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レビー小体型認知症に思う

ちっとも進まない原稿に、「力尽きた。。。」なんで思いながら、
自分のブログの過去記事に目が止まった。


家族会をやっているとレビー家族の起こしやすい混乱や脱線を目にすることがある。

診断されると、すぐ治療して、少しでも良くしたいと思うのは当然なのだが、
「お母さんにどうしたいの?」って聞きたくなる。

薬、薬でまた症状が複雑になったり、医師があまりレビー得意じゃないと、
薬で起きた症状に、また薬を使うので、どんどん悪化していくか、症状がコロコロ変化し
大混乱になって行く。

初期だけでなく、いつか薬を止めるときが来るんだけど、そのときも家族は迷うし、
まだまだできるって思うのも当然。
だけど、「何をしたいの?」

過去記事の中にヒントがあった。

おとなしいほうがいいのか、元気なのがいいのか
悩んだけど、父らしいのならやっぱり静かなほうだ。
ネオドパストンだけで適度に身体もやわらかくなり、
コミュニケーションも取れてたのだから
それでいい。
まだほんとに元気で動けるならアリセプトもチャレンジするけど
もうその時期は過ぎたような気がする。」

アリセプトが初めて処方されるとき、先生が言ったことを思い出した。
「まだご自分でいろんなことをなさりたいという意志が見えるし、
残存能力がたくさんあるから、試してみましょうか。
でもこの薬で治るのではなく、1日でも長く、自分を保持して
家族と1日でも長く過ごせるようにするためですよ」

そして、父にはミラクルといわれるように、効いて、ふつうの日々が
戻った。
しばらくして、涎が多くなり、本人も困って
「どうにかならないかな」とマスクをしたりしていた。
そしてまたしばらくすると、動きが鈍くなり、身体が硬くなり、
パーキンソンの症状が強くなってきた。」

今の現状を言うと、服用する薬の説明がちゃんとされていない本人と家族がまだ多い。
薬の機序を書いたリーフレットを渡される人もほとんどいない。
アリセプトが悪いわけじゃない。

本人に認知症薬を飲んだあとの感じを聞くといっぱいしゃべる。
「頭が締め付けられる感じ」
「頭と気持ちがバラバラな感じ」
「目が回る」
「ふらふらする」
「足が動かない」
「気持ち悪くなる」
「胃がもたれる」

レビー小体型認知症(レビー小体病)は多くの方が薬剤に敏感である。
アルツハイマーと違って、レビーは最期まで連続した医療のサポートが必要なので、正しい理解と最低限の知識は
家族も持っているべきだ。
また症状は非常に広範囲であるので、youtubeや認知症関連サイトで解説されているレビー小体型認知症やその対応が
すべてであると思わないでほしい。

10年たって何が変わったのか、、
ま、興味を持つ人が増えた、早期診断ができるようになった、とわかるが、
まだまだ適切な治療には程遠いのが現実だ。。

それぞれの生き方と、それぞれの治療選択。
先生も聞いてくれてるはず。
「どうしたいの?」


さて、原稿書き。。。

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by ygracia | 2017-10-22 10:30 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

生きること

私のボランティアは日本にやってきた外国人の子供たちに日本語を
教える、ということから始まった。

海の向こうにいるときは、ビジネスウーマンの日本語家庭教師として
少しやっていたので、この募集にはすぐ飛びついた。
なんでもすぐのめり込むのも私の弱点。
すぐに、資格を取る気になり、普通の資格試験じゃ物足りないから
大学に戻った。
40代での学生生活、眠気と戦うことから始まり、これを精神力で克服。
絶対眠らないって暗示かけたら寝なくなった。
若い人が勉強しないのを見て、俄然奮いたっちゃった。
夫も学費出してくれたり、子供たちはお母さんが大学生になったと
いうので、応援してくれてた。

日本のボランティア団体は、やっぱり島民精神というか、島国なんだなあと
思うことばかりで、素敵な先輩を清い目で選んで、ついていった。
今も地域の集まり見てても、やっぱり脱却しない日本人精神がりっぱに
息づいている。良くも悪くも。

その中で病院通訳兼日本語教師もした。
ひとりではできないこと、たくさんの壁にもぶつかったけど、
誠心誠意やり尽くした。
命と向きあうボランティア。

父がレビー小体型認知症になったことで、私の人生は大きく動き出しちゃった。
たまたま声をかけてきた介護家族の方が近隣だったこともあり、それなら
と乗り出したら、とうとう10年の月日が。。

昨年大きなフォーラムをした後、私は大きな壁にぶつかった。

私は一番になるためにこのボランティアを続けてきたわけではない、
私は目の前にいるレビーの家族とその後ろにいるレビーの方たちを見つめてきただけ。
まだまだ理解されないレビーだから、勉強しないといけない、情報も持たないといけない、だから一生懸命、自分の頭以上のことにも取り組んできた。

欲も何もない。
欲があるとしたら、すこしでもレビーの方と家族が気持ちよく過ごせるようにしたい、
ってことだ。

そんなこと考えてたら、私、私自身の人生、どうなってるんだろうって、
考えだした。

ボランティアに生きる人も多い。

だけど、ふっと思った。
自分の人生、しっかり立て直さないと、あと20年生きられないかもしれないのに、
今のままじゃだめだと。
一番愛する家族と、猫たちと、穏やかな静かな日々を守らないとって。

不思議なもので、そう心が決めたら、家族のどんなSOSも自然に受け入れている
自分が戻ってきた。

今年もまた新しい人たちと出会い、また新しい人生の側面ができた。
ミラーボールの一面一面のように、、
人間、いろんな面があって当たり前、死ぬまでにこのミラーボールの
新たな一面がいくつか輝き出すのかなとも思う。

格言はあまり好きじゃないけど、
マザーテレサが言ったことば、
「幸せになるために必要なものは、それほど多くはありません。
幸せのハードルを上げすぎないようにしましょう」

ハードルあげない幸せ、、

ハードルあげて飛ぼうとする自分を考え直さないとならない。

シンブルが一番だけど、シンプルになれない私。
冬物だそうとあっちこっちあけたら、断捨離しなくちゃならぬと
気がついて、部屋の中がめっちゃくちゃ。
それなのにブログ書く私、、
やっぱりダメだわ。。。

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by ygracia | 2017-10-21 15:56 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

病院風景

毎月1回病院へ行く。
今年、あまり乗らなくなった愛車を手放したので、通院もすこし億劫になって
いる。
なんとなく電車に乗ってでかけたものの、慣れていないから乗り過ごしたり、
歩きまわっちゃったり、着いた時には血圧あがってる。。

病院は見ているのは好きだ。
母が看護婦だったこともあるし、両親介護でいやっというほど病院通い。
家人が大病したときも病院通いが嫌じゃなかった。

人間ウォッチング。
認知症の両親介護の経験から、どうしても神経内科や内科や整形や、眼科や
受付や、困っているようなお年寄りには目がいってしまう。
ボランティアさん、何してんの!と怒鳴りたくなったりする。

神経内科から入院中の患者さんが出てきた。
看護師が「〇〇さん、病棟からお迎えが来ますから、ちょっとここで待っててくださいね」と言うと
「え、病棟? 私入院なんかしてないわよ。病院なんかかかったこと一度もないんだから!」
「・・・」
「病気なんかしたことない、医者知らずなんだから」

可愛い花柄のパジャマで叫んでいた、お年寄り。

待合室、大事そうに茶封筒を抱えている超高齢のおじいさん。
なんども立ち上がって、不自由な足を引きずって、窓口に行く。
「すみません。ここで待っていていいんですか?」
「はい、先ほども言いましたけど、まだ前の患者さんが4人いらっしゃるので、
もう少しお待ち下さい。」
「・・・」
しばらくすると、おじいさん、不安な顔で、また同じ質問をしに行く。
苛立つ職員。。
通りかかった別の窓口の職員が、倒れそうに歩くおじいさんに寄っていった。
「だいじょぶですか?もうだいぶお待ちですよね。ごめんなさいね。
あとどのくらいか、もう一度聞いてきますね」
戻ってきたこの職員、「次ですよ、すぐ呼ばれますから。良かったですね」
おじいさん、「ありがとう」と言って、診察室に入っていった。
ちょっとした出来事。ちょっとした気づき。ちょっとした気遣い。

支払い終わって、待合室の横の休憩所に行く。
車椅子の中年女性。。
向かい合わせに夫がいる。
「死にたい。。」妻。
「?死にたいの?そんなこというなよ」
妻「死にたい。。」
不自由な身になった自分を受け入れられないのだろう。。

家人の病気で死が目前に来た時に、私もドンと落ち込んだが、
その時の気持ちを思い出してしまった。

夫と娘に付き添われてきた女性。
綺麗に着飾っている。
入院患者さんだ。
気持ちはどこかへ飛んでいる感じ。
家族は疲弊している。
たいへんだなあ。。

ほんの数時間の間にいろんな気分になってしまった。

次回はあまり周囲を見ないほうがいいのかもしれない。
気がつかない人になりたい〜〜

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by ygracia | 2017-10-15 01:08 | 気まぐれなお話 | Comments(2)

いつかは

7日、午後3時。12才のしまこ(男の子)が亡くなった。
この子もうちの庭で生まれた子。
子猫のときに兄妹2匹を家に入れたのだが、いろいろあって、リリースするしかなかった。それから数ヶ月後に兄だけ保護。妹は見当たらなかった。。
そんなこともあり、人間不信だったかもしれない。
家に入り、一緒に保護したうしくんと仲良くして去勢手術も受けられたのだが、
病院で何があったのか、帰ってきたら極度の人間嫌いに。。
私が動くとすぐ隠れてしまう。
家庭内野良猫だ、と決めつけてしまった私。。
だけど、ときどき現れてはらんちゃんやうしくん、ルーと仲良くしていた。
病院にはその後一回しか行かれなかった。
そして12年目にはいり、顔をみると、あごが膨らんでいる。
なんとかおっかけて捕まえて、さわってみると嫌な予感。
数年前にこのしまこの母親を最期のときに保護して家で看取った。
彼女は口腔内にできた腫瘍で闘病していた。
しまこ、4月に病院にかかり、週1回の通院。検査もせず、手術もやめた。
腫瘍ができた子はこれで3回目。それぞれの生き方を見てきた。
なのでしまこにはやっぱり自由に過ごしてもらうことを決心した。
有機ゲルマニウム(前の子たちに非常に効果があった、痛みを生まない、だるさなどを軽減している、ガンの成長を少し抑えるなど)と消炎剤、抗生剤の注射と服薬のみの治療とした。
最初はおっかけまわしてなんとかキャリーに入れた。
ある日、うしくんがやってきて、追いかけまわされるしまこに噛み付いた。
何かを諭すように。
するとすぐにしまこは静かになり、抱き上げてキャリーへ。
その日以来、「病院でみてもらおうね、お薬もらおうね」というと静かになった。

状況は、落ち着いていてた。
あごの骨の外側に広がった腫瘍、だんだん、少しづつ大きくなってはいたが
食事形態も変えながらしまこの好きなようにさせていた。

熱を持つ腫瘍を冷やすためか、玄関の石の上で寝ている。
玄関での感染も怖いので、家人たちには玄関の使用を一部に禁止し、
靴は手前で脱ぐ、玄関を毎日掃除、除菌。
しかし、人の気配がするとすぐ逃げるしまこ。
落ち着けるはずがない。

居間にも来なくなった。
ケージを用意したが、入らない。
一度軟禁したら、大暴れ。
腫瘍を怪我することが怖いので、あきらめた。

好きな場所が古い洗濯機の下。
暗くて涼しいからか。
しまこがいないときに大掃除したりした。

9月半ばになり、動きが鈍く、食欲が一気にへって、体重も減ってきた。
1階のケージに寝かせてみた。
静かにしている。ドアは開けっ放しにして自由にさせたがあまり動かない。
10月2日、診察。
補液もして、その日はからだも楽そうだった。
3日、呼吸の乱れが見えた。
私が用事で留守にするので、娘に会社を休んでもらった。
自分で2階に行き、うしくんたちと挨拶。
いつものご飯の場所で、娘にご飯を催促。
好物を出したが、食べることはできなかったそうだ。
階段を降りようとする前で倒れる。
しばらく休んで自分で階段を降り、ケージに戻ったという。

私が帰宅して、ケージに手を入れるとゴロゴロ言っている。
今まで薬を飲ませる時も病院に行く時も私を怖がっていたのに、
ゴロゴロ言っている。
撫でまくってあげた。

でも病気になってから、「お薬飲むよ〜」っていうと、ちゃんと決まった場所に
入って待っていたしまこ。

5日から呼吸の苦しさが目立つ。
縦になっても横になってもすぐ苦しくなるので眠れないようだ。
すこし体を支えてあげたり、娘がたくさん作った猫枕をしまこ自身が
うまく使って呼吸を整えている。

猫には良くないと言われるアロマも使った。
前の猫たちの時も、医師の考えも聞き、使った。
今回はイランイラン。
フラワーエッセンスは「イルカ」を選んだ。
しまこの小さい時のトラウマなどを考慮した。
アロマもフラワーエッセンスも闘病中はほんとに効果があった。
しまこの気持ちが落ち着いていくのを感じた。

7日朝から、苦しそうで、眠ることができないでいるしまこ。
なんども体を支えて起こしてあげた、そのまま顔が落ち込んでくるので
猫枕で支える。

あぶないかもしれないという時間がやってきて、しまこを支えながら
声をかけると返事をする、尻尾をわずかに震わせる。
私のほうが確認するためになんども呼んでたら、最期は振り絞るように
きれいなしまこの声で鳴いてくれた。実は腫瘍が大きくなってきて
声帯を圧迫してるようで、最近はダミ声になっていたのだ。

しまこが自分で楽な体勢を見つけて、ほっとしたように眠りだした。
1時間半くらいは寝ただろうか。
私も安心した。
しかし、目覚めたとたん、また呼吸の苦しみが始まる。
体を支えるために腕を貸したり、いろいろしていたが、ちょっと落ち着いたので、
私はトイレへ。
すぐ来るからね。
トイレからダッシュで戻るとケージにぶつかりまくっていたしまこ。
すぐ抱き上げたが失禁。
呼吸が止まった。
すぐ、腕を持ち上げたり、胸を軽く叩いたり。。
ガスがなんどか出てきたので生き返ったと思ったが、、それは
呼吸できていなかった、、あかし。。のガス。。

心臓はしずかに止まった。。

いつもの霊園で葬儀をお願いした。
お骨がやっぱり若い。
足の長いしまこ。。

しまこがうちに来た時、私は父の介護がいちばん大変だったときで、
気持ちを向けてあげることができなかったのかもしれない。
もっともっと、人から愛されることを教えてあげなければいけなかったと
心から思った。
私の代わりに、トラやうしやらんちゃんが世話してはくれてたけど、
もっと体のことも気をつけてあげなくちゃいけなかった。。

大好きだったらんちゃんのとなりに並んだしまこ。
きっとゴロゴロいってこっつんこっつんしてるだろうなあ。

しまこ、ほんとにありがとう。

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by ygracia | 2017-10-11 15:10 | 気まぐれなお話 | Comments(1)

こころで

時間もお金も余裕があったわけじゃないけれど、前から予定していた旅に出た。
友人ふたりと話す、ために。

レビー小体病の医療とケアがいつまでたっても広まらない、かわらない現状に
やっぱり介護者が余計な回り道をしないで済むように、本人がより良い時間を
続けられるようにと仲間とはじめたボランティア家族会。
来年はまるまる10年活動してきたことになる。

10年。
ありきたりだけれど、長いような短いような。
しかし、明らかにレビーを取り巻く状況は少しづつ、ほんとに少しづつだけれど、
変化してきている。

一方で、相変わらず、間違った診断、処方。
またレビーなのにそれをもっと複雑にしてしまう認知症診断が増えたり。

家族側も勉強していなければ、またいろんな例を聞いていなければ
そのまま、医師の言う通りに治療を進めていく、これも一向に減らない。

一方で疑問を持つのは良いことだが、勝手な解釈や中途半端な支え方で
すべてを悪い方向に持って行ってしまう家族も多い。

人間それも運命、価値観の違い、その本人と家族の歴史、そう言われてしまえば、
私たちが悩むことではないのだけど。

認知症の家族会はどこにでもあるけれど、レビーは「認知症」とついてはいるけれど
ちょっと違う認知症。普通の家族会に参加しても、なかなか話が通じないことで家族も不完全燃焼となる。
そして本人は記憶障害がない、体調不良がある、そういう日々の変動がほかの認知症の方々に通じなかったり、集まりの場では「僕は君たちとは違う」と場を離れることになったり、遠慮して自分の変化は話さないでいる、という方もいた。

私の父が最初に診断されたときの診断名は
「びまん性レビー小体病」

認知機能障害もでてくるとはいうものの、最期の最期まで父は父であったし、
小さな声ではっきりしない口調だけれど、父は発信していたし、家族はそれを
理解できていた。
体調不良や不可解な行動は当然出現し、それに振り回されたのも本当。
だけど、いつも感じるのは「お父さん、わかってる、何でも」ということ。

今までに参加してきた家族たちの声もこれだっった。
「だってわかっているんですもの。普通なときのほうが多いんだもの」
だから、何とかならないんだろうか、なんでこうなるんだろうか、レビーって
一体なんなんだろうか。
医師は「認知症」「薬剤過敏があるし、薬は出さない、ケアで乗り越えて」「とても効く薬をだします」「検査入院で徹底的に調べましょう」。。。

そしてその通りにして行ったら、本人、家族共々に疲弊していく現実。

私たちは医師を顧問にはおかなかった。
確定された治療法がないときに、医師を置くことはかえって医師だのみを増やすと思ったし、
とにかく病院も医師も治療方針もすべて違う、家族たちの話をみなで聞いて
それぞれの選択肢を増やせる場にしようと考えた。
ケアの基本はいつの時代でも変わらないけど、そこにレビーエッセンスは
必要だから、本人の心地よい、生きるための時間を作れるようにと
みんなで話し合ってきた。
主役は家族と本人。家族の向こうにいるそれぞれの本人をみんなが思い浮かべて
話してきた。

いろいろな変化を経験しながら続けてきた会も後を引き継ぐ人はいない。
私たち自身が100人きたら終わりにしようなんて言ってたくらいだから。

10年の年月はやはりとっても大きい。
私たち自身もそれぞれの人生のソフトランディングを考えなきゃならない年齢。

私たちのボランティアはレビーの歴史のほんの通過点にすぎない。

今、目の前に苦しむレビーの本人とその家族が、いつも華やかな楽しそうな
集まりからこぼれ落ちていることも知ってほしい。
藁をもつかむ気持ちで家族会に参加する人々は具体的な「希望」や
できるかもしれない「試み」をひとつでも得たいと願っている。

私がレビーに関する活動で、最後にしたかったのは、レビーに関わる医師たちの討論会。研究発表会ではない、意見交換会。
系列?に関係なく、いろんな分野から、集まってもらって、
平行線で構わない、先生たちのレビーに関する意見を聞きながら、
もっともっと多くの医療者や専門職や、もちろん一般人も家族も
すべての人たちがレビーに関心をもってもらえたらと思っていた。
しかしこれは大それたことだと周囲からは言われてたし、
きっとこれからそういう講演会や機会は増えてくるのだろうと感じている。
ひとつの治療傾向に偏らない、医師間の暗黙のマナーにつぶされない、
遠慮のない、そんな自由な討論会を願っている。

と、書き続けたけど、10年の家族会の体験談は膨大だ。
症状の変化、薬の作用、ケアの種類、涙、笑のエピソード、
本人の真実の声。。
データもない、
ランセット的なエビデンスもない、
医師でも信用してくれない、
だけど、ほんとに論文だしたら、すごかっただろうとつくづく思う。

なんだか目に見えない誤解も受けた。
みんなが傷ついたこともあった。
そんなことより、やっぱり、家族と本人の「今」に
わたしたちは寄り添い続けた。

10年。
今、できること、今の自分たちの役割は何か。
そして卒業への道はだんだんはっきり見てくるのかもしれない。

二日間の旅で、日常を離れてそんなことを考えていた。

東京に戻るや否や、
ガン闘病中の飼い猫の最終章に入り、レビー家族のSOSに応える。
これは今の私の役割。




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by ygracia | 2017-10-06 12:08 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

4年ぶりに〜

帰ってきました、古巣に〜〜。

Facebookで情報発信?してきましたが、ほんとに情報のルツボというか、、大渦巻きみたいで
疲れてきました。
いらない情報が入ってくるし、澄んだ気持ちでいたいのにズカズカ入ってっこられる感じもしたり。
素敵な情報はどんどん流れていくし。

仲間を増やししていき、それが実になり、多いに活用されることもあるけど、
ちょっとお疲れ。

だから古巣に戻ります〜

この数年間は私にとっては、社会勉強の時間でした。
いい大人がって思うけど、本来私は好奇心は人一倍あるけど、のんびり、なまけものだったので、、社会の刺激は大きかった。

人と人の誤解。
私がいちばん耐えられないこと。
だけど、人間社会、どうしても相容れないときってあると思いました。
ぜんぶがつながるわけではない。

でもこれからも私はいつも人を信じ、生き続けるのだと思います。

我が家の猫は家猫7匹、外猫5匹。
がん闘病中の12才、15と16の老猫グループの世話、
病気の外猫の世話。
愛を平等に撒くのは大変なんですけど、夫は一番後回しということで、
なんとか頑張ってます。



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by ygracia | 2017-10-02 12:40 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

神さまは

私はカトリックだけど、教会に通う人ではない。
信者とは言えないって言われそうだけど、それでもいい。

生まれながらのカトリック環境に居て、父は旧教と言われた時代に
自分が赤ちゃんのときから信者で、いろいろ考えさせられたから
宗教は判断できるようになったら、自分で選びなさいと育てられた。

ただ、父と祖母はそのことで、いつも言い争いになっていたのは
子供心に覚えている。

それでも父は頑として、幼児洗礼は受け付けなかった。

だけど、祖母の手にひかれて、いつも教会にいて、
神父さまの礼服のサラサラとした感触、凛としたミサの声、聖歌、
お香のかおり、マリアさまの顔、キリストの顔、
木の椅子、みんなが触る聖書、、綺麗なカード、パン、葡萄酒、
すべてが身体に染み込んでいった。

だからカトリックの中にいたから、何も迷う事なく
グラシアという名をいただき、(洗礼証明書にはイタリア語のグラッチアと書いてある、
ずっとグラシアと呼ばれ続けてるけど、、、)
だから細川ガラシャと同じ。。と思いながら。。信者と思い、過ごして来てる。

教会にはたまに行って、まずは神に感謝をして、私の父母を思い、
世の中を思い、大きな声で歌を歌い、知らない人と挨拶をし、
神父さまのお話がいつも自分のその時のテーマと一致するのが
フシギだなあとか思い、
こんなに人がいるけど、人間は孤独とか、どうでもいいこと考え、
アメリカ人のパーティのように、初めて会う人となぜ気軽に話さないのか
とか、仲間意識の強い教会の空気にちょっと辟易としながら、
知ってる顔は今日はいないとか、、、ま、みんながそれぞれに
幸せならば、いいとそそくさと帰って来る。

昔はシスターもいて、みんなをつなぐ存在だったなあと
シスターの姿が見えなくなった事がすごく悲しいと思ってる。

スペインに留学し、先生の指示通り、修道会本部の教会に行った。
シスターと話ながら、階段を登ろうとしたとき、階段横の石の床を
磨く若いシスター(エルマナ、まだ修行中のシスター)がいたので、
声をかけて、挨拶をした。
沈黙の行ではなかったと記憶しているけれど、
シスターにすごく怒られた。
この子は掃除をする子で、あなたと話せるような相手ではないと
言われた。ほおっておきなさいと。
スペイン語が理解できなかったわけじゃない。
尊敬すべきシスターがそう言ったのだ。
そのとき、西洋でのカトリックの歴史、修道会の歴史、
いろんなものを最確認することになり、
一遍に全てを許せなくなった。

だから教会の歴史はヨーロッパにいる間にしっかり
勉強はできたけれど、ミサにでるのは旅先や、散歩中や
出会った場所だけ、、となった。

それでも人生の中で、次々と不思議なことに巡り会い、
教会から離れることがない。

お世話になった神父さま、シスター、思い出せば
ほんとうに大勢。。

最後に会うべきだったと心から、、反省していることもある。
シスターアンパロ、シスターモンセラート、
コックス神父さま。。ドミニコ会のドイツ人神父さま、、
古川神父さま、、

今日は会いたかった人に偶然か、お互いに思っていたのか、
ここで、こういう風に私がスケジュールを変更しなければ
ここで、車をあっちに走らせたら、、
絶対、会えなかったはずなのに、家の前で会った。

彼女もなんとなく、自転車で寄り道してみたそうだ。

とにかくお互い元気で、がんばってるのが確認できて、
また、自転車にのってさっそうと飛んで行った彼女を見送り、
あ〜〜〜

神に感謝。
偶然っていえば偶然、、って普通は考えるんでしょうねえ。。


母が生きていたら90才の誕生日、母は今の私を見てなんと言うんだろう。。


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ということで、このブログ、設定画面に入れなくなりました〜〜
私のパソコンのプラウザが古いので、シャットアウトされてしまうとのこと。


「気まぐれなお話」をいつも読んで下さってありがとうございました〜

またいつの日か〜

このブログを開設して、2度目の

アスタ、マニャーナ、また明日!!
by ygracia | 2013-10-01 02:21 | 気まぐれなお話 | Comments(2)

10月2日ためしてガッテン

10月2日(水)
NHK『ためしてガッテン』でレビー小体型認知症が取り上げられます。
私たち、東京ゆるゆる組、おしゃべり会ネットワーク、その他のレビーの
方々、家族、みんなが応援団となり、協力しました。

これが、また第二段階の「レビーの夜明け」になるように願っています。

Kディレクター、私たちを忘れないで!!

ためしてガッテン
http://www9.nhk.or.jp/gatten/schedule/index.html

(facebookに投稿)
by ygracia | 2013-09-26 00:48 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

RUN伴東京〜〜無事終了

ま〜〜〜楽しい1日だった〜〜〜
おばちゃん、やせるどころか、ふとっちゃったみたい〜〜
どうしよう〜明日からまたがんばってダイエットだ〜〜

なんか、世の中捨てたものじゃないとほんと思う。

私たちが思い悩み、なんとか良い方向へと考えて来た事は、
必ず、次の世代が引き継いでいくんだと、つくづく思った。

この襷のように。

商店街練り歩きは、社会を思い知らされた〜〜〜
うまか棒のおまけつきの認知症フレンドシップクラブのちらしを
道行く人に渡すのも。。た〜〜いへん。
今日参加した、仲間の女優さんでもた〜〜いへん。
あ、でもジャニーズとかAKBならだいじょうぶか。

認知症という言葉で、え、という人がほとんどだけれど、
それが世の中、でもそれでもいいんだと思った。
だから、今日配った紙をどこかで目にしてくれたらそれでいい。
小さな活動だけれど、十二分の意義があると思った。

もう、恐いもんはないぞ〜〜みたいに入れそうなお店には入って
チラシをもらってもらって〜〜
でも、わかるなあ、ヒトの反応。

ドンドンと、オレンジTシャツで入って行ったら、
え、宗教団体?、え、押し売り? え、ヘンなおばさん?

今、お客さんがいるから、、困ります〜〜

良くわかります、、当然。

そこの○○ホームから来たんですというと、あっさり、あらそう。

これこそ、地域活動だ。

整骨院、薬局、喫茶店、洋服店、居酒屋さん、個人経営も
ちょっと、そうじゃないお菓子屋さんにも堂々チラシ渡したけど〜〜

で、明日からはいつもの常連客に戻る〜〜平気な顔して。

とにかく楽しくやろう、が良くわかったなあ。

ねりまチームから襷がつながれたときは、やっぱり感動。

仲良しさんもふたり走って来た。
Eさんはランナーなので余裕も余裕。
「ジョギンク教えますよ、やる?」

ひぇ〜〜できるわけないって。

でもRUN伴事務局から、サンダルの私を見て、
「あ、走る気ないでしょ、10メートルでもいいのに」
って言われちゃった。(10mも走れません。せいぜい5mです)
走れる人しか走れないと思ってたけど、おばあちゃんでも襷つなぐんだからねえ。

Mさんからは、来年に向けてRUN伴ダイエットしません?って。

走らない、絶対、壊れる。

介護士さんも息子さんと走ったり、ほんとに楽しそうで、実況中継ほしかったあ。
その間、走らないチームはおいしいおにぎりを食べてリラックスしてたんだけど〜〜

来年はみなさんのご参加をお待ちしております。

認知症フレンドシップクラブ品川、
近々、地元にて、新企画で活動開始しますので、
お楽しみに。
近隣サポーターも募集しています。

とりあえず、私、今日参加のおばあちゃんふたりに続き、
上から4番目の年齢でした〜〜

楽しかった〜バンザイ!!

写真はFacebookで。

なぜか、エイエイオーでグーじゃなく、パーだしてる、ヘンなおばちゃんだった==
私って、どこかそういうとこあるんだよねえ。。同じ事しないんだ、、、やあね〜〜
by ygracia | 2013-09-23 00:49 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

認知症フレンドシップクラブ「RUN伴」

認知症フレンドシップクラブ「RUN伴」で

Facebook
https://www.facebook.com/dfc.japan

RUN伴 紹介記事

今年も北海道から出発。
感動と笑顔がつながっています。 


品川チームは

9月22日(日) 13時から14時くらい

武蔵小山商店街から戸越銀座商店街

を歩きます♪



オレンジのTシャツが目印
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お時間ありましたら、ぜひぜひいらしてください。

走る人たち、歩道がせまいところが多いけど、気をつけてがんばってください!!

品川区内で襷を受け取り、
環7通って、246二子玉川にて襷を次のチームへ。
246を町田へ向かって走ります。
沿道での応援よろしくお願い致します。

ルートはこちら
http://runtomo.jimdo.com/ルート/関東/
品川チームは走りのあと、武蔵小山商店街へ(目黒線)

by ygracia | 2013-09-10 00:11 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


by ygracia
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