アスタ マニャーナ、また明日! gracia.exblog.jp

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


by ygracia
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

思うけれど

地震大きかったけれど、皆さんだいじょうぶかな。

相変わらず、子供達と夫の生活時間帯に合わせているため、私の睡眠時間の
調整ができない。
これはほんとに体に良くないな。。

で、こぶたさん,のところで日記を読み、ドクターコウノの認知症ねっとへの
出現以来、確かに大きく情報の輪が広がったこと、ほんとにすごいなと思った。

でも父はいない。
80歳のときは矍鑠としていて、ほんとに元気で、新しいものが好きで、
これからパソコンを勉強しようとしていたし、何も問題なかった。
81歳のときも仕事を引退したものの、会社からの相談が多く、電話で
断るほどだった、
母が大腿骨骨折で入院したころ、父はすこしおかしくなった。。
はじめて診察を受けたときもその後も、気力の衰えを
何とかしようと自分でも頑張る人だった。
82歳のころだ。

そのときに、今のように、フェルガードや、薬の微調整があったなら、
父はもうすこし、人生を楽しむことができたと思うと、
やっぱり、悲しい。。
人一倍、努力できる人だったから、もっと切ない。

レビーさえ知られてなかったものね。

父は寝汗をかかなかったし、脳梗塞を起こさなければ、かなり
動いていられたほうだとおもう。
この脳梗塞も私の不注意で、夏の脱水から起きたものだったけど。

やっぱり、父にしてあげられたこと、もっともっとあったかもと
思うと、悲しく切なく、胸が痛い。

認知症の捉え方というのはほんとに人それぞれで、必死になる家族、
楽観的な家族、悲観的な家族、見捨てる家族いろいろいるんだけど、
結局は、残る人生、できるかぎり、すこしでも、家族と楽しくすごせる時間を
延ばせたらということを思ってくれたら、少しは気持ちが楽になるんじゃないかな。。

私は無呼吸症候群のため、精神科で治療を受けている。
先日、父のようにきちんとしたおじいさんが、重そうなバッグをもって
小さい体だけど、不安気な顔でやってきた。
紹介状を出し、椅子にすわると、バックから取り出したものは
エンシュアの缶と、
何語かわからないけど、横文字の分厚い本。
バニラ味のエンシュアを飲み干すと、本を台にして、
メモを書き始めた。
どうやら、日程らしい。
忘れないように、病院の予約表を丸写ししている。
細かい細かい字で。

父が自分自身に不安を覚えたはじめたころ、一生懸命メモをしていた。
父は何を思っていたのだろう。。

自分自身を不安に思う日が来たら、私は何を考えるのだろう。



思うけれど_b0055939_3122857.jpg

by ygracia | 2008-07-24 03:12 | 今日のお話