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決定(胃ろうへの決断)

E病院のN先生は私が数年前に無呼吸症候群でかかってお世話になった先生。
その後、去年の父の脳梗塞でまたお世話になり、救急車で運ぶことに
なるたびにお名前を出させてもらったけど、なかなかウマくE病院に到達しなかった。
今回は運命としかいいようがないけど、父が入院する10日ほど前に
私は、悪くなった無呼吸のことでN先生をひさしぶりに訪れ、そのときに
私の非礼をお詫びし、また父の様子などを話していた。
今回はその直後だったせいか、E病院に父をスムーズに運ぶことができた。

先生から胃ろうの説明があり、ビデオもみてどういうものかは
わかった。
手術に関しては、父の場合、胃カメラが飲みにくいので少々、
苦しい思いをするかもしれないということとたまに胃の血管の位置と
チューブの位置の関係で出血することがあるかもしれないということ。
これから先のことを考えて、栄養補給、肺炎予防のために「胃ろう」
を勧めるとのことだった。
訪問診療の先生からも連絡があったとのことで「胃ろう」を勧めて
という話になっていた。

父は昨日の説明は忘れたらしい、
だからもう一度いうと思い出したそうで、また「いいよ」といった。
それと、「ここでやるのか」と聞いてきた。

午後からふたりの友と食事をした。
友のひとりの母上が混乱が始まったという。
1ヶ月連絡なかったのでおかしいと思ってたら怒涛のひと月だったという。
これで仲良し4人組の親全員が手のかかる状態になった。
今日会えなかった友も義父と実父が同時入院。
もう一人は週一度実家へ行き、昨年認知症発症した母を見ている。
楽しくコロコロ笑ってた私たちも会えば、介護の話ばかり。
いつ卒業するのかそれは分からない。

さて、私も3月1日から2泊3日で父と同じとこに入院する。
無呼吸症候群とその治療器の「CPAP」の調整のためだ。
昼間はすることがないけど寝てはいけないそうだ。
検査は夜のみ。お勤めのある人は昼間は仕事に行くそうだ。
心筋梗塞、脳梗塞のリスクを減らすべく、私もがんばらなくちゃならない。
やせることが先決なんだけど、治療器と平行してすることにした。
やせるまえに倒れちゃったら意味ないからね。

ま、人生いろいろあるもんです。
by ygracia | 2006-02-28 01:40 | 胃ろう

コメントくださった皆さんへ。(胃ろうへの決断)

☆かっちゃんさん、いつもありがとう。
まだまだお若いかっちゃんさん、今日を楽しく生きましょうね、
私もそうしようと思ってるし、ケセラセラ、のひとなんだけど、
どうもウツウツしちゃいます、いけないいけない~

☆ファントムさん、ありがとう。
自分のことなら自分で決められるのだけど、どうも親のこと
にはふっきれないものがあります。
またまたご意見いれてください、いつでも。

☆ねこみみさん、
父にはまだ生きたいという希望が見えます。
なんだかんだやはり老衰の域には入っていると思うのですが、
今日のニュースにも反応するし、意見もあるし、
食べたいのに食べれないというだけなのに、じゃ、
餓死させていいかといったら、そんなことできるわけないものね。
認知症であろうが、反応がなかろうが、その人の脳のなかも
心の中も見えないけど、人の命を勝手に絶つ権利は
誰にもないというのだけははっきりしていると思っています。

☆こぶたさん、メールありがとう。
一番にメールくれたので私の心も落ち着きました。
私は1年前のこぶたさんのお父さまの様子を参考に
父を見てきました。同じ感じで進んでいたから。
ただ父はやはり入れ歯が使えなくなった時点で
嚥下の問題がでてきたみたいです。
それでも同じような状態があるのだと知るだけでも
ほっとします。

「胃ろう」の決断ははっきり言って、悩みました。
病院側はもう手術日も決めてあったし、
もう仕方のない方向かとも思ってました。
ネットで胃ろうのことを調べ、種類もあることをしり、
父に一番向くものとか考えたり、
物理的には父には胃ろうは必要だと確信したのに、
引っかかっていたのは、これが延命治療になるのか
父の意志はどうなんだろうということでした。
そして父がどれだけ理解できるのかということも。

くるみクリニックの西村先生にメールをいただき、
私の迷いは消えました。
「胃ろう」にしましょうと言われたとき、どんな家族も
混乱し、どうしても口から食べさせたいと懇願するようです。
私も同じでした。悔いたのは、このごろ冷凍の介護食に
頼っていたから、手料理が少なかったこと。そして最後の
最後に食べさせたのはベビーフードのおじやとうどんだもの。
とんでもないことしたと、ほんと落ち込みました。
もう大好きなうなぎも肉もねぎとろも食べさせてやれないと思うと
もう自分をせめるばかり。私は好きなものばっかり食べて
こんなに太っててと・・・

メールの内容は先生に許可をいただいていないので
のせませんが、「胃ろう」で悩む家族には
参考になるものです。
また機会があったら載せたいと思います。

いろんな考え方もあるけれど、今の父には必要な「胃ろう」
私も助けてくれる「胃ろう」
そして父の意思確認もできたのでこのまま進めることを決めました。
by ygracia | 2006-02-27 01:35 | 胃ろう

入院中4(胃ろうへの決断)

今日は午後いちで父のところへいき、夜8時半くらいまで一緒にいた。
いままでもほんとは長く過ごすべきだったのに、私の気力もないし、
病院はインフルエンザや風邪患者ばかりだし、予防接種してない私は
やばいな~とおもいつつ、どちらにしても気力体力なくて夜だけ
様子を見に行ってた。父も肺炎治療でずっと寝たきりだったし、
この数日から顔色もよく、血圧も安定、元気になってきた感じだから
ちょうど良かったのかもしれない。

ベットもおこして、身体をおこし、しばらく様子を見ていた。
やはり血圧は少しさがるのか、目がうつろにはなるけど
返答ははっきりしてた。

夕方近く、目もしっかりした父に
胃ろうの話をした。
悩んでいた私だけどくるみクリニックの西村先生から
アドバイスをいただき、吹っ切れた。
父に話をしてみたのだ。
「おとうさん、もうすぐうちに帰るけど、その前にね、
胃にチューブの穴をあけるけど、いい?
いままで水をのむの、たいへんだったでしょ、
飲んでも飲んでも脱水だっていわれたじゃない、
だから、おとうさんが飲むのにつかれたら、
私が水を胃にいれるの、そのための入り口をつくるの
ご飯もね、疲れたらそこから私がいれるから」
「うん、わかるよ」
「説明わかった?」
「わかったよ、いいよ」

父は言った。水を飲むのはたいへんだったよと。

これで「胃ろう」は決まった。
私も勉強しなければならない。

今日もパジャマのズボンをはいていなかったので
全部着替えをし、手も顔も拭き、爪もきり、
きれいにしてきた。

山のようにパジャマ用意してあるのに。

父は今日は痰がいっぱい出た。
だけど、コールしてもなかなか来ない。
きても完全には取らないのか、取れないのか。
だから結局いけないけど、私がやった。
きれいに取れた。
「おとうさん、私のほうがうまいね」
「うん」

声をなかなか出さない父に、一生懸命声をださせるために、
「あ=」
「ららら」
「ががが」
「らりるれろ」
「るるるるる」
とかやってたら、父が私の顔をみながらニヤニヤしてる。
「なんでやってくれないの?りょうこ(孫娘)のいうことなら
きくんでしょ~」
というと、また笑った。

ま、できる時間帯があるので、ウマくその時間にあえばいいけど、
こればかりは気まぐれレビーなのでどうしようもない。

あるナースは、まったく反応のない人と思ってるし、
別のナースは父に一生懸命話しかけて
しっかり「返事」を聞いているので、反応のある人と思ってる。
そのときそのときの人で反応ちがうからね~~
また父の好みもあるのかもしれないとふと思った。

「おかむらさ~ん、テレビみえますかぁ~~」
「みえるよ」
話してる。

「おとうさん、じゃ、寝る時間だからね、また明日来るね」
「お~」

父は生きている。
by ygracia | 2006-02-27 00:07 | 胃ろう

うつうつ

気力が萎えた。

今月、母が戻ったときもふたりを看るのは無理と限界を感じてた。
でもどこかで、「私はさぼってるのでは」と考えてしまう。
がんばらなくちゃと言い聞かせても気力体力とも限界だった。

どうしても完璧主義というか準備万端整えないと気分が落ち着かない
性格が邪魔をする。完璧なんかありえないのに、何とかしようとする。
そして不完全燃焼で気分が落ち込む。
楽観主義なのに悲観的。
めちゃくちゃだ。

今日は息子も試験が終わり(惨敗)なのでどこかで
食事でもしようと思ったけど、息子はカラオケにいきたいといい、
娘は1日、マイペースですごしたからもうどこも行かないといい、
私はカラオケに行きたかったけど、結局意見まとまらず、
やめになった。

うつうつと落ち着かないけど、すぐに出かけられる友も
いないし、飲み友達もいないし、なんと私の人生
寂しいもんだとまたうつうつになる。

夫は海外出張中。
今日も韓国ドラマでもみようかな・・・
by ygracia | 2006-02-25 21:02 | 雑感

入院中3(胃ろうへ)

20,21日も変わりなく、父を夕方訪れる。
ほとんど寝ている。
熱はさがっているらしい。
食事は鼻チューブから。

22日、私の診察があったので済んだから、朝いちで父のところへ。
ちょうど検査に行く父と出くわす。
目はしっかりあいていて、病室の外へ出たのがウレシそうに
周りをみていた。
私には反応なし。
夕方から個室に移れるそうなので、荷物を整理し、私はいったん家に帰る。

夕方いくともう父は個室でのびのびと寝ていた。
カーテンで閉ざされることもなく安心したようだ。

「食事の用意ができました、食堂で召し上がる方は・・・」
の放送をきいて、私に合図する父。
父の食事は鼻チューブからの流動食。
「おとうさん、おなかすいた?」
「おなか、すいたよ」

う~ん、父のチューブに流れる液体を見ながら
いろんなことを考えてしまう。

救急で運ばれたとき、女医さんが私にふたつの選択肢をだした。

経管栄養をなぜ考えなかったのかと問われた。

訪問診療の先生は先回の入院のあと、来てくれて、
「まだ点滴しなくてだいじょうぶだ」
といってくださったし、なんとか口からたべてもらっていたし・・・

女医さんは続けた。
「このまま帰宅してからも経口で続ければ自然に衰えていくでしょう
それを選ぶか、胃ろうにして、足りない栄養と水分を補給して
長生きしてもらうか、ご家族で考えてください」
「・・・」

胃ろうに対して、詳しいことはまだ勉強していなかったから
これを選んだら、二度と口からご飯を食べさせてあげられなくなると
思っていた。
でも口からも好きなものを食べてよいという。
あくまで足りない分を補給するのに使うという。
でも経口にすればやっぱり誤嚥性肺炎は繰り返すだろうし・・・・

父の意識は寝たきりになってからのほうがはっきりしている。
フリーズすることがすくなくなったせいか、
私や孫との会話もスムーズなのだ。

この意識がはっきりしているかぎり、やっぱり父には長生きしてもらいたい。

意識が混濁したら、延命治療はしないことを
母にも了解を得ている。
私自身もそう決めている。
でもきっと、また迷うんだろうな。

「残り火いのちの11年間の介護記録」を読んだ。
以前も読んだけど、もう1回読んだ。
偶然に同じ大学の先輩が書いたものだった。
尊厳死についても書いてあり、
その訪問診療の先生は
「口から食べられなくなったらそれが自然な死へのかたち」
としている。
もちろん、いろいろな身体の機能が衰退しているのだけれど・・
著者自身も点滴をしてくれる先生に途中「浮気」をしたり
悩んでいる。
どこからが延命治療なのかな・・・

ただ、父はまだきっと生きようとしている。
ときどき、
「それも運命」なんていうこともあるけど、
まだまだ元気だ。

「おとうさん、I建設の東京支店の50周年記念で、
ご招待の連絡きたのよ、一応欠席だけど、
建友会の名前はいれておくけど、いいよね」
I建設の名前をきいたとたん、父の目がしっかりした。
支店長を長くつとめ、仕事をいっぱいした時期だし
印象が一番強いのだ。
「車椅子でもいかれたらよかったね」
「うん」
「まずは肺炎なおさなくちゃね」
「うん」

私の悩みは尽きることはない。
それもひとりで考えていかなければならない。
by ygracia | 2006-02-23 01:41 | 胃ろう

入院中2

18日も19日も夜父に会いに行く。
ほんとなら1日中いてミトンをはずしておいてあげたのだが、
座る場所がない。
4人部屋は比較的重度なかたなのか、おとなりは
いろいろな機械が置いてある。
もう一人は認知症。でも明るいおじいさん。
もうひとりは若い方だが寝たきり。
父はひとりしゃべり続けるおじいさんの声を聞き、
「何か言ってるよ」
おとなりの自動吸引の音を聞いて
「となり、となり」と知らせたりする。

「おとうさん、耳がいいから大変だね」
「うん」

昼間は退屈なので寝ているという父。
夜の小1時間、孫の手を握り、なにかしゃべって、
それで、また眠りにつく。

パッドは大きいほうを使うように指定してから
ズボンも脱がされることがなくなった。
よかった。

比較的元気で顔色もいい父。
でも鼻チューブのせいでどこか切れて、
吸引すると血の痰がでる。

高齢なので予断は許されない。

私は、友の言うように、虚脱感に襲われ、
どうも調子が悪い。
夜は良く眠れるけど、なんだか悲しい。
鬱状態?

叔母が電話をよこした。
父母の説明をする。
私のいとこと母を訪ねてくるというので
たぶん、感情がないからと説明。
叔母は友人がアルツハイマーだから分かると言った。
叔母は80歳。
「お菓子送ってあげるけど、食べ過ぎるんじゃないのよ」
と一言付け加えられた。

韓国ドラマの「ローズマリー」を見ている。
娘にそんなのみないほうがいいといわれた。
ガンに犯された妻、何もできない夫、その夫婦を
見守るひとりではなにもできなかった若い女。
その女を見守る若い男。

と、いつものドロドロドラマなんだけど、とにかく新しい韓国が
いっぱい。
それでもガンに苦しむ妻の家族を思う心、とりわけ、
子供を思う必死の状態がかわいそう。

人はそれぞれの役割があって、その役割が
果たせるとこで生かされるというのがこのドラマの
言いたいとこなんだろうな。

だから娘がそんな重いドラマ見るんじゃない、という。

今日はコメディでもみるか~~~~
by ygracia | 2006-02-20 09:22 | 今日のお話

入院中(鼻チューブ)

16日も父は昼間はむくんだ顔で寝ていた。
夜娘といくと目を覚まし、娘の手を握りながら
「かえる」といった。
肺炎で熱があるからもうすこし、がんばってというと
納得した。

17日は朝から私はブドウ糖負荷試験。
30分、1時間と計5回の血液検査と3回の尿検査。
最後のほうは気分悪くなり、まいッタ。
途中で父を見に行くと寝ていた。
尿でよごれるらしいのでパジャマのズボンも余分に
もって行き、クローゼットにいれておいた。

帰りにまたのぞくと、父はズボンをはいていなくて
防水シーツを腰にまいているだけ。
はかせてというと、尿検査がおわったらという。
ズボンも十分あるからといっておいた。

夜、また娘をつれていくと、
ズボンをはいていない。
目を覚ましている父、寒いという。
ナースコールを押してからずいぶんたっても誰も来ない。
2回目でやっときて、
尿が多くてズボンが汚れるからこうしてるという。
私がその前にオムツをチェックすると、
男性用の局部にまく小さなパッドしか使っていないのだ。
ちゃんとお尻にひく吸収率のいいパッドも用意してあるのに
ちいさいパッドしか使っていない。
そこでナースにとにかくこの大きいほうでいいから使ってください
それなら漏れないからと、伝える。
それとズボンも置いてあるんだからはかせてくださいといっておいた。
今日が見ものだ。たぶん、またはかせてないだろうな。
クローゼットを何もチェックしてないんだから、彼女たちは。
オムツをチェックしてると、父がパジャマの上を脱ごうとする。
触ったら、わき腹が濡れていた。
ズボンばっかりじゃないじゃない。
着替えさせて、一段落。
父は話をしないのでどうも認知症の反応のない患者として
扱われているようだ。
なかなか満足いく看護をしてくれるところってないんだなと思う。

父は娘と話している。
「鼻に何がはいってるのかな」
「薬をいれるためのチューブだよ」
「そうか」

いつものように熱いおしぼりで顔をふき、首筋に
それをあてて、じんわりあっためて、
手を拭いて、寝る支度。
父にしたら、1日寝てるんだから嫌かもしれないけど、
ちょっとでも気持ちよくしてそのまま眠りについてもらいたい。

私のほうはどうも気力、体力とも落ち込んでいて
疲れている。
かわいそうな息子も夕べは寝ぼけておきてきて、
「。。。どうやってご飯をたべていいのかわからない・・・」
とつぶやくと、また部屋に戻ってそのまま寝てしまったらしい。
このごろ、私が早く休んでしまうので
きっと、今日の夕飯どうしようといっつも思ってるんだろうな。
かわいそうに。
今夜はいっぱい食べさせなくちゃ。
by ygracia | 2006-02-18 12:19 | 胃ろう

父緊急入院

14日夜、父は救急車でE病院に運ばれた。
いつもいつも断られるのに、今回は運良く受け入れられた。

朝から食事拒否していた父、なんだかんだで
夕食は食べるというのでほんのすこし、用意して
アガロリーを足して、夕食終了。
しばらくテレビを見ていたが、寒いといい始めた。
つぎに大きな震えがきた。
今まで見たことないくらいの震え方だ。

娘を呼び、クリニックの看護師さんの携帯に電話。
毎晩話しているのでほんと助かった。
どうも肺炎のような気がするというと
「家族がいちばんわかるから」という。
それでも在宅の方向で話していたのだが、
やはり救急だと私は判断した。

毎回搬送先でもめるから、先にE病院に電話してみる。
話し振りでは車で個人的につれてくるぶんには診察はするという感じ。
救急車をよぶというと、じゃ、救急隊員に電話させて
それから医師につなぐという。でも受け入れはできるかどうか
分からないという返事。
なんなんだ。
それで先週お世話になったH病院に電話。
救急が混雑してて、10分か15分後に電話してという。
決めた、
救急車を呼んだ。
12月にさんざんもめた救急隊員がやってきた。
「このまえもきましたよね」
E病院には電話してこうだったと話す。
じゃ、H病院にしますか、
でもEにしてみてください。
じゃ、といって、かれはすごくうまく電話いれてくれた。
そしてすぐOK。
「入院のことは言ってないから。先生にみてもらえば、
もうだいじょうぶ」

女医さんにいろいろむっと来ることいわれたけど
がまんがまん。

肺の音はそんなに悪くないという。
しかし、レントゲンと血液検査の結果、
「誤嚥性肺炎」
パルオキシメーターも85.
いつもなら97か98なのに。
と思ってたら、酸素マスクがやってきた。

点滴は足首から。
採血はソケイ部の動脈から。

家で震えがきたとき、父は「なんだか変だ」
といい、救急車をよぶといったら、
「はやくしてくれ」とまともに言った。
なぜか頭はいままでより、クリア。

入院病棟に行くと、顔見知りの看護師の方たち。
なんだか安心した。

家に戻ったのは夜中の12時過ぎ。

15日は朝いちで私の内科の診察。
父のオムツや着替えをもったまま、診察と採血採尿。
病棟にいくと比較的しっかりした父。
熱はまだそんなに下がっていない。
背中にアイスノンがひいてあった。

戻って母をつれてホームへ。
ゆうべ救急車がきたとき、母は私に言った
「あしたのご飯どうするの」
私がいなくなると困ると思ったらしい。
「おとうさん、意識ないの?」

ホームへ連絡して予定より早く戻ることを伝えた。
車にのると「私、どこへいくの?」
また同じ説明をして、今こういう状況だから
おかあさんはホームで過ごして楽しんでほしいというと、
「わかったよ」

母を送り届けて、家にもどったが、疲れて動けない。
すこしうとうとして、夕方、父の必要なものを買いに行く。
このごろ、買い物してなくてパジャマも上下ばらばらでよれよれなので
買う。でもSサイズはなかなかなくて困る。
病院は暑いから薄手でいいのだが、それも今の時期ない。
以前から言われていた前あきの下着も買う。
タオルも。

その足で病院へ。
ミトンをされた父、どうも酸素マスクをはずすようだ。
先生がきて、薬ののませるためのチューブの鼻からの装着を
はじめる。
あ父の食道はしっかりとじているらしい。
なかなかうまくいかないので口をあける器械とチューブをはさむ
はさみで中にいれてた。
娘がずっと父の手をにぎっていたので
なんとか父もがんばってた。
娘の声にも話にも一番安心する父なので
卒論もおわったことだし、娘が多いに働くことになる。

もう病院に任せる状態だ。
食事もないので介助もない。
4人部屋でなかなか自由なお話もできない。
今回は静かな私になっている。

そしてまたおおきなポカをした。
明日、私自身、糖負荷検査なのに、
すっかり忘れて、夜9時すぎから大いにたべて、飲んでしまった。
明日の朝、電話して変更しなきゃならない。
1日にいろんなことありすぎて、すっかり忘れてしまった。

父のこと、心配だけど先ずは肺炎の治療しかない。
by ygracia | 2006-02-16 01:07 | 今日のお話

やっぱり

江戸っ子の友人はいっつも、「やっぱし」「やっぱし」という。
私は江戸っ子のかけらだけど「やっぱり」という。
大学の先生は「やはり」という。

どうでもいいけど、母帰宅で「やっぱ」私は大パニックになった。
疲れ果てて、コタツでねむりこけ、もう起きれやしない。
「おかあさん、おじいちゃんがせきしてるよ」
「う・・・・」起きれない。
頭のなかでパッドとっかえなくちゃ、水飲ませなくちゃと
いろいろ考えるけど身体がまったく動かない。
11時半に母をトイレにつれていったきり、私は動けなくなった。

朝、起きると右足がおかしい。
床につけると激痛が走る。
ずっと昔にやった小骨骨折みたいだ。
夫にもいわず、サポーターとシップで手当て。
言えば、「ふとりすぎ」といわれるにきまってるから。

母の整形外科の診察が午前中なのであわただしくでかけると、
受付画面は午後の内科しかでてない。
あれ、文句いわなくちゃとおもいながら、予約票をとりだすと、
「3月14日」わ~~~~~~~
朝の散歩といいつつも痛い足首はずっと痛いし、もう自分に
頭が来た。車椅子押しながら、ほんと頭来た。

午後の内科まではゆっくりと思っても、
母の食事風景にまた切れて、かっかとし、
挙句の果てにその余波なのか、父が食事拒否。
豆腐グラタンを口からべ~~と出す。
もう知らん。
朝、エンシュア1本飲んだから、そんなに心配しなくていいやと
もう介護権放棄した。
父も知らん顔。
母も知らん顔。
私も知らん顔。

アルツハイマーの進み方は頭ではわかっているが
なんだかほんとに疲れる。
母じゃない母、時々現れる母、話が一方通行なこと、
要求が多いこと。世界は自分中心にまわっていると信じていること。
介護するほうは、そして実の子ならほんと疲れるのだ。

母はホームでも勝手らしい。
閉じこもる母をなんとかホールにつれてこようとすれば
「いつ寝ようが起きようが私の勝手でしょ」と怒るらしい。
たしかに自由にしていいけどこれでは人間らしい生活ができない。
部屋もカーテン閉めっぱなし、電気もつけない。
つけると最大限に怒るらしい。

家に戻っても同じ。
電気消せ。
父の世話をしてると、ため息の連続。
水がない、ティッシュない、
父のおかずをミキサーにかけてると、
自分のだと信じていて、自分のおかずはたべないでまっている。
ホームでも人のをじっと見るので、食べていいよという
お仲間がいるらしい。

母いわく「あ~まったくやになっちゃう、ぼけたひとばっかりなのよ、あそこは。
こっちがおかしくなっちゃうわよ」

いい具合にスマートになり、食事も管理されて母の糖尿は治まっている。

また新たに介護の問題を発見した。
老人ホームにおける医療のこと。
母のインシュリン注射は特別介護というものになるそうだ。
血糖測定も注射も1回いくらで計算される。
それも1回1140円くらい。
とんでもないお金になるのだ。

また介護サービスの値段のことも始めて内訳をみた。
トイレ誘導回数。
車椅子誘導回数。
着脱。
洗面。
なんでもかんでも細かく分かれていてお金に換算されている。

あ~
母には悪いけど、早くホームへ連れて行きたい。
明日は私の病院あるからそれ済んだら連れて行く。
父はお留守番。
by ygracia | 2006-02-14 14:03 | 今日のお話

なんだか

父が午前中眠っているのにはわけがあった。
このごろ疲れている私は(ずっとだけど)夜中はまったく起きない。
寝る前に父のパッドを大きいのに変えて朝までそのまま。
夕べ風邪気味だった私は11時に寝たので今朝4時過ぎに目が覚めた。
父を見ると、なんとしっかり起きている。
抵抗する父を抑えて(自分でパッドを換えるつもりらしい)、おむつ交換。褥創の手当て。
父は寒くて目が覚めたという。
毛布を1枚足して、OS1を飲んで、そしたらまた寝てしまった。
これで10時までは起きないだろう。

娘のヨガの雑誌にあらゆる世代の人間の睡眠状態が出ていた。
それを見ると、父は老人と赤ちゃんの睡眠の混合型だ。
でもぴったり合う。
面白いもんだ。

昨日はわりと覚醒していて、昼食も夕食もしっかり食べ、
おやつはアガロリー(カロリー補給のため)のイチゴミルク味。
昨日はたしかぷっちんプリンのジャンボをぺロッと食べた。
その前はハーゲンダッツのアイス1個。
これならだいじょうぶか。
ベットの上でもちょこまか動いていて、パジャマもよれていた。
血圧さえ状態よければ、車椅子にうつせるのだが、
むずかしい。

母はあいかわらず、マイペースというか勝手らしい。
昼夜逆転になりそうなので昼間起こしておこうとすると、
「なんで」というらしい。
それ以外はとにかくなじんで生活しているという。
来週通院のため3日間戻ってくるから、ちょいと大変かも。

二人介護も今は父だけだから一人介護だけど、
精神的には母を家においてあげられないというそういう
辛いプレッシャーもある。
でも現実は母がいたら父はきっと悪化するだろうし、
私も中途半端な介護のジレンマにまた陥るだろうし、
今やっと持てた家族とのささやかな団欒もなくなるし・・・
しかたないと自分に言い聞かせる。

私の入院中の父のショートが取れた。
ほんと助かった。
というのも、このショートのチーフは父が発症したときに
デイの見学に行って、はじめて老人の実態をみたり、
父の介護のはじまりに戸惑い、悩んでいた私に
「ひとりでがんばらなくていい」と言ってくれた人。
そのとき、初めて人前で大泣きしたっけ。
事情を汲んでくれたわけだけど、大いに助かった。
うちのケアマネもほんと強いので心強い。
転勤になったらついていくと言うと笑ってたこともあったけど
ほんとついていきたい。

父のヘルパーの契約が変わった。
あまりにもキャンセルや変更が多かったから、見直し。
結局ヘルパーは1時間。その後かかった時間は実績ということになり、
最大1時間半。その後は介助途中でも打ち切りで私にバトンタッチ。
どちらにしても私もいっしょにやってるのでいいけど。
かえって気が楽になった。
今困ってるのは掃除。
掃除がなくなり、部屋のさっぱり感が失われつつある。
来月から自費で頼むことになっているけど、ほんと介護保険も
なんだか用をなさなくなってくる。
結局独居老人のためと、レンタルのためだけだ。
家族がいたら掃除はだめとか、500メートル以内に親族がいたら
掃除はだめ、でも老老介護でできないひともいるし、
若い家族だって病気や仕事でできないことだってあるじゃない。
清潔に気持ちよく老人が生活できるように手伝ってくれたっていいのに。
自費といってもこれも蓄えがなかったらできないし、けっこう高いし。

ま、ほこりで人間しなないけど、困ったものだと思いながら
掃除機かけてる私なのだ。
そして自分の家族の居間は娘が掃除し、ほかのとこは
夫が掃除している。
by ygracia | 2006-02-11 05:50 | 今日のお話