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在宅介護の現場から

父を在宅介護して。。と言っても同居してて、いつごろから世話をしなくては
ならなくなったのか、はっきり言えない。
寝たきりの状態になってからはよそから見たらそんなに長くはない。

母の方が先に網膜剥離や、手首骨折や、いわゆる看護が必要だった。
それが在宅介護の始まりなのか。
そして認知症と診断されても、レビーの父は、わりあいしっかりしていたから、
それを受け入れることがなかなかできなくて
在宅介護と意識できなかったのかもしれないな。

運動不足や森林浴が足りないかと、なんとかADLを下げないようにと、
夏の朝、早くにタクシーに乗せて、近くの森林公園へ出かけたこともあった。
木々の緑も気持ちよく、都会の真ん中だけど空気もすんでいて、さわさわと
いう心地よい音に囲まれて、父もベンチで深呼吸していた。
連れて来て良かったとおもったのはその瞬間だけで。。。
帰りは歩けなくなった父。
父自身がくやしがっていた。
なんとかだましだまし歩いてもらって、タクシーをつかまえた私がふりかえると
電柱にしっかりだきついている父の泣きそうな顔が。。いまでも忘れられない。

在宅介護が始まった時、私は何にも想像していなかったし、知らない事ばかりだった。

自分なりに考えて、お手伝いしてくださる方々のやり方を参考に、父らしくすごせることを
第一に考えて、なんとか続けていた。

終末期は自分との闘いだったと思う。
父は生きていて、命があり、それをしっかり胸に抱え込んで、ふんばった。
ADLもQOLも関係ない、まるごと命と、父の意思だけが存在した日々。

ひとそれぞれの在宅介護。

知らなくてもいいのかもしれないけれど、知ることで辛さがすこしやわらぐのも
事実だから、在宅介護のいろんな情報、見てほしい、考えてほしい。

在宅介護の現場から
医師の目からのブログ。

在宅介護でかならずぶつかる、「誤嚥性肺炎」のことなど、知っててほしい。

グループ医療への道




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by ygracia | 2009-07-02 19:46 | 介護に思う | Comments(3)

認知症の告知

こてつさんのブログを読んで、父のことを考えてしまった。

父母と同居を始めたのは16年前。
母が網膜剥離をして、家事の負担が大きくなってきた
のと、夫の両親も亡くなり、夫自身の決心もついたことが重なり、そして念願の
同居が始まった。

もちろん父も母も元気で、私はいっぺんに甘ったれの一人っ子に戻り、
好きなようにさせてもらった。家事はどちらかというと母がやってくれたような。
子供のことも父母がいるから、安心して、私はボランティア活動に
うつつを抜かしていた。
父も体調が悪いときは、自分で病院にいき、全ての手続きをしていたから、
白内障の手術につきあったのと、ほかの検査の結果を聞きに行くのに、
同行したくらいで、一人娘としてはかなり呑気にやっていた。
同居前父が腎臓ガンの手術をしたのに、それほど大騒ぎもせず、
心配もしなかったのは、父がすごく落ち着いていて、告知も一人で
受けて、私にも手術さえすればいいんだからと、あっけらかんと
していたから。
その後の検診も一人で行き、3年たった、5年すぎた、と
お祝いし、まったく不安感を見せなかった。

そんな父が初めてみせた弱気は、自分のコントロールができなくなり
鬱状態になったとき。
「どうしてやる気がでないんだろうか」

日曜日には日曜大工に、園芸。
ウィークデイは会社顧問として仕事に行き、机にすわっているとおもいきや、
営業といっしょに、会社回り、また技術者と現場まわりで、現役時代と
同じ仕事をしていた。
リタイア宣言をしたのが80歳「もういいだろう」と。
それでも会社から相談電話が絶えず、結局ちょこちょこ会社に
出かけたりしていた。81歳になるころに完全にリタイア。
その後も自分で区報を見て、何かに応募したり、シルバー大学も続けていた。
それがすこしづつ、すこしづつ、変化してきていることに
私はまったく気がつかなかった。

脳血管性痴呆(当時)と虎ノ門病院で診断されたとき、
父には外で待ってもらって、私だけが聞いた。
だから父は「痴呆」と言う言葉は聞いていない。
私が父に伝えたのは「小さい脳梗塞のあとがちょこちょこあるんだって、
でも年相応だから、普通にしてていいんだって。」
父も納得して脳の血流をよくするからとサアミオンをしっかり飲んでいた。

それでも鬱っぽい状態が消えなくて、私は叱咤激励。
父はそれに応えようとがんばってくれた。

いろんなことがあり、パーキンソンだと言われて、父は自分で首をかしげた。
「パーキンソンの友人がいるけど、ちょっと違うけどなぁ」
そしてパーキンソンの薬で父が廃人になりかけ、違うと確信。

西村先生のくるみクリニックの初診で、レビーとわかり、
そのつぎのときだったか、忘れたが、父が「何の病気だ?」と
聞いたような気がする。
「レビー小体というものが脳の中にできて、それが
悪さをするんだって、分かって良かったよね。お薬も効くし」
やっぱり認知症という言葉はださなかった。

自分があなたは「痴呆症」です、って言われたら、ぜったいいやだから。

父は素直に受け入れて、それ以上私に質問しなかった。
アリセプト効果もあったし、鬱も脱却して
デイサービスにも楽しく通えるようになったからだろう。

幻視がひどいときも本人は夢みたのかもと、思っている段階は
せっせと素直に薬をのみ、いたって元気だった。

はっきり言って、レビー小体病だから、いっしょに戦いましょうというのは
ありえないだろうと思う。
もしかして治験に積極的に参加して自分を実験台にしてこれからの人々の
ために役立ててくださいという人がいるかもしれないけれど、
そういう精神状態になれる人がいるかどうか私には今はわからない。

もう80年以上生きてきて、自分はなんとか生きている、レビーだか
なんだかわからんけど、治るものかどうか、すこし不安だけど、
こんなものかと思っている人がほとんどじゃないかと思うのだ。

じゃ、アルツハイマーです、と言われたら?
若年性アルツハイマーの家族会(ご本人も含めて)の座談会
傍聴させていただいたことがある。

ほとんどが働き盛りの年齢。
ご自分の病気をしっかり受け止めているけれど、コントロールはできない。
それをサポートするのが家族であるわけだけれど、その苦しみ(あえて
苦しみといわせて)は、計り知れない。

若いからまだ人生の道が半分だから、きっと努力する余力もあるし、
必要性もあるのじゃないだろうか。

もし私が、今、あなたはレビーです、と言われたら、
実態を知って、残された時間をどう過ごすかと計画したとして。。。

レビー小体が、あたまのなかにある限り、自分でコントロールできないんだから
だったら、自然に過ごすのがいちばんいいや、って思うだろう。

明日死ぬのか、来年か、10年後かそんなこと、わからない。
レビーであろうが、アルツであろうが、病院でたとこで、交通事故で
死ぬかもしれないし、インフルエンザで死ぬかもしれないし、
階段おっこって、頭打って死ぬかもしれないし。。。(表現悪くてごめんなさい)

虎ノ門で診断受けたときに、先生が言ったことば
「ふつうに生活してください」

私が言う、「どうしたらいいですか?」への答えはいつも
「ふつうに、自然に生活してください」
だった。

この言葉にいらだち、レビーと診断されてアリセプトで快復したときは
「努力できたのに、直せるのに」と思い、反感持っていた。

でも在宅介護を終えて、思うこと。

「ふつうに生活してください」

ご飯を食べて、寝て、笑って、薬飲んで、ご飯食べて、ちょっと家族とけんかして、
寝て、夢見て。。。ご飯食べて。。。寝て。。。わらって。。。。
そのふつうの生活の中で好きなことができるなら、家族の力を借りて
やってみよう。。。
やりたいことある?って聞いてみたら、やりたいことあるよって
答えてくれるうちに、できるときにやってみればいい。。
ご飯食べて、寝て、薬飲んで、やりたいことやってみて。。。。

家族が必死になりすぎて、本人を振り回してしまうこともある。

また本人がどうしても病気に関して納得したいというなら、共に
戦ってもいいとも思う。

それを見極めるのは家族、いちばんそばにいる介護者しかいない。

いのちまるごと引き受けるのは、ほんとに大変なこと。

赤ちゃん育てるのは未来と夢と希望があふれる。

人生の終焉を迎える人のいのちを引き受けるのは自分のいのちもけずること。。。

父の引き出しを片付けていたら、メモがいろいろ出て来た。

「アルツハイマー病。。。。脳の中に。。」
父がテレビ番組でみた内容を書いていた。
レビーと診断されたあとの頃だと思われる。

父が何を思っていたのか今はもうわからないけれど、
最後まで生きようと力を振り絞っていた父には
レビー小体型認知症はまったく関係しなかった。

在りし日の父、ジュリと。。

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by ygracia | 2007-12-17 00:22 | 介護に思う

がんばらない介護

鎌田先生が「がんばらない介護」を提唱されて随分立つけれど、
私自身、「がんばらない」なんて絶対ありえない、
そんなことしちゃいけないってずっと思っていた。
がんばらなくちゃ、一体誰が何をしてくれるっていうの、
私しかいないじゃないと、いっつもいっつも思っていた。
がんばらないなんて、いけないんだって。
先生がおっしゃる意味は「がんばらないであきらめなさい」
ということではなくて
「あきらめることじゃない、希望をすてることじゃない、ちょっとリラックしながらいこう」
という意味。だけど、これがなかなかできない。

私だって、どうにもならなくて周囲の手を借りるようになり、
その輪に安心してまかせられるようになったと思ったとたん、
父は逝った。
でもやっぱり頑張り続けたかったかもしれない。

母は昔入院して、同じ部屋の方にいつもこういっていた。
「私はね、がんばるっていうことば、きらいなのよ」
「なんで?」
「頑張るって、実は我を張るっていうことじゃないかと思うから。
我を張ってもいいことないじゃない」
「へ〜〜」
「もちろん、頑張ってもいいのよ、でも我を張りすぎないようにしながらね〜」

私はいつもこのシーンを思い浮かべる。
骨折を繰り返し、車いすで退院するときの母。
そのあと、自分なりのリハビリで杖で歩けるようになったんだけど、
またすぐ骨折。その後完全に車いすになった。

頑張らない介護、
私はこの先生の話が好きかも
「がんばらない」っていうのは以外に大変なこと

私はやっぱり「ふんばる」同盟かも。
足がぶるぶる震えてもふんばらざるおえない、
踏んばり棒をしっかり握って、ぶるぶる震えて進む、
そんなんかもなあと思っている。

今週は鎌田先生のお顔を拝見できそうなので楽しみだ。
by ygracia | 2007-05-08 00:26 | 介護に思う

介護技術

都合でヨガをお休みしたら、体調が番狂わせ。
自分でヨガで集中するものの、眠れない。
来週からまた体調調整をしなければならない。

眠れない中、ネットサーフィンをして気がついた。
介護の世界もずいぶん変化して来ている。
介護日記も若い世代が目立つ。
レビーの診断を受けた介護家族、すでに情報を得ている人が多い。
すごい進歩だ。
また思うところがあってGHを作ってしまった人のブログとか、
介護職の若者のブログとか。
遠慮しないものもあって面白い。

団塊の世代が要介護者になる時期ももう目の前に来ている。
戦後の新しい教育のもとでそだった人間、自分の意志も、意見も
はっきりと持ち、情操面でも自由を味わいながら生きてきた世代。
確実に今とはだいぶちがう質の高くなる介護が要求されてくるだろう。
人間の尊厳の確保は当然であり、それ以上の質を提供するためには
やはり、新しい技術や知識が必要になってくる。

ホームヘルパー2級講座も「介護職員基礎研修」という名で今年から
質の高いものへ移行したと思ったら、今年3月発表の法律案で
これは含まれず、介護福祉士を受験する資格はもっと実務3年以上
、2年以上の養成施設卒、さらになんだかわからないけど、
それ以上に600時間の養成課程も課せられるようになるらしい。
介護職員基礎研修は存在するけれどその先に進む人への
メリットはないようだ。
せっかく新しい知識を得るため、レベルアップのための
開かれたルートだと思われたのに、残念なことだと思う。
これではますます介護職につく人は少なくなる。
だいたい、国の考える事はいきあたりばったりみたいで
おかしい。
ともかくヘルパー2級はしばらくは廃止されないだろう。
そんななかで、すこしでもレベルアップしてもらいたいと思う。

介護技術や介護理念がどんどん進む中、このごろ良く聞くことば。
「バリデーション」

私たち家族は自然に身につけていたかもしれないけれど、
ここでおさらい。

私も母が脳梗塞のあと、認知症を発症し、数日で母が別の人になってしまったとき、
この悲しみは口では言えなかったし、心の傷も深かった。
話はできる母と対峙して、母ではない母を母に戻そうとやっきになった。
たたきあったり、けんかしたり、鬼娘と怒鳴られながら、涙が乾く暇もなかった。

父は徐々に進行していったこと、またレビー小体という奇妙な病気だったから
父の人格と存在を感じながらあわてふためきながらも私の辛さは
母と面しているときとはまったく違った。

母に愛された分、母の変化を受け入れられなかった。
今も多少。。。

こういうなかで自然に出来てくる心の交わし方、躱し方、がある。

これが「バリデーション」だったわけだ。

母の気持ちに共感し、寄り添い、受け止めながら、心を通わせるということ。
こちらの都合や、筋をおしつけなければ、母と平和でいられる。

☆方法
○相手の動きや感情に合わせる
○過去に一緒に戻る
○本人の言うことを繰り返す
○事実に基づいた言葉を使う
○反対のことを想像する
○目をみる
○ときにはあいまいな表現を使う
○はっきりとした低い優しい声で話す
○満たされていない欲求に目を向ける
○好きな感覚を用いる
○ふれる
○音楽を使う

在宅なら家族は自然にこれができるようになるけれど、もし仕事だったら、
この方法に、もっと精神の集中と、話し方、声のトーンとかいろいろ
加わってくると思う。また介護される人の人生もかかわってくるし。
情報収集も必要になってくる。

介護職の人たちのブログなんかにも、アイコンタクト、リフレージングとか
レミニシングとか、バリードしたとか、出てくるようになってるけど、
心から理解して使ってほしい。

母が父の遺影を指して、言った。
「ゆみこ、お父さんの写真、黒いリボン外しなさい、いつまでもかわいそうでしょ」

母が母だった。
by ygracia | 2007-05-06 18:07 | 介護に思う

介護職の人へ

在宅で限界を感じ始めて家族が頼れるとこというのは老人向け施設であるけれど、これがなかなか家族の願いと一致するところが少ない。
都心は賃貸にしろ新建設にしろ、土地もなければ、経費もかかるから数も限られてくる。
ウイークリーマンションを借りての経営なんていうのも存在するのだ。
営利目的はどっちにしても一番だろうし、規定最低限の人数でやっているわけだ。

介護職を真剣に目指してやってくる若者もまだいる。
しかし雇う側は資格がない大人をパートで雇い、即戦力として使う。
若者は面接の段階から、ことば使い、礼儀もろもろ教えなくてはならなくて
即戦力にならないからだ。
そして、この真剣に介護の仕事をしたい若者は心やさしくて、
お年寄りにはとても純粋に接して、持って生まれた感で、接しているから
お年寄りは心地よく感じている。
でも施設としては、ほかにも仕事があるわけで若者には早く大人になって
もらいたいのだ。
パートのおばさんたちは経験から覚えた対応で、お年寄りが認知症であろうが、
なかろうが取って鍛えた杵柄でなんなくこなし、ちょっとトラブルあると、
しかたない、年寄りだからということになる。
ストレスのやり場に困って、車いすを乱暴に扱ってしまうこともあるだろう。
ヘルパー2級の講習で覚えたことはある程度役にたち、それ以上の
向学心があるかないかは本人次第というところなんだろう。

人にはそれぞれ置かれた位置と範囲で自分の使命を果たすようになされている
と思っている。だから人と人が支え合って生きていくわけだ。。

先日母のケアマネとゆっくり話した。
施設では施設長と相談員と担当介護士と話すだけだったので
この方は初めて。
でも施設の裏方の立場としてまとめているのは伝わった。
ただ家族というのは、わかってくれたという錯覚から安心しきって
話してしまうけれど、介護職側は全部を理解しているわけではない。
ここでまた詳しい説明を執拗にしてしまう自分に多少嫌悪感を持った。

母は相変わらずマイペースで、居室がいちばんらしい。
レクにもでるけれど、お伺いをしないて、連れて行っちゃってくださいと
お願いした。
行けば楽しくやるのだから。
母は行動的な人間だった。向学心も人一倍強かった。
習い事はかならず、師範まで行き、その後は研究し、
お茶(裏千家)とお花(華道表現派)はうちで教えた。
洋裁が大好きで母の前にはいつも裁縫箱があった。
父の背広も孫息子のタキシードも縫った。
網膜剥離をやってからも縫い続けた。

そんな話をしていたら、ケアマネがやっぱりお家の中に静かにいるほうが
お好きなんでしょうというのだ。
母は外出が大好きだったし、今もデイとかじゃなければお出かけが好き。
先日もサファリパークに連れて行ってもらってこれは忘れていない。
ここから、また母の人柄を一口で伝えるのが難しいとつくづく思った。

歌を歌い続けるおばあちゃん、
こんにちは〜と言うと、歌いながらにっこりして、こんにちは〜〜と答えてくれる。
きちっとした身なりで毅然とした学校の先生のようなおばあちゃん、
こんにちは〜〜というときちんと会釈して、はい、こんにちはと言ってくれる。
仕切り屋のおばあちゃん、わたしを見て、「ほらほらあの人の娘さんね、
来たわよ、教えてあげないと」とひとり気を使っている。

みんなどんな思いでいるんだろう。

お年寄りを大事に思ってお仕事されていると信じているけれど
介護職の人びとがもう一歩前進してくれることで
介護家族はもっと安心できるのだ。
学ぶことも必要だし、技術も必要。
認知症ケア専門士ももっと必要だと思っている。

経験からだけで判断するのではなく、研究心も持ち続けてほしい。
ただし、介護家族に負けまいとして専門用語をふりまわすのだけはやめて
もらいたいけれど。。。
介護家族は経験から学んだ物で裏打ちされているから妙な自信も
あるし、それが全てではないとわかってるけど、ついつい
全てであるかのように自信をもってしまうから、
経験がすべてではありませんと、毅然とした態度の取れる介護職で
あってくれると頼りたいと思うかも。。。

どちらにしてもやっぱり人間性、穏やかでたおやかで平和で、その中に
裏付けされた強さがある人間、迷いもあるだろうけれど、
一生懸命が伝われば、家族も安心できるんだから。
自分が一番と思っていても、それも自分の経験や習癖から生まれて来たもので
けっしてそれがすべてではない。

理想ばっかり言ってしまうが、今介護職についた若者たち、
お仕事はすばらしいものです、いい先輩を見つけて、
いろんな事学んでほしい、お年寄りも宝の宝庫です、
精気を吸い取られるかもしれないけど?若さで乗り切って
お仕事続けてほしい。がんばって。
by ygracia | 2007-05-04 12:09 | 介護に思う

介護する人へ

junkoさんのブログを読んで感動した。
これこそ、私が介護してくれる人びとに知っててもらいたいことなのだ。

介護される人にも家族にも安心を与えてほしいんだ。

みなさんも読んでください。

〜笑ってなんぼの介護福祉士〜
5月1日 
質問にお答えして
by ygracia | 2007-05-01 20:56 | 介護に思う

認知症って

NHKの朝の番組で認知症の特集をやっていたらしい。
野田さんのところにも取材があったから、いろんなケースを紹介するのかと
思っていたら、再現ドラマ風だったらしい。
見てないからわからないけど。

この前も金スマで、安藤加津さんの再現ドラマをやってたけど
ちょっとみてすぐチャンネルを替えてしまった。
彼女の本は何回も読んで心境が自分と全く同じだったから
テレビでそのシーンが目にはいったとたん、胸が痛くなった。
いやだ。

私の場合、母の骨折から介護というものに入ったのだけど、
気がついたら父の変化に翻弄され、突然母までもどこかへ
行ってしまい、ふたり介護に気が狂いそうになり、
まだこれから勝負だと考えていたら父が逝き、
やっぱり納得いかないうちに親の介護から放されたと感じる。

だから”認知症とは?”なんていう番組は見たくないし、
腹もたつ。

たしかにみんなの理解の上に介護がなされることはとても大事だが、
認知症にならないという保証があるわけでもなく、
なりたくてなるわけでもないのだから、はい、こんなんですよって
言われると、すごく腹が立つのだ。
わたしだけかもしれないけど。。。。
私が思うに、再現ドラマよりも、認知症の正しい情報、脳のしくみ、
栄養素の問題、現在の研究状況、そんなものを伝えて、
体験談は著名人で、介護経験者が多くいるのだからそういう人の
話でもいいと思っている。
介護は百人百様だけど、あ、こんなとこがおんなじ、とか、あ、こんな工夫が
あるんだとか、そういう小さな安心感を感じられればいちばんいい。
修羅場をみせることもないとおもっているし、まして
認知症になった悲しみなんか、写さないでほしい。
不安や、悲しみでいっぱいのお年寄りを見る痛みってないんだろうか。
もちろん、アルツハイマーを宣告されて、自分からその変化を発信するかたも
いるけれど、それはまたひとつの生き方。
言いたいのは、見せるために番組を加工しすぎないでほしいということ。

いま思うのは、父が自分の変化に気がついて来て、不安だ、悲しいと
どうしていいかわからないとときどき言っていたことに
私はちゃんと対応できていなかったのではということ。
父のそれまでの人生に合わせて、もっといろんなことができたのでは
とやっぱり自問自答している。

レビーがこの1年でずいぶん浸透してきたけれど、
じゃあ、レビーに対応してくれる、理解してくれるどんな方法があるんだ、
どこで、どんなことしているのかって言われたら、あまりわからない。
レビーの家族が、一応に研究熱心で一生懸命なのは
レビーにかかっても、やっぱりおとうさんであり、おかあさんであり、夫であるから
スイッチオンのときは、いつもの父や母や夫なんですって、
どうしても伝えたくなるからなんだろうと思う。
でも医師のほとんどはこう答える。
「レビーですか、それは大変ですね、ご家族での世話はむずかしいでしょう」

そうレビーは認知症のなかでも精神障害が著しく、重篤な状態に早く陥ると
されているから。。。
うちの場合、たしかに展開ははやかったけど、最後まで父だった。
アルツの母はやっぱり母ではない。精神的には母の介護のほうが
ずっと辛いのだ。。。。。

だからさまざまな認知症があること、介護は百人百様であること
そして「お年寄りの尊厳」をなにがなんでも守っていかなければ
いけないこと、そんなことをメディアで知らしめてほしいのだ。。。


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by ygracia | 2007-03-27 00:59 | 介護に思う

介護には

人の生き方、皆違うように、介護のかたちもみんな違う。

親を看る子
子を看る親
夫を看る妻
妻を看る夫
他人を看る人

母を看る息子
父を看る娘

家族全員で看る家
ひとりぼっちで看る家

もう考えたらきりがない。

でもただひとつ、このまなざし。。このこころ

  ただ、アルツハイマーを宣告された日から今日まで、私と母は布団を並べて眠ってきた。母の顔を真横に見ながら眠れる。これが最高なのだ。 野田明宏

これが介護にふんばる人々の「こころ」なんだ。





by ygracia | 2007-02-17 17:16 | 介護に思う

病院

父の痰も少し治まってきたような気がする。
でもただ、固くなってはりついてるだけかもしれないけど。

昨日は午後からケア・ワーカー(付き添いさん)をお願いして、
いつものMさんなので、父もすこし覚えたらしく、いい顔してた。
やはり、べてらんなので、ぜんぶお任せで私自身も落ち着く。
私の洗濯物まで干してもらって恐縮。

さて、先週父の状況が悪くなったときに、入院先をどうするかで
悩んだ。
いつものE病院に関しては、PEG関連は24時間受け入れ。
だけど、それ以外に関してはなにも保障はない。

父がずっと通っていたのはT病院。
ここはちょっとしたことでもいつも入院できた。
長年公務員だった父はわきめもふらず、母が近くに変えたらといっても
T病院に通い続けた。
82歳になって、私はようやく父についてT病院に毎月一緒に行くようになった。
というのは、病状を父が言わないのでそれを聞くため。
泌尿器科の先生は若い頃から父を見てくれて、腎臓癌を見つけてくれたのも
彼で、いつも父を自分の親のように心配してくれていた。
でも別の病院に移り、来てもいいといわれたけど、父は
T病院に通い続けた。
私の一存で病院を変えたことでいま、父にはかかりつけの病院がない。
入院できる病院がない。

いろんな人に聞いたけど、やはりない。
気持ちよく入院させてくれる病院は、つまり戻ってこれない病院ばかり。

訪問診療の先生もコネクションがないから、病院の紹介はしない。
なにかあったら、救急車ということだ。
訪問看護のナースはてっきりE病院にかならす搬送できると思ってたという。
チーフは、E病院から指示がでて、訪問はじめたのだから、E病院が
受けるように確認してみようと言ってくれたけど、むずかしいだろうな。

訪問診療の先生が、わたしが落ち込むようなことを言った。
先生は父と私をおもっていってくれたのだけど。
要するに、先生は訪問専門であちこちとびまわっているし、
緊急時にすぐにこれるとは限らない。
父はレビーの問題より、内科的な問題のほうが大きくなってるから
フットワークの軽い、近所の先生に変えても言いと。
ところが、訪問のナースに聞いたところ、近所の先生だって
24時間いつでも来てくれる人はいないって。

私はレビーをわかる、訪問の木之下先生を選んだのだから、ずっと
先生にお願いしようと決めた。
緊急時は救急車、それでどこへ搬送されようと、それがそのときの
父と私の運命だと考えようと決めた。
by ygracia | 2006-09-23 09:08 | 介護に思う

施設経営者、施設勤務者に物申す

介護家族が休むためにショートステイにいってもらうと
必ず、状態が悪くなる、というのは皆知っている。
それでも家族は休みをとるために、ほとんどあきらめの気持ちで
本人を送り出す。
心の中であやまりながら、送り出すわけだ。

はっきり言って、こんなばかげた話はあってはいけない。
だって、施設はプロ集団のはずなのに、なんで状態が悪くなって
帰ってこなくちゃいけないんだ。

今日も父の水分補給に行った。
そっくりかえった父は喉がガラガラいって、うがい状態。
口の中は口蓋に粘膜がたまり、舌のおくには痰がガラガラと
あぶくが出ている。
もう、すぐに吸引の支度。
夜勤の介護士がやってきてタンが多いのでガーゼで拭きました、とのたまう。
ムカッときたけど、そんなことかまっていられないので吸引開始。
取れた取れた。ものすごい量。
話では1時間前に取ったと言う。

父は「生き返った」と言った。

夕べせん足状態だったので、クッションをいれてといったら、
多すぎて、父はまた身動きできず、悪戦苦闘の状態だった。
なんで、その人のその人の状態読めないんだ。
マニュアルどおり硬いクッションを足元に入れたら、足がつまっちゃうじゃん。
褥創予防のためにクッションいれるのはいいけど、
ひざ下両方にいれたら、動けないでしょうが。
完全寝たきりじゃないことはわかってるはず。

オーラルバランスも同じ。
あれだけ、随時塗ってといっても、何にも減ってない。
今日など、たなの奥にあった。

着替えもそう、着替えお願い(1日のめりはりがつく)と言ったけど、
1晩目は、入所したときのシャツのまま。
2晩目は昼間用のシャツはそのまま、1日、パジャマ。
3晩目は昼用のランニングに長袖パジャマ。大汗かいてる父。
結局、夜の半そでパジャマに着替えさせたのは私。

ひとりひとりの介護士が一生懸命なのはわかるけど、
マニュアルどおりじゃだめなのだ。
利用者ひとりひとりを的確に判断、処置できる能力を磨いてよ。
もっと、もっと勉強しろよ。
介護家族のほうが数段うえだよ、技術だって、精神面だって。
プロだったらもっとがんばれよ。もっともっと勉強しろよ。

夜勤の人数だって、30人はいるだろうところに2人しかいないなんて
ありえない。
私が父の吸引をしている間に隣のベットのおじいさん、起こしてしまったらしく
ひとりでトイレに行った。
私も注意してみてたがちゃんと行って、戻れたけど、
スタッフが気がついたのはおじいさんがベットに入ろうとしてたとき。
これじゃ、転倒したって気がつかない。

お給料だせないのか、夜勤の介護士、増やせないのか。
こちらは支払ってる費用だって以前よりずっと増えたのに。
なんとかできないのか。
横浜のとある病院は赤字覚悟で介護士、看護師を増やしている。
どんどん見習うべきだ。

今夜の隣のおじいさんは硬直した体をどうにかしたいとため息。
当たり前だ。
寝かせてあげたときに、どうしてギャッジアップを少しでもしてあげないのだ。
寝た状態でいちばんいいのは、たった時の姿勢のまま、ベット上に
寝ることなんだ、そんなことも考えたことないのか。
高齢者がオペラ歌手のようにりっぱな姿勢でたってますか?

父の褥創見てないけど、おそらく悪化したと思う。
また背中もあやしくなっていた。
エアマットの使い方もまちがっているのだから。
エアマットは原則としてうすいシーツ、1枚で使用するのがいいのに、
シーツ、防水シーツ、などゴロゴロしたものばかりひいてるから、
背中にしっかりシーツのしわのあとがついてた。

もっと安心して預けられるショートステイを作ってほしい。
介護家族のためと、何よりも元気で1日、1日、大切な日を
おくっているお年寄りのために。
ショートを利用したためにADLなどが後退して、
またそれを取り戻さなければならないなんて
お年寄りの大事な日々を奪わないでほしい。
家族だって、1日でもながく、共に生きようとするために
ほんの少しの充電日数をもらうためなのに、なんで
大事な日々を奪われちゃうんだ。
だったら預けるなというなら、ショートなんか作るな。
介護家族もお年寄りも共倒れになろうと家でがんばるから。

あ~~くやしい!

こころにたまったものは吐き出すほうがいいと思った。
ただ、胃ろうの父を受け入れてくれたこの施設には
感謝している。
感謝しているからこそ、これからの利用者のためにも
もっとすばらしい施設になってもらいたいのだ。
いい人がいっぱいそろっているからこそ、技術的にももっと
プロがそろった、すばらしい施設になってもらいたいのだ。
by ygracia | 2006-07-10 22:47 | 介護に思う

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


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