カテゴリ:母の記録( 96 )

第五日目

今日の母はつまらなそうだった。
私が腰を押さえながら、世話しているのを見て、
気がひけたらしい。。
トイレでおパンツをあげるときに、私は中腰ができない、
だから部屋まで戻って、ベットサイトで立ってもらって
パンツを直す。
昨日の午後からこういう風にやり始めたら
母が心配しだしたわけだ。
私を心配するというより、自分はまた病院にいかなければならないと。

母なりにいろいろ考えているのだろう。
なんだか悲しい。

今日は一日、笑うことがなかった。
ホームならだれかが笑わしてくれる。
そんなこと考えた。。

施設間で引き継ぎがあり、こんどの施設の人が
「手のかからない人」と判断したらしい。
なんだかいやな気分になった。
手のかからない人か、どうか手抜きされませんようにと、
祈るしかない。

実際、在宅でも不穏がなければ、トイレ介助、食事介助、
着替え介助、血糖値測定、血圧測定、インスリン注射、
あとは寝っころがってるだけだから、たしかに
手はかからない。

でもなんでこんなに疲れちゃうのだろう。
ソファにすわると、すぐ眠ってしまう。

母をリビングに連れて来てしまえば、すごく楽かもしれないけれど、
家族が休めなくなる。
そして、母が
「ごはん、もってきてくれるんでしょ、わたし、移動できないからね」
と階段下で宣わった。

明日は母が笑うだろうか。。
by ygracia | 2007-08-30 23:22 | 母の記録

第三日目と四日目

やっぱり、理想どおりにはできない。
理想で動くこともできない。
理想は理想。

何言ってんだろう。

かなりお疲れの私です。

母はマイペースでなんていうことなし。

昨日は病院で待てなくて、何人何人とか、あの人後からきたのにとか
うるさかった。
でも先生の顔をみたとたん、ちょー元気に挨拶。
先生も母の変化に喜んでた。

三日目は病院だけで母は満足。
寒がりもせず、ブラウスだけで外出出来た。不思議。

野菜料理がよかったのか、うん○が大量にでた。
薬いらなかった。
でも好きな物もあげてたら、たとえばカルピスソーダとか、前日の
お寿司とか、朝はトーストとジャムとか(ホームではパンはでない)
フルーツゼリーとか。。。
そして一番悪いことは食事の時間帯がホームとはまったく異なって
いることで、血糖値が上がってしまった。

糖尿病食でしっかりやらないとやっぱりだめだ。。

先生によると時間帯や、ストレスなどでも血糖値あがるそうだ。
あ〜〜あ。

またホームに入ったら、きちんと管理されるからいいか。。。

四日目、私はというとなんだか眠れない。

母は多重人格みたいなそうでないような。。ほんとに難しいものだ。
混乱しているときの母は目の周りが茶色くなっている。
落ち着いていて、母の人格があるときはいい顔色。
脳の状態で顔つきも顔色もかわる。不思議。

食べ方やいろいろいうから、「うるさい」人となった私。
あいかわらず、「てっちゃん」コール。
大きな声だ。

私を睨むので、娘におやつをもっていってもらう。
ローズヒップのジュースをおいしいといってのんでたらしい。

健康な生活を管理することって、大変だ。

何がいちばんたいへんかって、食べることと出すこと。
これにつきるかも。。。。。。

母、自分でぱじゃまに着替えてた(上だけだけど)
えらい。

娘のおともだちのわんこ〜〜〜

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by ygracia | 2007-08-29 20:13 | 母の記録

第一日目

介護?じゃない、母のお世話の開始。

母はちゃんと理解してて、今週数日家にもどったら、
またホーム(病院と思ってる??ちょっとだけ違うかもと思ってるような。。)
に戻るのよね、というので、今度はここには戻らないので
あたらしい病院にいくからと知らせる。
ちゃんと挨拶してね、というとわかったという。

介護長が、また帰って来てねというと
しばらく考えて「わからないね〜」と答えたけど、
母も寂しさを覚えたらしい。
担当ヘルパーのH君が自転車で飛んで帰って来た。
「間に合った!」と叫んだ。
母と手をとりあって、涙ぐんでお別れをする。

「介護士やめないでね」と私がいうと
息子くらいのHくん、「がんばります!」と答えてくれた。
仕事を始めた頃は、こころもとなさそうな表情だったのが
すっかり明るく、しっかり頼りがいのある顔に変わっていた。
男性が少ない施設で、ベテラン介護長に育てられて
信頼されることで、どんどん伸びたように思う。
すごいな〜すばらしいな〜と感動した。

車の中で母が言った。
「みんな、戻って来てねっていうけど、困ったね。
いい人ばっかりで。みんな私の部屋にくるけど
いなくなったら、みんな驚くんじゃないかしら。」

「あたらしいとこには、ちゃんと言ってあるの?」
「大丈夫、ちゃんと見て来たから」
「じゃ、だいじょうぶね」

車をおりて家にはいるなり、トイレ介助で
私は汗をしたたらせながら、着替える間もなく
どたばた。
父のいなくなった部屋も模様替えしてしまったから
昨日、シュミレーションして、トイレのときは
リハパン、パッドはどこにおいておけば楽とか、
いろいろ考えてたので、ま〜ま〜スムーズ。
ただし、食事のほうがどたばたになり、
時間がなくなったのでお寿司をとる。
初日でこれじゃ、どうしようもない。
すっかり狂った夕飯まで母は好きなようにしていた。
自分で私の着物雑誌を取り出してみてたのにはびっくり。
母も着物が大好きだった。。


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母が帰って来てあれもこれもしてあげようって思い過ぎで
実際は半分もできない。
だから出来るとこだけ、に考え直した。

今度は土曜日までいられることに嬉しそうな母。
「ゆみこ、早く良くなってね〜」

猫たちにエサをあげながら、楽しむ母。

何と言ってもうちがいいんだよね。

だけど、すでに、腰と脚に痛みが走るわたしなのだ。。情けない。
by ygracia | 2007-08-28 01:57 | 母の記録

第二日目

夕べはうとうとしただけ。
母は10時に就寝。
よく眠っていた。
私はなんだかんだと2時にベットへ。
ふと見ると母がもぞもぞしているので
トイレに行くか聞くと
「夜はとっかえなくていいよ、これからずっと」という。
でも大洪水になるから寝たままパッド交換。
ほとんど眠ってる。
私がふ〜〜とため息ついて眠りにおちる瞬間、
母が起きた。
車いすにすわってる。
母がいるときは机のライトをつけてあるので薄明かり状態。
観察してたら、あたりを見渡し、何か考えている。
でしばらくみてたら、そのまま眠り始まる。
声かけてベットに戻したけど、完全に眠りのなか
体も力がはいらないので、移動が大変だった。
で、しばらくすると、また起きる。
で車いすにすわる。
寝る。
ベットに戻す。
ほっておいてもいいのかもしれないが
汗もかいてるし、車いすで寝てたら風邪引く。

で、朝は熟睡してるので起こせないから家事をして、
9時過ぎにやっと目が覚める。
血糖値はまあまあ。

今日一日、認知症症状に振り回された。

こどものようになる母。
ホームにいると思っている母。
ご飯やおかしをせがむ母。

「すみません、降りて来てください」と階段にむかって私?を呼ぶ声。
「おくすりください」ご飯のことらしい。

毎食後、寝て10分もたたないうちに、
必死の形相で
「ご飯食べていない」
食べたでしょというと、「ああ、よかった」

リハパンの銘柄をかえたら、股擦れをおこした。
アズノールをぬっておく。

朝一でシャワーをあびてもらう。
拒否なく、自分で顔も頭も洗っている。ふわふわと。

私は寝不足とふらふらの腰でばあちゃんのように歩いてる。
まるで老老介護だ、これじゃぁ〜〜〜
by ygracia | 2007-08-28 01:57 | 母の記録

Second Stage

2005年2月28日、予定通り、母をくるみクリニックへ。

MRIの画像に映った母の脳は素人が見てもわかるくらい、縮んでいた。
老人斑とかは素人だからよくわからない。
でも明らかに父よりもひどい。
脳梗塞のあとは去年のところのおおきいのだけ。
父のように細かくはない。

ラクナと海馬の萎縮。
アルツハイマー型痴呆。

母はあいかわらず、自己中心で病院スタッフに早く診察してくれと
せがんでいた。
あの、今にも倒れそうなため息と手をふるしぐさ、
看護師さんも「横になりますか?」と何度も聞いた。
しかし、母はその一方で病院内の様子を見ている。
まわりの患者の動きをくまなく見ている。
その表情が怖かった。

リスパダール2分の一錠飲むようになり、頻尿騒ぎがすこ~しおさまった様な気もする。
しかし、前より眠っているかも。
今まで、眠っていなかった分寝ているかんじ。

100引く7をやってみた。
1分くらいで93が出てきた。
93-7をやってみた。
ずっと考えている。
途中でどうでもいいと言った。

7つの単語をやってみた。始める前からそんなのわかんないと言った。
聞いてもいなかった。

3月10日、3時のおやつのジュースを持っていくと、
ご飯を食べてないと言った。
始まった。
by ygracia | 2005-03-10 15:33 | 母の記録

母の記録Ⅰ

経過

2004年10月22日、朝、母が車椅子にしがみつくようにして、床に座り込んでいた。
娘を呼んできてすわりなおさせて、話をすると目を合わせないが普通に返答していたので
気にもせず私たちは外出した。

夕方帰ってきて母の様子をみるとほとんどうつらうつらしている。
食事もほとんどしない。

どうやらインシュリンも打っていないみたいだし、薬も飲んでいないようだ。
あわてて、たずねると打ったかどうか覚えていないと言う。
しかたないので明日からにしようと薬とインシュリンをあづかった。

この日まで母は自分ですべて管理していた。

母の様子がおかしいとおもいながら、救急車をいつ呼ぶか考えていた。
24日に救急で昭和大学病院へ。
おかしいんだと訴えたものの、血圧も正常でこれといった所見はないと若い女医さんに
言われ帰宅した。

その後あまりにも食事量が減り、インシュリン調整に困ったので
昭和大学病院のN先生に連絡。
すぐに入院のつもりで来るようにと言われて、雨の中車椅子に母を乗せて
歩いていった。
長年母を見てくださっている先生「これはたいへんだ」
すぐ母の変化に気がついてくださった。

そしてまず、内科で入院、翌日は神経内科に転院。
脳梗塞だった。


変化

入院中は母の顔つきがよその人になり、私は動転した。
母じゃないのだ。
見たことのない母の横顔に困惑した。

名前も生年月日も夫の名も、私の名前も孫の名もねこのなまえも
忘れたのに、娘婿の名前はしっかりおぼえていた。

練習させたので、名前と生年月日はすらすら出るようになったが
再審査にきたケアマネさんがやっぱり気がついた。
年齢がでてこないのだった。
そういえば、いつも59歳とか65歳とかいっていたが練習してなかった。

家に戻って、しっかりするかと思ったらもっと意識の混乱がひどくなった。
自分の姉と姪たちの名前しか出てこない。
人を呼ぶときはすべててっちゃん。
わたしのことを娘だとは思っているが名前はわからないという。

細かいものの名前も忘れた。
サンドイッチはパン。
イヤホーンは磁石とかくろいもの。
なにかを急いで言おうとするとなにをいっているのかわからないくらい
あせって言葉がただの音だけになる。だだぐぐげげ・・というふうに。

喜怒哀楽がないのに、怒りだけが目立つ。
トイレ回数が多いので夜だけパッドにする約束をしても
夜中に騒ぐ。
たのむからパッドにする練習してみてというと
「覚えてなさいよ!」と鬼のような顔をする。

人づきあいがよくて、明るい母が消えた。
いつも私や孫を心配する母がどこかへ行ってしまった。

by ygracia | 2005-02-02 22:31 | 母の記録

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


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