神風が吹いても

認知症への対応が、このままではいけないんじゃないかという医師や家族が増えているとは思う。
その反面、もう、高齢なんだからこのままでいいじゃないの、という人、
ぼけちゃったもの、どうしようっていうの、という人、
検査や薬ばっかりでかわいそうじゃないの、っていう人、いっぱいいるわけで。。。

私が父の世話を必死でしたのはなぜだろうって考えた。

それは私がお父さんっ子であったことと
父は一生懸命生きて来たし、生きようとしていたから。

だけどフェルガードも知らなかったし、何にもできなかった。

したことは、レビーだから薬に過敏だと訴えたこと、
フリーズしても判断できないわけではないこと、聞こえてること、
そんな小さなことをただただ、わかってもらいたくて周囲に訴えただけ。
ただただ、父に良さげなことを探して、ドリルや体操や。。。

父も信じて一生懸命やってくれた。。

だけど生活改善や身体機能の改善はまったくできなかった。

車いすでも私を助けてくれた母が倒れてからは、もうどうにもならなかった。
日々の世話で追われた。。

でも、家族とね、一日でも長く、穏やかに、笑顔で暮らせたらいいなって思うんだ。
もっともっと父と笑いたかったと思う。

父の気持ちは。。。。。
2005年のこと

どんな治療を選んだとしても
介護されるひとにも介護するひとにも
穏やかな気持ちと笑顔が少しでも生まれますように。
by ygracia | 2008-09-12 01:43 | 今日のお話


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