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退院前に

命の尊厳という言葉をいっぱい聞くけれど、今日は、
父の命を大切に思ってくれる人たち6人が(真のところはお仕事かもしれないけど)
退院後の準備のために集まってくれた。

私は不覚にもまた泣いた。

ほんとうの意味での在宅介護が始まるような気がする。

先生もやってみなければわからないよねと言っていた。

とにかく4月6日退院。

明日は寝台車などの予約をしなければ。

父の嚥下訓練のことを聞いてみた。
そうしたら、やはり口からの食事は無理とのこと。
嚥下能力自体が衰えているのだそうだ。
飲み込めたようでも飲めていないので結局また肺炎を起こすと言う。
胃ろうにしたのだからそれでやっていくのが本人のためだと言う。
しかし口から食べれることのほうが本人のためなのにと思った。

父がまだ生きたいという意志を示したから胃ろうにしたけれど、
またまた迷ってしまった。
父はアイスやゼリーは食べられると信じている。

訪問看護のチーフナースはベテランでいろいろ教えてくれそうだ。

あ~今日は疲れた。

そんななのに、ケアマネ以下3人の帰り際、どうやって帰るのか
心配になり、喉元まで(車で送りましょうか)という言葉がでてきたけど
必死で抑えた。
今はできることだけを選択しよう。

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父の食事の必需品だったミルサーやベビーフード、ゼリー・・
もういらなくなっちゃった~
by ygracia | 2006-03-31 21:35 | 今日のお話

雑用

父の退院は私の準備でき次第ということで、一挙にやることがいっぱいでてきた。

2ヶ月の入院でなぜか部屋がすさんでしまい、荷物だらけ。
父が緊急入院直前に頼んでしまった、やわらかごはんや、
ウィダインゼリーの箱が山積みになってるし、エンシュアの箱もあるし。
私の服もたまっちゃったし。
人が出入りしなくなったから、お掃除もしないし。

と、やっと今日から大掃除。

今までのケアマネさんが異動になるので、これを機に訪問看護サービス
ステーションのほうのケアマネに代えることになった。
正直、不安はある。
今までのケアマネさんがしっかりしてたので、相談もしやすかったし、
これからまた新しい人間関係というのも疲れる。
だから、ヘルパーステーションはかえないことにした。
ただ、実際訪問看護が始まらないとどうなるかわからないけど。
同じステーションのほうがやりやすいのかもしれないし。
今週末、病院で新ケアマネとあうことになった。

この先の生活、かなり不安がある。
痰の吸引も多いし、目がはなせないのも事実。
父はまた車椅子にのって、生活することを考えているようだ。

今日は考えがまとまらない。
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父不在のベットは猫ベットと化していた。
by ygracia | 2006-03-28 18:22 | 今日のお話

ふつうの日

ふつうに家族生活を送ることなんて東京で両親と同居するように
なってから、あんまりなかったような気がする。
同居して、すぐ、母の足首骨折。
次はたしか息子の中学の初の父母会の日に
また母が骨折。
そんなことのくりかえしだった。

でも今日は娘の大学の卒業式、
人並みに着物に袴で朝から、美容室へ。
私も子供の頃からお世話になっているご夫婦先生に
着付けしていただく。
私もセット。

昼から家族で写真。
息子も娘もついでに夫婦でも。
ご飯を食べて、娘は大学へ、息子は予備校へ。

家族の行事を終わらせて、父の夕食のため病院へ。

父に写メで取った、娘の晴れ姿をみせると、
「○○は?」と言う。
「なに?」
「色は?」
ひゃ~~父が着物と袴の色を聞いてきた。

夕方の私と父の会話。
白い壁に手をふる父。
指を指す。
「あれはだれだ?」
「え~私、知らないよ、お父さん、知ってる人?」
「知らない」
「もうすぐ帰るんじゃない?」
「そうだな」

ナース。
「こんばんは、」
「・・・・・」
「おとうさん、こんばんはって。」
「・・・・」
「こんばんは」
突然、大きな声で「こんばんは!」
「わ、うれしい、ひさしぶりで声きいたわ~~」

「お父さん、ちょっと本返してくるから、私のバック、見張ってて。」
と父にバックを持たせる。
「いいよ」
戻ると、「おとうさん、ありがとう」
バックを放してくれない。

「ひげそっていい?」
「だめ、あとで」
「・・・・」

今日はナースに内緒でお茶をボトルのキャップに半分ほどいれて
口に含ませてみた。
「味する?」
「しない」
もうちょっと入れてみる。
「お茶の味した」
あとでむせないか心配したけど、口の中広がってしまうくらいの量で
何もなかった。
でも水は気をつけなくちゃいけないからもう止めておこう。

は~~今日の1日は長かった~~

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我が家の玄関先はお花がそろい始めた。これはクロッカス。
by ygracia | 2006-03-25 23:58 | 今日のお話

お休み

今日は身体の具合が悪く、おなかもこわしたので、父の病院はお休みにした。
昨日主治医と会い、現在の状態も今後のことも聞けたので良かった。
呼吸がやはり変動があるのでもう少し様子をみようということになった。
ときどき、呼吸をさぼるらしい。

土曜日は娘の大学の卒業式。
母が元気だったら、率先して支度してくれただろうに、
できの悪い私はなんでも間際に準備。
ま、それでもなんとかなるだろう。

毎日、なにかしら用事があって疲れる。
明日は息子がお世話になった人に会わなくちゃならんし。
美容院へも行きたいし。
体操にも行きたいけど、体力的にひとつしかできないな。

昨日は母のところに紙パンツなどを届けにいった。
午前中は自分の診察があり、そのあと、父の経管栄養をやり、
それから母のところへ。
途中でお菓子でも買っていこうと思ったがもう体力限界でやめ。
母は私の顔をみると迎えに来たと思って、あわてた。
なんで帰れないのかといわれたので「おとうさんが入院してるのよ」
というと、「そうかい」
話もしたかったらしいが、私はまた父のところへいかなくてはならないから
さっさと引き上げた。
よそのおばあさんが私に「ここにすわりなさい」と呼んでいた。
みんな、寂しいのだろうな。
また母のためだけの時間を作らなくてはならない。

こんな合間にソファに倒れこんで、韓国ドラマにはまる。
いま、見てるのは「君に出会ってから」リュ、シオンの。
韓国版「渡る世間・・」かな。
面白い。
53才の母親のせりふがいい。
純粋で、まっすぐで。

ここのとこ、ストレス解消は韓国ドラマなのでなんだかんだと見てしまった。
「大望」「ローズマリー」
でもまだ韓国語は覚えないな~~
by ygracia | 2006-03-24 00:53 | 今日のお話

疲れた

とにかく、慢性の疲れがたまっていて、毎朝「あ~1日中寝ていたい・・・」と
思いながら目が覚める。
今は無呼吸の治療器「CPAP」を装着して寝るので、夜中の数時間は
しっかり寝ているらしいのだが、よく寝たという感覚はない。

あんまり疲れているので気分転換に出かけた。
娘の卒業式に使うピアスを買いに六本木ヒルズへ。
駐車場もずいぶん進んだシステムで、薄暗い照明だけど
近未来的な空間。
すぐに昼食。
ふたりとも「オン ダイエット」なのだけど、「ROY’S」で
昼食。
ヒルズにお勤めの方々が、ネームカードぶら下げてさっそうと
やってくる。
外国人も多く、いろんななまりの英語が飛び交う。
流暢な日本語で話す人も多い。

デザート、コーヒーまで含めた(それもかなりゴージャス)ランチが
ふたりで3000円。

それからアクセサリー店めぐりをしてピアス購入。
あとはぶらぶらして、地下にあるジムを覗き、
だれか有名人がきてたらしいけど興味ないので通過。

ヒルズも夏の間の昼間はけっこう人がいなくてビル風がかえって
気持ちのいい、ゆっくりできる場所だったんだけど
今はもういつでも観光客でいっぱい。
きれいだった階段もガムのあとでいっぱいだし、
なんだかがっかりだ。

でも1組の78歳?くらいのおじいさん、おばあさんがとっても楽しそうに、
あっちだこっちだと歩いているのにはなんかうれしくなった。
そのおじいさんとトイレのまで会う。
一人で「う~~んと、コッチから来たから、コッチへまっすぐだな」
としゃべりながら、歩いていった。
そのあと、アフタヌーンティーで楽しそうに買い物する
おばあさんとおじいさんは合流。
「買い物できたの?」
と大きな声で声かけるおじいさん。
いい、これなら観光客増えたっていい。

今日は買い物や食事をしたので駐車も無料。

父の経管栄養には間に合うはずもなく、病院へ電話を入れた。
初のおさぼりかな。
夜遅くに父のところへ。
加湿器も持っていく。前日Vicksの加湿器をもっていき、b0055939_9292350.jpg
ナースたちもアロマの香りが気に入ってたのだが、
長時間もたないのと、水のほかに塩をいれたりめんどうなため
今日はKAZの加湿器を持っていった。b0055939_9301763.jpg
もっと早い段階で気がつけばよかったとほんとうに
後悔。

父は何かしゃべっているけどわからない。
by ygracia | 2006-03-21 09:34 | 今日のお話

父入院中8

おととい(18日)の夕方、経管栄養の夕食の練習を
私がして、約1時間半かかる滴下を終わり、
しばらくしてから父の呼吸がおかしいのに気がついた。

夕方から幻視かせん妄か天井を見据えては
声を出していた。
どうしたのときくと父は「つかれた」という。
その中で穏やかに天井を眺めているので「誰かきたの?」
と聞くと、
「じいさん」という。手を振っている。
「麻布のおじいさん?」「お父さんのお父さん?」
私はなんとなく、祖父を思いだし、嫌な予感に襲われた。
「うん」父は穏やかに答える。
ほかにもいっぱい来ているらしく回りをながめながら手を伸ばす。
なんとなく伯父たちを感じたので心の中で
(まだまだめだめ、帰ってくださいな)と言ってしまう。
父には「心配で見に来たんだね」というと
「うん」という。
そのあと、何か言っているが聞き取れなかった。

呼吸が荒くなり、痰もひどいのでナースを呼び、
現状を見てもらう。
(家族がいるとまったく様子を見に来ないのだ、いつものことながら)
すぐに様子がちがうことがわかりパルオキシメーターを
持ってくる。
数値は89から90.
90あればだいじょうぶというけど、父は具合悪くても97くらいだ。
やはりモニターをつけることになった。
しばらくして落ち着いてきたので97から98。
父は寝入った。

翌日(20日)病院にいくと酸素マスクと、自動吸引の機械をつけた父。
酸素飽和度は100。

顔見知りのナースが来て説明。
夜中にまた数値がさがったので酸素マスクになったという。
レントゲンも取ったが、肺には異常なかったという。

意識ははっきりしていた。
「お父さん、もうすぐ退院だからしっかりしてよ」
というと、「うん」
発語が極端に少なくなった。

娘が心配して携帯のテレビ電話をしてきたので
父に見せる。
孫娘の顔を見てびっくりする父。
しかし、見えるという。

2回目のテレビ電話は猫のトラを出す。
「トラだよ」
「うぅおうぅあ」父は大きな声でトラと2回呼んだ。
娘がバイバイというと父も「バイバイ」といった。

痰が非常に多くなっている父。
心配の種はつきないがなんとか復活してもらいたい。

そして食事がなぜできないの考えている父。
経管栄養の食事のたびに、ナースは「ごはんですよ~~
いただきま~す」なんていうけれど、
私は慣れない。
「おとうさん、入れるよ」しか言えない。
テレビでみたドキュメンタリーで、元気そうなおばあさんが
やはり胃ろうで、口からは食べることはできない。
ふつうに洋服をきて椅子にすわって経管栄養をする。
「おすしが食べたいね~~」
娘に訴えるおあばさん、あのときの娘さんが目をそらして
「今度ね~」と言ったあの、表情、今、気持ちが良く分かる。

というわけで父の状態、いまいちだ。
by ygracia | 2006-03-20 09:10 | 今日のお話

コメントへのお返事

☆ねこみみさん、
やっぱり救急車の中、一緒だったんですね。
お父さまの状態もおんなじだ。レビーって、急にどこか刺激受けると
目が覚めちゃうのかな。
昨日のニュースで救急体制の見直しをするといってたけど、
私たちのような状況だと後回しになる可能性大になって行きそう。
民間救急車を使えというけど、これまた病院が受け付けないから
あ~もっと悲惨になっちゃう。

☆あやめさん
きてくださってありがとう。
ホームページ、すこし拝見しました。
参考にさせていただきます。ありがとう。
2回ほど注入など練習してきたけど、薬をいれるとき、
びゃーーとかやってしまったり、私はあわてたけど
父はケロッとしてたのでなんかおかしかったです。
病院では水道から水を注射器にいれるので、なんか嫌な感じでした。
でも人間強いらしく、父は元気なのでま、いいかと思ってます。
何かわからなくなったらまた、相談させてください。
by ygracia | 2006-03-18 10:57 | 今日のお話

人生を思う

昨日母を1日がかりで病院へ連れて行き、午前中整形外科、
いったん帰宅して、午後消化器内科。
今回は結構母がおとなしくしてくれたので助かった。
股関節の骨折もくっつき始めていて先生も喜んだ。
脳梗塞をやった人はホルモンなどの関係で石灰化が進むんだそうな。
それでくっついたのか、エビスタという薬が効いたのかどっちかわからないけど
先生も私もあきらめていたのに、くっついたから良かった、万歳だ。

母は、「ありがとうございます」「あ、そう」と言った。
私はおおげさに良かったね、良かったねと言ってみた。

午後、「私は泊まれないの?」と聞くので
私の具合がよくなくてお母さんの世話をしてあげられないこと
お父さんにも手がかかることを説明すると、
「しかたないね」と言った。

病院は混んでいて駐車場にははいれないのでどうにかしなくちゃと
考え、朝7時に車を駐車場においてきた。
うちから歩いて8分、母は車椅子で病院へ。
ただ私の体力と悪い腰と足と心臓が車椅子の往復に
耐えられなくなっていたので車を先に置くことがいちばんだった。

帰りは母に、蒸しパンとコーヒー牛乳を買い、車の中で食べさせた。
普段なら、糖尿に悪いものは一切あげないけど
楽しみもなくちゃと思い切った。

父のところに寄りたいという母の希望は果たせなかった。
もう私が母の乗り降りに限界だったから。

ホームで元気なスタッフに迎えられると母はもうケロッとしていた。

あわただしさも消え、静かな車の中で
「おとうさん、おかあさん、ありがとう、ごめん」
と言いたくなって、号泣しちゃった。

夫に言わせると父母のめんどうを一生懸命みれることは
幸せなことなんだという。

でも私から言わせてもらうと、やってあげたいこと、やらなければならないことの
半分しかできていない。
父が通い続けていた教会へも顔だしていないし、コンタクトも
取ってないし、父や母の人生をどういう風に整理してあげればいいのかも
わからない。
毎日のことに振り回されるだけだ。

先日私が病院へ行かなかった日の翌日、実は父は
死にかけた。
幸いに主治医もいたのと、あわてたナースたちの必死の思いで
助かっていた。
要するに、午後中、父はほったらかしで父の異変に気がついたのは
夕食の時間だったと言うこと。
父は生きようとする力が強かったらしく、できない呼吸を
必死にしていたらしい。
口の潰瘍にあてたガーゼがのどに詰まっていたのだ。

前日、痰がからんでもナース呼べないし、ナースも来ないし、
それで死んじゃうなら、うちで私が理解できる範囲内で
死ぬほうがいいと、夫に話していたばかりだった。

ただ病院はこのことを話す気があったのか、そこが疑問。
ちょうど騒ぎがおさまったところに私が行ったのだが、
詳しい話があったのは1時間くらいたってからだ。
私の質問には「痰がからんだ」とうそを言っている。
これって、やっぱりクレームだしたほうがいいのかな。
その後、毎日、ナースたちに謝られるのは閉口する。

とにかく父も復活し、また生き始め、母は体調抜群でケロッと生きてるし、
これを感謝しつつ、私自身の人生もきちんと落ち着かせなくちゃ。
振り回されすぎないように・・・
by ygracia | 2006-03-15 18:48 | 今日のお話

在宅介護と救急体制

昨年9月に脳梗塞を起こした父、その1ヶ月の入院がきっかけで筋力も落ち、
老化が一挙に進んでしまった。

このときは搬送先病院と、主治医(開業医)との連絡もうまく行き、
スムーズに行った。

12月には意識レベル低下、脱水で救急搬送。
このとき、希望する病院で断られ、搬送先を確定するのに、
20分以上、救急車の中にいた。
この間、訪問診療の先生に連絡いれて、病院に電話をしてもらいたいのに
躊躇していて、してもらえない。
強引に私が病院に電話、先生につないでもらってしまった。
「僕には権限ないけれど、クリニックの先生から電話をいれてもらえれば
救急のほうで考えてもらえると思う」
その電話と、救急隊員の再度の救急外来へのトライと
クリニックからの電話とが偶然にうまくそろったのか、
希望先に運べることができた。

今年、2月の初旬、また意識レベルは低下。
脱水らしいので訪問の先生に来てもらう。
点滴の準備をしたが、血管が細くて入らない。
救急搬送を決定。
その場で先生に紹介状を書いてもらうが、先生たちは
さっさと逃げるように帰ってしまう。

救急隊員は「なんで帰っちゃうんだ」と怒る。
紹介状もあるし、だいじょうぶかと思いきや、断られる。
訪問診療の先生にも隊員が電話して
「どこか病院紹介してもらえないんですか」
そして、車の中に何十分いたんだろう。
順番に病院に連絡、
「男性・・86歳・・・・レベル3・・・」
繰り返すが年齢を聞いただけで断られる。
6件没。
さすがに「じゃ、もういいです、家にもどる」
と私が言うと「出動してるし、紹介状もあるので搬送しなければなりません」
といわれる。
訪問のナースに「家に連れ帰る」と電話すると、
「とにかく、どこでもいいから点滴してもらって。がんばって」と言われる。

2回ほど、警視庁センターに依頼したが、自分たちで探せと断られる。
7件目を探す間、隊員とおしゃべり。
8件目でやっとOK。

そして今回は自分で病院に電話すると、
「連れてこれるなら、いいですよ」というわけ。
でもそれは無理だから救急車を呼ぶというと、
「では隊員から電話させてください、先生につなぎますから。
でも受け入れられるかどうかはわかりません。
男性用ベットはまったくありません」
と言われた。
それならと先回お世話になった病院に電話。
すると、「救急外来が混んでいるので10分か15分後に電話してください」
というわけで、待てないので救急車を呼んだ。
それでも運良く1回で希望先へ搬送できた。
訪問診療の先生には頼らなかった。
もう顔見知りになった隊員と話す。
「どこもいくところがなかったらどうするんですか?」
「それは大丈夫、自分たちは4班合同で探すための
ポートがあるので、都内どこかしらに搬送します。」
そうなんだと思った。

こんな悠長なことをやってられたのは、意識のなかったはずの父が
なぜか救急車にのると復活しちゃうのでみんな落ち着いてるわけ。

しかし、見てもらえる病院がないということはほんとに怖い。
うちの訪問の先生は開業ではなく、訪問専門のクリニック。
大手病院とかかわらないのは何かなわばりみたいなものがあるのかも
しれない。
たまたま父がレビーで先生同士が知り合いだったことなどから
入院後はスムーズではあるのだが。

アメリカのようにドクターが病院と提携して、ベットを確保してくれてたら
どんなに安心か。

知らない病院に搬送されると、レビーの説明を初めからしなければならない、
いつ発症してどういう経過で今どんな状態か。
2月初旬の病院は内科の先生が見てくれて「老衰」といった。
そして、血圧が異常に高かったので降圧剤というので
あわてて私が静止。説明。
レビーといっても「なにそれ」と言った。
若い先生がパソコンのところに行き、調べてきた。
カルテに「LEWY」と打ち込まれた。
「DLB」でしょうがと言いたかったけどやめた。

いまでこそ、神経内科の先生ならわかるだろうけれど、
ほんと知らない病院にいくのは辛い。
そして入院になったら、もっと怖い。

ほかの在宅のかたたちは緊急時、みなスムーズなのだろうか。

救急隊員に言われた。
「大手は今、なかなか受けてくれないんです。
通院患者でもですよ。
どこか小さな病院で1回かかって、そこに搬送できるように
しておくといいと思いますよ。
高齢ですし」

どこかいい病院あるのだろうか。

~救急事業に関して~東京都の場合(2004)
by ygracia | 2006-03-14 00:28 | 介護に思う

父と母の再会

母を迎えに行くと肌着1枚でタンスを全部あけて、
またその上から肌着をもう1枚着ようとしているところだった。

私は1ヶ月母をほおっておいた後悔の念でやさしく
「おかあさん」と呼んだけど、なぜか
母はあっけらかんとしていた。

スタッフに「何泊するの?」と聞く母。
私には聞かないのはなぜか。

父の病院に寄り、母をあわせた。
「こんな病気になっちゃって・・」と母。

父はベットを起こして母を見て、手を握った。

母は入ってくるナースに
「お世話になります」と挨拶してた。
整形に入院してたときのナースが声をかけたが反応なし。

母に後で聞くと、入院したことは覚えていないという。

母のADLはとてもよくなっていた。
身体もひきしまり、軽く動ける。
顔もすっきりして、そんなにおかしくはない。
やっぱり専門家に見てもらっているのは違う。
ま、一人なら私もなんとかやってたかもしれないけど。

明日は、母の病院の日。
1日がかりになる。

今回は私の体力ゼロ。
もうまいった・・・
by ygracia | 2006-03-13 23:39 | 今日のお話