2007年 05月 31日 ( 1 )

父が逝って半年

父が私の前から消えて半年が過ぎた。

最初の3ケ月は泣いていた。
夜になると携帯に残された父の姿をアップにして、泣いた。

5ケ月まで父に話しかけた。
お父さん、トラ(父の世話をした猫)がきたよ。
お父さん、ジュリだよ。ジュリはいつも遺影を見つめる。

どうしても記憶のなかから消すことができないのは
10月13日の入院の日。
起きれるはずのない、父がベットにすわった。
病院に、くりかえす熱の原因を調べにいこうと言ったら、「うん」と言った。
お気に入りの白いカーディガンをパジャマの上からはおリ、
リクライニング車いすに乗った。
私の車に乗せると、ウッと言って、くるしそうだったので
だいじょうぶ?と聞くと、はっきりと「だいじょうぶだ」と言った。

あの日、病院に行かなければ。。。。

在宅での不安にかられていた私。。
ほんの一瞬、訪問医では見切れないものもあると思った。。
吸引のために寝ていなかった私、疲れ果てていた。。
はっきりさせたい、どうしていいかわからない、そんな私がいた。。。
一瞬の迷いだったような気がする。。

入院してからの父の劇的な変化に私は大慌てになった。
在宅で看取ることを、考えているようで、まだ考えていなかったから
病院から連れ帰って、どこまでできるのかも考えつかなかった。
考えをまとめよう、決心しようとすると、父が変化してしまい、
連れ帰れない日々。
担当医のいろいろな努力(努力してくれたのだとおもう)がかえって
父を弱らせてしまった。
寿命でもあったのかもしれないけれど、家にいればもっと穏やかに
体も楽に過ごせたと思っている。
ただ私の中に、強さが湧き出てこなかった。。。。

父に尋ねた。
「お父さん、うちへ帰ろうか。木之下先生が見てくれるからうちでもだいじょうぶだよ。。」
強く言えなかった、自信がなかったからだ。。。

父が横向きになって、私の手をしっかり握りながら答えた。
父の答えはいまはまだ書けない。。。

私は何にも言えなくて、でも帰ろうって、だいじょうぶって言えなかった。

救いだったのは父は病院と先生を信じていたこと。
レビーだったはずなのに、とってもしっかり主張出来たこと。
最後の数日は、しっかり昔の元気な頃の父になり、
コミュニケーションもふつうになった。
父の最後のときのことは、まだ私の中でくすぶってるので書けない。。。

友が言った。
他の人の手で最後を迎えることになるより、娘の手で最後を迎えた方が
よかったのよ、娘のためにおとうさんはそう選んだのよ。。。
これで気持ちが楽になった。。

半年過ぎて、すこしだけ父のことにふれられるようになった。
 
お父さん、うちに居るなら、返事してって言ったら、
天井にはったままだった緑色のテープがひらひらと落ちて来た。
このテープは、まだ父が歩いていた頃、ベットの頭がどっちかわからないとか、
まっすぐねれないとかいうので、天井に目安になるように貼ったもの。
そのテープがとつぜん、ひらひらと落ちて、私の枕の上におちた、まっすぐに。。。

遺影の若いころの父が笑っている。
by ygracia | 2007-05-31 23:12 | 父と千の風