | 2008-02-06 20:45 | 今日のお話


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