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DLB介護家族

「びまん性レビー小体型認知症」と先生から発せられたとき、
ため息と安堵感と不安感とすべていっしょにやってきたのをはっきりと覚えている。

「なにか違う。痴呆症なのかもしれないけど、なにか違う。」
脳血管性痴呆と診断され、ふつうに生活してくださいといわれ、
でもなにか違う、父も不安が募るし、私も不安でいっぱい。
次に「パーキンソン病」と診断され、そうかとすこし納得し、
パーキンソンの薬を飲み始めたとたん、父が動けなくなった。
ネットで調べまくり、違う、パーキンソンじゃない。
主治医への不信感もひろがり、悶々とする日々が続いた。
父が長年通っている、権威ある病院なのだから、まちがいはないのだろうけど、
何かが違う。
そして、決断して町の神経内科へ。
くるみクリニックの西村先生との出会いが父と私の新たな生活のはじまりだった。
父も元気になり、先生に月1回会いにいくのが楽しみになった。
私は、先生にあえて、すべて納得のいく、介護生活をはじめることができるようになった。

ネットでブログをはじめて、おなじレビーの家族を介護する人、ねこみみさんと
出会い、そこからこぶたさん、そしてscallopsさん、walkojiyasuさん、
ユーリイカさんと出会っていった。
今はこの仲間たちと、情報交換しながら、肩の力をぬきながら
レビーというものを再認識しているのだ。

千葉認知症研究会「第10回研究発表会」



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があるとscallopsさんから聞いていたのだが、残念ながら参加できなかった。
scallopさんからの報告、ぜひ読んでいただきたい。


今年の出会いは、これからもっとふえていくDLBの患者、家族のために
すこしでも力になれるようなものになっていきそうで、私はすごくうれしい。

私たちはプロではない。
それでも、父や母とすこしでも長く、穏やかに暮らせることをのぞんで
情報をかき集め、選択して、日々を過ごしている。
そして今、どんな研究者や介護プロよりも確かな目とこころを
養いつつある。
迷いもある、あきらめもおきる、だけど仲間がいる。
みんなで生きている実感がある。

アスタ・マニャ-ナ!
あかるい響きにかわる今日この頃だ。
by ygracia | 2006-06-21 13:07 | 介護に思う

情報

安藤和津さんのお母様がなくなった。
安藤さんの本は何回も読んだ。
ひとりっこの感情、母娘の確執、娘婿、家族、そんなものを自分と
重ねてしまい、読むたびに泣いた。

介護を始めて、すべて手探りでやってきた。
最初はインターネットで探しまくり、介護日記を読んだ。
認知症の症状、扱い方もすべてインターネットからの情報だった。
本も買ったけど、自分の性格ややり方に合うものはなかった。
合理的で本質をついた介護の本なんてなかった。
技術を知りたいと思って求めた本はあったりまえの病人に対する方法、
ベットからの起こし方とかそんなのだけ。
私がほしかったのは確実な陰洗の仕方とか、入れ歯と認知症老人とか、
ミキサー食の作り方とか、トロミ材の効果的使い方とか、安全な口腔ケアとか
もろもろのもの。
病院で教わるほうがはやかったり、ヘルパーさんに聞いたりするほうが確実だったけど
結局、いちばんリアルだったのは介護日記だったのだ。

そしてもっとも欲しかった情報は、介護者の精神的ケア。
父と母の大きな変化についていくので必死だったから
ときどき我に帰ると「おかしい」と思うのが、はたしてほんとうなのか
そうじゃないのか、父母への感情は正常なのかそうじゃないのか・・

安藤さんの本は私そのものだったから涙が止まらなかった。

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初めて購入してみたのは「介護ジャーナル」。
ショートステイの施設においてあり、実質的なものがみえたので購入した。
内容は介護技術を深く説明しているので参考になる、あとは一番あたらしい情報、
たとえば「便専用のパッド発売」とか出るので、非常に良い。
難点は新聞形式であること。
本ならいいのにといつも思う。
あとはごみの山になるのだ。

つぎに購読したのは「かいごの学校」
野田さんが連載しているので喜んで定期購読。
しかし、鎌田先生(息子が尊敬している”がんばらない”の先生)と野田さんの
記事以外あんまり読まない。
なぜなら、毎回特集がおおすぎる。
特集が何個でてくるか。
カラーも多すぎる。赤や、緑や、青や。
ひとつずつ特集をみるとそれなりにコンセプトもわかるのだが
それが2ページあると、つぎにまた違う情報が出てくる。
編集者はきっと関連性をもたせて、医者の意見、次にそれを実践している
施設や人々というかたちで表現したいんだろうけど、あまりにも
ごちゃごちゃしすぎ。
こう思うのは私だけだろうか。
せっかくの内容も分散した感じがするのだ。
介護する人、される人、障害の方も対象とすることが
ごちゃ混ぜの感じになっているのかもしれない。
あとは編集順序を考慮すればいいのにと思う。

なんて、いいたいこといってるけど、大学学生新聞の編集しか
やったことない。

そしていちばん、確実な介護する人のための雑誌は
「ほっとくる」
これはスマートですっきりし、対象がはっきりしているので
読むほうも理解しやすいし、なんといっても技術面を
大きくカバーしてくれている。
インターネットの使えない世代の介護者にも大きな味方となるだろう。
介護のあいまに読むのにいい。
編集も介護経験者を募集している。
なんといっても経験している人の目は確かだ。
介護している人、もしくはされる人の求めているものをしっかり
理解しているから。

ほかにもいろいろ出ているけれど、読者のニーズに
あわせてきっと選ばれるのだろう。

私はいまのところ、この3つで十分だ。
三つもあれば十分か~~
by ygracia | 2006-04-20 09:51 | 介護に思う

在宅介護と救急体制

昨年9月に脳梗塞を起こした父、その1ヶ月の入院がきっかけで筋力も落ち、
老化が一挙に進んでしまった。

このときは搬送先病院と、主治医(開業医)との連絡もうまく行き、
スムーズに行った。

12月には意識レベル低下、脱水で救急搬送。
このとき、希望する病院で断られ、搬送先を確定するのに、
20分以上、救急車の中にいた。
この間、訪問診療の先生に連絡いれて、病院に電話をしてもらいたいのに
躊躇していて、してもらえない。
強引に私が病院に電話、先生につないでもらってしまった。
「僕には権限ないけれど、クリニックの先生から電話をいれてもらえれば
救急のほうで考えてもらえると思う」
その電話と、救急隊員の再度の救急外来へのトライと
クリニックからの電話とが偶然にうまくそろったのか、
希望先に運べることができた。

今年、2月の初旬、また意識レベルは低下。
脱水らしいので訪問の先生に来てもらう。
点滴の準備をしたが、血管が細くて入らない。
救急搬送を決定。
その場で先生に紹介状を書いてもらうが、先生たちは
さっさと逃げるように帰ってしまう。

救急隊員は「なんで帰っちゃうんだ」と怒る。
紹介状もあるし、だいじょうぶかと思いきや、断られる。
訪問診療の先生にも隊員が電話して
「どこか病院紹介してもらえないんですか」
そして、車の中に何十分いたんだろう。
順番に病院に連絡、
「男性・・86歳・・・・レベル3・・・」
繰り返すが年齢を聞いただけで断られる。
6件没。
さすがに「じゃ、もういいです、家にもどる」
と私が言うと「出動してるし、紹介状もあるので搬送しなければなりません」
といわれる。
訪問のナースに「家に連れ帰る」と電話すると、
「とにかく、どこでもいいから点滴してもらって。がんばって」と言われる。

2回ほど、警視庁センターに依頼したが、自分たちで探せと断られる。
7件目を探す間、隊員とおしゃべり。
8件目でやっとOK。

そして今回は自分で病院に電話すると、
「連れてこれるなら、いいですよ」というわけ。
でもそれは無理だから救急車を呼ぶというと、
「では隊員から電話させてください、先生につなぎますから。
でも受け入れられるかどうかはわかりません。
男性用ベットはまったくありません」
と言われた。
それならと先回お世話になった病院に電話。
すると、「救急外来が混んでいるので10分か15分後に電話してください」
というわけで、待てないので救急車を呼んだ。
それでも運良く1回で希望先へ搬送できた。
訪問診療の先生には頼らなかった。
もう顔見知りになった隊員と話す。
「どこもいくところがなかったらどうするんですか?」
「それは大丈夫、自分たちは4班合同で探すための
ポートがあるので、都内どこかしらに搬送します。」
そうなんだと思った。

こんな悠長なことをやってられたのは、意識のなかったはずの父が
なぜか救急車にのると復活しちゃうのでみんな落ち着いてるわけ。

しかし、見てもらえる病院がないということはほんとに怖い。
うちの訪問の先生は開業ではなく、訪問専門のクリニック。
大手病院とかかわらないのは何かなわばりみたいなものがあるのかも
しれない。
たまたま父がレビーで先生同士が知り合いだったことなどから
入院後はスムーズではあるのだが。

アメリカのようにドクターが病院と提携して、ベットを確保してくれてたら
どんなに安心か。

知らない病院に搬送されると、レビーの説明を初めからしなければならない、
いつ発症してどういう経過で今どんな状態か。
2月初旬の病院は内科の先生が見てくれて「老衰」といった。
そして、血圧が異常に高かったので降圧剤というので
あわてて私が静止。説明。
レビーといっても「なにそれ」と言った。
若い先生がパソコンのところに行き、調べてきた。
カルテに「LEWY」と打ち込まれた。
「DLB」でしょうがと言いたかったけどやめた。

いまでこそ、神経内科の先生ならわかるだろうけれど、
ほんと知らない病院にいくのは辛い。
そして入院になったら、もっと怖い。

ほかの在宅のかたたちは緊急時、みなスムーズなのだろうか。

救急隊員に言われた。
「大手は今、なかなか受けてくれないんです。
通院患者でもですよ。
どこか小さな病院で1回かかって、そこに搬送できるように
しておくといいと思いますよ。
高齢ですし」

どこかいい病院あるのだろうか。

~救急事業に関して~東京都の場合(2004)
by ygracia | 2006-03-14 00:28 | 介護に思う

主治医とは

うちの場合、ふたりとも昔から大病院にかかっていたので、ちょっとした熱だとか、
血圧の変動だとか、いろいろ起きてくると、いつも悩む。
救急車を呼んでも区内しか搬送してくれないし・・・
近所の先生は消化器科。もちろん私たちが風邪などのときはいつもかかっている。
先日、父の血圧があがりすぎたときに行ったところ、先生も困惑して
父の病歴も健康状態もわからないから・・・と。
そこで私もそろそろ、考えなくちゃならないなとは思っていた。

半年前、父の糖尿のY先生が気をきかしてくれて、年2回の検査だけにしていこう、
薬はかかりつけの神経内科からだしてもらうようにしてくれた。
その検査が今月だったので、きょうは検査結果を聞きにでかけると、
なんと先生がいない。
いろいろ不愉快な看護師ともめて(そんな先生いませんといいはる)
事務で調べてもらうと、ちゃんと予約ははいっていて、Y先生は退職されていた。

その引継ぎの先生が30代の女医さんで、これまた融通が利かない人だった。
今日は父は疲れもあるのでつれていかず、私だけが検査結果を聞きにいったのが、
その先生はそれが許せなかったらしい。
また年上である私に対して、まあ、いばったもののいい様。
優秀な方なのだろうけれど、医は仁術なりを知らないんだろうなと思った。
とっさに決めて、「高齢で通院がむずかしくなっていますので
近所の病院に紹介状書いていただけますか」というと
会ったこともないのに書けないという。一理あるけれど、じゃ、いままでの
Y先生のカルテを信用しないのかと思った。
ま、最終的には高齢、認知症ということにはたと気がついたらしく
了承した。

不愉快なことがあるとどっと疲れる。
帰ってきて、ソファで寝てしまった。

これで父の内科関係は近所でできるようになるだろう。
相談役の神経内科の先生もいらっしゃるから安心だ。

と、父母のことに限らず、私も近所の先生で健康診断して
かかりつけとなってもらおう。
現に遠くの病院に通えなくなってるし。

訪問診察など、在宅のかたはどのように医師を選んでいるのだろう。
いままでは救急車だったけど、救急車ほどではないときって
皆さんどうしてるんだろう。

まだまだ未熟な介護者の私だ。
by ygracia | 2005-08-16 20:14 | 介護に思う

介護ヘルパー

介護保険の導入、介護ヘルパー資格試験が始まったころ、
私はボランティアで日本語教師をしていた。
将来もずっと日本語教師を続けようと心に決めていたので
大学に戻り、資格も取った。
そんなとき、日本語仲間は相次いで、介護ヘルパーの資格取得に
向かっていった。
ちまたでは日本語教師も所詮ボランティアだし、お金になるほうがいいと言って
ヘルパーのほうに移っていくのだとうわさが流れた。

それから何年たってるのだろう。

ヘルパーさんは私と同年代の方が多い。
たまに若い方もいるが、少ない。

はじめて利用したとき、母の通院で私よりずっと年配の方が見えて
私はほんとうに恐縮して、申し訳ないなんて思ってしまった。
でも「仕事なんですよ」と言われて、「確かに」と。
慣れるまでしばらくかかったけど。

現在までに5.6人お世話になっている。
今の方はもう1年以上のような気がする。
母が倒れる前からなのでよくわかってくださっていて
気がつくし、観察もしてくれるのでうれしい。
仕事もパーフェクト。
この仕事が大好きとおっしゃる。

ときどきピンチで来る方は一生懸命なのだが、
清拭のときの手袋そのまま、ボトルもそのままとか。
掃除の洗剤そのままとかうっかりも多い。
でも仕事以外の私の荷物運びまでしてくださるので、良しとする。

ヘルパーステーションのチーフは気の利く、やさしいかた。
どんな緊急のときも対応が早い。
副のかたは融通の利かないまじめな人で電話の対応がぶっきらぼうで困る。
でも仕事は確実。

朝日新聞に介護ヘルパーの実態が出ていてほとんどが
2年目には離職するとあった。
事業所のやりくりも難しい上に
不確かな保障に問題があるからだという。

父は言った。
「愛想がいいだけじゃだめだよ」
ヘルパーといってもお手伝いさんではない。
だから誰でもなっていいわけではない。
適性も必要だし、それなりの洞察力も体力も必要。
質の向上をはかり、それなりの保証を行政がしていかなくてはいけないと思う。

介護のトラブルにも質の悪いヘルパーの存在が見える。
この先、需要に応じて、海外からのヘルパーも増えてくる。
(現にもう養成講座は行われているが)
想定できない問題も広がっていく。

格差のない規定をなんとか作れないのだろうか。

政治家さんには興味のないことなのだろうか。
by ygracia | 2005-07-30 10:03 | 介護に思う

デイ

今日も小雨のなか父はデイに出かけた。
意思表示が無反応な日でも着替えを始めるとデイの日だと
気がつくようで、バスが来て、職員の顔を見ると
元気に片手をあげる。

このデイに変えたのは4月。
痴呆専門、少人数(10人)制。
グループホームの通所型と言っていいだろう。
自分のペースにあわせて、一日を過ごせる。
職員4~6人にボランティアが3~4人入る。
だからマンツーマンと言っていいくらい。

ここの職員の質は高レベル。
段階で評価させていただけば、Aランクだ。
なぜなら、手が足りている(足りていないかもしれないけど)と言うことで心の余裕があり
お年寄り、ひとりひとりの性質をしっかり見ているからだ。
医療、心理に関しても高レベル。
また介護者、家族ケアも怠らない。

父は午前中はソファでゆっくりし、午後は絵を描いたり、
ボールゲームなどで体を動かしている。
公園に散歩も行く、スーパーにも行く。

帰りのバスの中のお年寄りの顔はみなすっきりした顔だ。
お互いに気遣いあい、それもまたお年寄りたちの自己確立に
役立っているのだ。
家に帰れば、包丁も持たせてもらえないおばあちゃんが
デイでは上手に果物をむき、みなに配る。
漬物も上手に漬ける。
洗い物もガーデニングもやる。
父は昔バラをそだてていたから、きっとまたみんなと花をいじるだろう。

その人の残存能力を十分に生かし、自己に自信を持たせてあげて
穏やかに生きること。
家族は以前の状態と比較して、「だめになった」とおもうけど、
お年寄りにしてみれば、脳の作動がゆっくりになり、動作も遅くなり、
視界も曇り、だけど時間をかければなんでもトライできる・・・

父が認知症と診断されたとき、父は鬱状態だった。
笑うこともなくすぐに横になった。
医師は「そのままでいい、ふつうでいい」といいつづけた。

たしかに与えられた命を自然のままにまかせて、寿命をまっとうするのも
一理ある。
でも私はそのとき思った。
父は努力の人だ。なんでもトライする人だ。
「おとうさん、がんばってみようよ、りょうこが一級建築士に、ごうが医者になるのを
しっかり見届けようよ」
父は「うん」と言った。

無理のない、小さな努力で父は元気に生活できている。
あのままだったら今頃どうなっていたかと・・
筋力もちょっとした体操でみごとに戻る。

本人が今日を元気に過ごしたいと願う限り、私も協力したい。
デイのちからも多いに借りて。
by ygracia | 2005-07-23 09:45 | 介護に思う

ショートステイ

初めてショートステイを経験したとき、父や母より私のほうがひどく疲れ果てた。

まず、ふたりの生活用品をそろえること、初めてなのでどのくらい必要かが
わからなくて、持ち物シートに書いてあるものをすべて持たせた。
薬の準備も母が何種類も飲むので、間違えられては困ると思い、
1回分ずつ準備した。
まるで1ヶ月くらい行く感じの荷物だった。

入所時の面接も疲れた。
二人の健康状態、注意事項、いろんなことを伝えなければならない。
前もって文書にしてもっていったものの、職員は自分自分のメモをとることを
義務付けられているらしく、結局説明しなければならず
時間ばかりが過ぎた。

帰宅してくると頼んだはずのシップも封を開けた形跡もなく、
目薬も塗布薬も減っていなくてがっかり。
これはもう5回も同じ状態なので、クレームを付けなくてはならない。

衣類に関しては、母が職員に「足りないじゃない」
「あら、ないの?」とか言われるというので、母にはいっぱい持たせた。
母は元来おしゃれで、カジュアルなものはもっていないし、ふつうの
お年寄りが着るようなものも持っていない。
とりあえず、楽そうなものを選んでもたせているが着替えはお風呂のあと
だけということになってしまうらしく、そのまま戻ってくる。
ジャージのズボンでいいんですよ、なんで言われても母ははきたくないし
私も着せたくはない。
母は粗相があるからパジャマの数も半端じゃない。
パジャマこそ、病院と同じで貸し出しでいいと思うんだけど。

父のほうは、寒いとか暑いとかいえないし、どこに服があるかわからないし、
くれぐれもお願いしますといっているのに、先月は
スポーツシャツ1枚のままでいて、迎えにいくと体中が冷たくなっていた。
ベストもカーディガンもあったのに。
だから今回は父にしっかりクローゼットを教え、たしかめさせて、
見えるところにすべておいてきたので父も自分で着たそうだ。
引き出しになどいれたら、職員もみやしないのだ。

とにかく職員のメモはじぶんだけのものになってしまい、伝達ができていない。
データ化をして、次回からの利用者のデータをしっかり全職員が知るべきだ。おなじデータを見なければなんの意味もない。
そして家族が入所時に拘束される時間を少しでも短縮して欲しい。

「ご心配いりませんよ」という言葉がいまはまったく信じられない。

大きなショートなので職員の手がたりないのはわかる。
入所時にみていると、ひとりで3部屋6人は確実に見ているようだ。

看護師がひとりというのも解せない。
ぜったいおかしい。
母は夜寝る前のインシュリン注射があるが、ショートでは看護師が夜はいないので
できないという。ショートのあいだは打てない。

いいことは続けて利用していると職員とも顔見知りになって
とりあえず小さな安心感は生まれること。

おとなの保育園みたいでショートに連れて行くときすこし悲しいけど、
長くつづく介護のことを思い、目をつむって、父母を置いてくる。

ホテル形式のグレードアップしたショートもあるのでたまに、
そういうところに行ってもらうのもいいかもしれない。

なんだかんだ言ってもショートステイがなければ、私の気力も続かないのだ。
by ygracia | 2005-06-22 00:33 | 介護に思う

見えない介護生活

介護に関係する掲示板を見ていると介護の実態がなんとなく見えてくる。

まず、介護する家族の無知さ。
次に認知症に対しての考え方の相違。これは地域の医者の考え方も
見えてくる。「年のせい」「こんなもんでしょ」そして、ありきたりの投薬。
これは認知症専門医が少ないことも原因のひとつだ。
そして広く考えれば、専門外来も少ない。
精神科にいくのか、神経内科にいくのか。
精神科にいくことに躊躇する家族もまだまだ多い。
悲しいことに、認知症とわかるとすぐ、精神病棟入院と思っている人も多いのだ。

介護保険のシステムも家族に介護を必要とする人がでてこないと
ほとんどはわからないだろう。
だから、介護サービスの内容ももちろんわかるはずがない。

ひとりで介護をはじめて苦しんでいる人、壁に突き当たる人、
たくさんいる。
そういう人の場合、ケアマネージャーにも事業所にも恵まれていない。
これはまた、介護に関する事業所の基準の甘さにもつながっているのだ。
事業所でサービス内容も異なるし、ヘルパー、ケアマネの質も
大いに異なっているし。

先月、ひょんなことで某テレビ局の朝、10じからの番組から
介護生活の取材をさせてほしいと電話がきた。
こちらはそんな精神状態ではないし、切って張っての番組にも
貢献したくないし、いちばんはそのプロデューサーのため口に
腹立ったので・・・・
ま、そのやりとりのなかで「見えない介護」ということばが
何回か出てきた。
メディアの使命は介護生活を世間に知らしめること?

どうにも在宅介護がむずかしくなったときに家族は大いに悩む。
受け入れてくれる施設がないということ。

特養は2~5年待ち。
老健は3ヶ月待ち。

有料老人ホームは経費の高さに問題あり。
その老人ホームも金銭トラブルを避けるためということで年金手帳、貯金通帳を
渡さないと入居できないところも多いのだ。(昔からの慣例らしい)
お年寄りの人権もなんにも尊重されない。

老人病院など、最たるものだ。
家族が見ていなければ「死へのベルトコンベアー」状態で尊厳なぞありはしない。

悲しみのかたまり
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ではなく、暖かいひだまりのような、介護生活がみな、できればいいのに。
by ygracia | 2005-06-21 19:12 | 介護に思う

ケアマネージャー

ケアマネージャーは今の方で3人目。

詳しい経歴を聞くこともないし、あちらから話すこともないので何もしらないわけだが、
話の端端でなんとなく感じることもできることがある。
前の二人は看護師さんの経験ありと見た。

父の薬、母の注射、摘便、傷、そんなことに詳しく対応してくれた。

一人目はそつなく、てきぱきとなんでもしてくれたが、父も母もまだそんなに
手がかかることもなかった時期なのであまり訪問がなかった。
書類手続きも2ヶ月にいっぺんだった。
ただ、初めてのケアマネということで父も母も絶対の信頼感をもち、名前もしっかり
覚えていたのだが、二人目からは、覚えてくれなかった。
この方は転勤になった。

二人目はやさしくて、動物好きで父母よりも私の話をよく聞いてくれたが、
お仕事はすこし遅かったので、私のほうがなんでも先を越して、
手続きしたり、電話連絡したりしていた。
書類整理もへただったけど、とにかく私は心が休まった。
ご自分のお母様の介護のために退職された。

3人目。これまたしっかりベテランで、頼りになる。
これから施設などとの問題が起きてくるだろうけれど、
世の中知っていて、闘ってくれそうだ。
一を読んで、十を察してくれる人だ。

介護に関係する掲示板を見ていると、ケアマネもいろいろらしい。
パート感覚、アルバイト感覚でやっている人も多いみたいだ。

これから質の高いケアマネージャー、もっともっと必要になる。
独居のお年寄り、遠方の家族、いろいろな形態の介護問題を
解決できる人材をつくってもらいたいと思う。
by ygracia | 2005-05-30 18:59 | 介護に思う

タクシー

初めて介護タクシーを利用。
例のおおきな会社。

時間通りに到着、
なんか心もとない運転手さん。
デイサービスの運転手さんとちがって、てきぱきさがない。
ああだ、こうだといいつつも病院に到着。
口の利き方もあまり慣れてないようだ。

帰りの時間にまだ診察が終わらず(これは私のミス)
すでにお迎えにきていたので、少し待てるか聞いたところ、
次が詰まっているのでなんとも・・・とはっきりしない。
確かに道路の混み具合で次の予約に影響してくるのは
わかるけど、そんなとこまでなんで私が心配しなきゃいけないのかと
思った。
お客はこっちなのに。
ケアマネさんから帰りはたぶん、待ってくれないと言ってたので、
わかってはいたんだけどね。

めんどうなのでキャンセルした。

帰りは病院からタクシーを呼んでもらい、車椅子も
運転手さんがトランクにしまってくれたし、
のりごごちも介護タクシーのせまさに比べたらずっとずっといい。

もう介護タクシーは頼まない。
by ygracia | 2005-02-28 23:44 | 介護に思う