カテゴリ:父と千の風( 5 )

父が逝って半年

父が私の前から消えて半年が過ぎた。

最初の3ケ月は泣いていた。
夜になると携帯に残された父の姿をアップにして、泣いた。

5ケ月まで父に話しかけた。
お父さん、トラ(父の世話をした猫)がきたよ。
お父さん、ジュリだよ。ジュリはいつも遺影を見つめる。

どうしても記憶のなかから消すことができないのは
10月13日の入院の日。
起きれるはずのない、父がベットにすわった。
病院に、くりかえす熱の原因を調べにいこうと言ったら、「うん」と言った。
お気に入りの白いカーディガンをパジャマの上からはおリ、
リクライニング車いすに乗った。
私の車に乗せると、ウッと言って、くるしそうだったので
だいじょうぶ?と聞くと、はっきりと「だいじょうぶだ」と言った。

あの日、病院に行かなければ。。。。

在宅での不安にかられていた私。。
ほんの一瞬、訪問医では見切れないものもあると思った。。
吸引のために寝ていなかった私、疲れ果てていた。。
はっきりさせたい、どうしていいかわからない、そんな私がいた。。。
一瞬の迷いだったような気がする。。

入院してからの父の劇的な変化に私は大慌てになった。
在宅で看取ることを、考えているようで、まだ考えていなかったから
病院から連れ帰って、どこまでできるのかも考えつかなかった。
考えをまとめよう、決心しようとすると、父が変化してしまい、
連れ帰れない日々。
担当医のいろいろな努力(努力してくれたのだとおもう)がかえって
父を弱らせてしまった。
寿命でもあったのかもしれないけれど、家にいればもっと穏やかに
体も楽に過ごせたと思っている。
ただ私の中に、強さが湧き出てこなかった。。。。

父に尋ねた。
「お父さん、うちへ帰ろうか。木之下先生が見てくれるからうちでもだいじょうぶだよ。。」
強く言えなかった、自信がなかったからだ。。。

父が横向きになって、私の手をしっかり握りながら答えた。
父の答えはいまはまだ書けない。。。

私は何にも言えなくて、でも帰ろうって、だいじょうぶって言えなかった。

救いだったのは父は病院と先生を信じていたこと。
レビーだったはずなのに、とってもしっかり主張出来たこと。
最後の数日は、しっかり昔の元気な頃の父になり、
コミュニケーションもふつうになった。
父の最後のときのことは、まだ私の中でくすぶってるので書けない。。。

友が言った。
他の人の手で最後を迎えることになるより、娘の手で最後を迎えた方が
よかったのよ、娘のためにおとうさんはそう選んだのよ。。。
これで気持ちが楽になった。。

半年過ぎて、すこしだけ父のことにふれられるようになった。
 
お父さん、うちに居るなら、返事してって言ったら、
天井にはったままだった緑色のテープがひらひらと落ちて来た。
このテープは、まだ父が歩いていた頃、ベットの頭がどっちかわからないとか、
まっすぐねれないとかいうので、天井に目安になるように貼ったもの。
そのテープがとつぜん、ひらひらと落ちて、私の枕の上におちた、まっすぐに。。。

遺影の若いころの父が笑っている。
by ygracia | 2007-05-31 23:12 | 父と千の風

父のミサ

2007年4月17日、父は自分で建立したお墓にはいった。
大正8年11月17日に生まれ、昭和63年11月に建立、
平成18年11月30日に逝き、ほんとうに父らしく、計画的だ。。

あいにくの曇り空だったけれど、桜もまだ残る霊園に
親族も集まってくれた。
平日だった事で、きっと少ないと思ったのだけどみな来てくれた。
81になった叔母もきてくれた。
葬儀のときに連絡漏れだった母方の甥夫婦も来てくれた。
ひとりっこの私のために、みな来てくれた。

神父様も父のために一日をさいてくださった。

「千の風になって」を聖堂で流した。
私の好きな新垣勉さんの歌。
お墓の前でも流そうと思って、霊園の方にわがままいって、
電源コードまで用意してもらったのに、肝心のときにスイッチ入れるの忘れた。

父のために五日市の花泉さんにお花をお願いして、届いたお花は
ほんとうにきれいだった。
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遺影の父(65才のころの写真)もこころなしかうれしそう。
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前の晩、ひとり父と話をした。
まだ引きずっている、私自身のこころの痛みを話した。
まちがっていたのかな、ほかにやり方があったのに。。。
結局は父に甘えつづけた自分だった。
「おとうさん、どうしようか、おとうさん、もうできないよ、おとうさん、うち帰ろうか」
何度となく話しかけたことが、結局答える事のできない父に
苦しい思いをさせてきた。。
ごめんね、ほんとうにごめんね。

父の大好物のうなぎを用意した。
今日のはね、静岡からとどいた、上物のうなぎなのよ、
おいしいでしょ。

またお墓にももっていくからねと約束する。
父がわらった。

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ミサと納骨が1時からだったので、きっと皆昼食を抜いていると思い、
サンドイッチとおやつを用意。
サンドイッチはうちの近くのBread Farmにお願いした。
ミニクロワッサンハムサンドと、ミニハンバーガーが入っているランチセット。
これがほんとうにおいしくて、みな喜んでくれた。
ご主人、奥様、おばあちゃま、ありがとうございました。

墓前に集まり、納骨をすませたところで、ぽつり、ぽつりと
雨がふりだした。
皆には部屋に戻ってもらい、食事をしてもらっている間、
私と娘はアレンジのお花を取りだし、周囲のお墓に花束を分けていった。
上のほうにある、親類のお墓に娘が花をもっていったが、まわりのお墓にも
花売り娘のようにお花をあげながら、歩いていった。
みなさん、父を、おじいちゃんをよろしくお願いしますと言いながら。

私がすることがいっぱいあって、参列者のお世話ができないとき、
いとこの奥様が全部、お茶だしから洗い物からやってくれた。
唯一年下の鎌倉のいとこも洗い物片付けてくれた。

お菓子も大好評で、みんなリラックスしてくれて。。。

神父様のお話にもあったように、
父の人生が、その人柄と行いが今日、この場に集まってくれた人びとの
こころに生きている。。。
その思い出を思いおこしながら。。。ひとときを過ごした。

最後までおとうさん、ありがとう。。

そして4月17日は娘の誕生日。
娘にも感謝した。。
by ygracia | 2007-04-18 22:14 | 父と千の風

葬儀ミサ 告別式 12月6日 〜千の風になって〜

母は混乱した顔で「話が違うじゃない!」と言いながら、介護長と入って来た。
昨日電話して理解したとおもったのだが、やはり、自分の親がなくなった、
夫だというと、働き盛りの夫が亡くなる分けないと言う。
ホールでお化粧をし、第一礼装のベール付きの帽子をかぶって
母は昔のおしゃれな母になった。
棺につれていき、父の顔をみせると、一瞬息が止まった。
それから火葬の場まで母は母だった。
毅然とした母だった。

「千の風になって」という詩を神父様が引用した。
(あ〜〜遺族の挨拶、また変えなくちゃならないなぁ〜)と考えながら
なぜ、神父様の話とだぶるのかなぁと思った。

病院に通う車の中でこの歌を聴いたとき、
(あ、お父さんみたい〜〜)と感激したことがあった。
危篤になった頃だったと思う。

挨拶の中で、この詩のとおり、父は「風になる」と話した。
「おだやかで、さわやかで。。。。。おとうさんみたいだなって。。。。」
泣くまいときめてたのに、涙があふれて、
何回もさわやかで、おだやかでと言った。
父の大学の同級生という「ひとりのこっちゃったよ」と一生懸命歩いてきてくださった
Hさんが大きく、何回もうなずくのをみて、また涙が溢れた。

心穏やかに父を送り出したいと、挨拶を閉めた。

父の葬儀で、また人の輪がひろがった。
疎遠にしていた親類もこころおきなくはなすことができ、
兄嫁の聖歌歌唱には救われた。

多くの方にこころから、ありがとうを言いたい。
そして、この人の輪をまた作り直してくれた父に、
ありがとう、おとうさん!
by ygracia | 2006-12-08 08:27 | 父と千の風

通夜の挨拶 12月5日

母は通夜当日まで父の死を知らなかった。
朝、電話口にだしてもらうと、とても冷静で、教会に誰といくのか、
何時までに行くのかとしっかり訪ねて来た。

その母は喪主だったけれど、翌日の葬儀ミサ/告別式だけに参列した。

母の代わりに私が挨拶をした。
はじめは用意してあったものを話すはずだったのだが、神父様の
お話の意図と同じ感じがして、思うに任せて自由に話す事にした。
父への思いは強く、強く、湧き上がった。

まとめてあったものをここに書くけれど、
話した事は、父からもらった大きなメッセージと、父の最後の命をまっとうする姿
など、思いのたけをはなした。

遺族の挨拶
 本日はお忙しい中、父、岡村勉の葬儀にご参列くださいまして
ありがとうございます。喪主である母、岡村マサ子、高齢のため
かわりまして娘の私がご挨拶させていただきます。

父は11月30日、午後11時3分、孫娘の手をしっかり握りながら
静かに目を閉じました。肺炎で10月に入院。苦しい呼吸のなかで
父は「がんばる」と何回も申しました。その言葉の通り、何回も
乗り越え、11月には元気になって、帰宅の予定でいた矢先でした。

父の生活をサポートするようになって4年半になります。
私も一人娘で若い頃は両親の言葉に耳もかたむけず、すきなように
過ごしてきましたが、この4年半は父からほんとうに
おおくのことを学びました。
どんなときも決してあきらめず、命ある限り、前をしっかり見て
それでいて、穏やかに、人に愛されて人を愛し、
最後の一呼吸までしっかり力を出した父。
その父の生きる姿を私たち、家族はこころに焼き付ける事が
できました。そして大きな力をもらいました。
そしてもうひとつ、忘れてならないのは、父が危篤になって
高輪教会の古川神父様にきていただき、お祈りをしていただいた
あとの父の穏やかさとこころの強さです。
亡くなる寸前まで、付き添いさんの冗談に笑い、孫息子を叱り励まし、
孫娘の話に耳を傾け、
そして、父が私をいたわり、自然に祈りの道へ導いてくれました。

今日はみなさまのご参列に感謝し、
心穏やかに父を思いたいとおもいます。
ありがとうございました。

挨拶はこのようにまとめていたけれど、話した事はほんとうの父の姿、
神父様のお話のなかの「手紙」「生きる道」ということばに
父の姿を思いながら、参列者が父を思い出してくれて、
そんな時間を作ってくれた事に感謝しながら挨拶をした。
by ygracia | 2006-12-07 19:50 | 父と千の風

報告

父 11月30日 午後11時3分 永眠

がんばって、がんばって、がんばって最後までがんばりました。
by ygracia | 2006-12-01 04:01 | 父と千の風

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


by ygracia
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