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最後の日

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2007年も今日でおわり。

さっき母に電話したら、ものの数秒で切られてしまった。
「わかったよ、だいじょうぶ」で終り。
やはり元気はないみたいだ。
3日に会いにいく予定。

私の風邪はまだ治らず、声も出なかったり、ガラガラ声というより
チョーハスキー。

今年はほんとに早かった。
あれと思っている間に364日が過ぎちゃった。

でも振り返ってみると多くの出会いと新しい世界と
いっぱい体験できている。

来年はもう少し、ゆっくりと冷静に順序良く穏やかに過ごしたい。

まずは体調を整えて、母も楽しませてあげたい。

今年お世話になった皆さん、また来年からもよろしくお願いいたします。
by ygracia | 2007-12-31 12:11 | 今日のお話

今年も

去年の日記をみたら、30日に風邪をひき、母を迎えに行かれなかったとあった。
毎年同じなわけだ。。

今年は24日から帰宅してもらう予定だったのに、膝を痛め、予定を変更。
そして先週からひどい風邪を引き、年末の帰宅もキャンセルとなった。
母に電話でその旨伝えると、「わかったよ、早く直しなさい」と答えた。
でもとてもがっかりしている様子。

今年は体調不良に悩まされた。
前半はヨガやマクロビオティックを始めて、勢いにのっていたのに、
後半は故障続き。
それでも精神的にはまあまあだった。

母にはほんとうに申し訳なくて、風邪が治ったら、すぐに呼んでこようと思う。

今回の風邪はしつこい。
なんだかだるいと思ってたら、ハナ、くしゃみ、咳と続き、
咳に弱い私は咳しすぎて、胸が痛くなった。
咳が治まって来たかなと思ったら、鼻づまりで、こんどは声がでない。
朝なんて何にも声がでない。
昨日も今日もささやくように話すかまったく声なし。
ハナは詰まり、ハナをかみだしたら、際限なし。

もう〜〜〜

おまけに膝も痛みだした。
話にならない。

それでも明日はきんとんと、なますと、酢蛸と黒豆だけは作らなくちゃ。

今日は忙しい夫に替わって、遅い年賀状作り。
データが私の古いバイオに入っていて、開けられなくなったのと、
データをバックアップしたのかしてないのか記憶もなくて。。
今年は手書き。
でもデータいれて印刷してるより、早かったような気がした。
手で書くとその人のことをちょっとだけ思いながら
宛名を書くから、気持ちはとっても穏やかかも。。
ついでに、はんこ押しなんかもやってみた。

ところで大掃除もしていないけど、ま、いいか。

31日も元旦もつながっているわけだし。。。
by ygracia | 2007-12-29 21:41 | 今日のお話

お知らせ

コメント欄はしばらく利用できません。

でも、ほんとに腹が立つのは、真剣に生きている人の
ところにそして、今日命が燃え尽きるというお話を
書いている人のところに平気でくだらない書き込みする
ものどもです。
もちろんコンピューターから一斉に送られてくるものも
多いのでしょうけど
あきらかにいやがらせと受け止められるものもあります。

ネガティブなものは太陽パワーで吹っ飛ばしましょう〜〜
by ygracia | 2007-12-26 09:24 | 今日のお話

訃報2

最近ネットで知った方のお父様が亡くなった。
介護スパイラルに陥っていて、なんとか引っぱりだしてあげたくて。。

でも私もそうだったように、介護というのは自分がやっていることが
一番だと信じないと続かない。
だれに何を言われても参考にはするけれど、その通りにするということは
あんまりない。
それに介護者ひとりで奮闘してたら、ほかのことをする時間なんてない。

飛んで行って手伝ってあげたいくらいだったけど、
それはかなわなく、こころばかり心配し続けてたら。。。

自分を責めないでほしい。
しっかり気を持ち直してほしい。

人間誰でもそうだけれど、大切なものを失ってみてはじめてわかること。。

命があるときは、目の前のことが永遠だと思っている。

私は臆病だから、後悔したくないから、今を一生懸命、精一杯にと
思いながら、父と生きていたのかもしれない。。
それでも、いっぱい後悔することは残った。。。
by ygracia | 2007-12-21 10:01 | 今日のお話

訃報

ずらっちさんのお父様が亡くなりました。

ずらっちさんは、ずっとご主人とお父様を在宅で看護されていました。
ご自分はヘルパーとして他のお年寄りのお世話もしていました。

今年8月にご主人を送り、そして昨夜お父様を見送られました。

今月初め病院からお父様を連れて帰り、終末の介護をなさっていました。
その姿を見て、いっぱい考えさせられました。

心からご冥福をお祈りいたします。
ずらっちさん、お体いたわってください。

合掌

ずらっちサロン
by ygracia | 2007-12-20 12:40 | 今日のお話

レビー小体型認知症積極的介護

ずっと以前から見させいただいていたサイトです。
紹介したことがなかったので、今日紹介します。


認知症と闘う母、5年間の介護手記
レビーに限らず、介護の仕方も知ることができます。
ぜひご覧下さい。
by ygracia | 2007-12-18 21:49 | 今日のお話

認知症の告知

こてつさんのブログを読んで、父のことを考えてしまった。

父母と同居を始めたのは16年前。
母が網膜剥離をして、家事の負担が大きくなってきた
のと、夫の両親も亡くなり、夫自身の決心もついたことが重なり、そして念願の
同居が始まった。

もちろん父も母も元気で、私はいっぺんに甘ったれの一人っ子に戻り、
好きなようにさせてもらった。家事はどちらかというと母がやってくれたような。
子供のことも父母がいるから、安心して、私はボランティア活動に
うつつを抜かしていた。
父も体調が悪いときは、自分で病院にいき、全ての手続きをしていたから、
白内障の手術につきあったのと、ほかの検査の結果を聞きに行くのに、
同行したくらいで、一人娘としてはかなり呑気にやっていた。
同居前父が腎臓ガンの手術をしたのに、それほど大騒ぎもせず、
心配もしなかったのは、父がすごく落ち着いていて、告知も一人で
受けて、私にも手術さえすればいいんだからと、あっけらかんと
していたから。
その後の検診も一人で行き、3年たった、5年すぎた、と
お祝いし、まったく不安感を見せなかった。

そんな父が初めてみせた弱気は、自分のコントロールができなくなり
鬱状態になったとき。
「どうしてやる気がでないんだろうか」

日曜日には日曜大工に、園芸。
ウィークデイは会社顧問として仕事に行き、机にすわっているとおもいきや、
営業といっしょに、会社回り、また技術者と現場まわりで、現役時代と
同じ仕事をしていた。
リタイア宣言をしたのが80歳「もういいだろう」と。
それでも会社から相談電話が絶えず、結局ちょこちょこ会社に
出かけたりしていた。81歳になるころに完全にリタイア。
その後も自分で区報を見て、何かに応募したり、シルバー大学も続けていた。
それがすこしづつ、すこしづつ、変化してきていることに
私はまったく気がつかなかった。

脳血管性痴呆(当時)と虎ノ門病院で診断されたとき、
父には外で待ってもらって、私だけが聞いた。
だから父は「痴呆」と言う言葉は聞いていない。
私が父に伝えたのは「小さい脳梗塞のあとがちょこちょこあるんだって、
でも年相応だから、普通にしてていいんだって。」
父も納得して脳の血流をよくするからとサアミオンをしっかり飲んでいた。

それでも鬱っぽい状態が消えなくて、私は叱咤激励。
父はそれに応えようとがんばってくれた。

いろんなことがあり、パーキンソンだと言われて、父は自分で首をかしげた。
「パーキンソンの友人がいるけど、ちょっと違うけどなぁ」
そしてパーキンソンの薬で父が廃人になりかけ、違うと確信。

西村先生のくるみクリニックの初診で、レビーとわかり、
そのつぎのときだったか、忘れたが、父が「何の病気だ?」と
聞いたような気がする。
「レビー小体というものが脳の中にできて、それが
悪さをするんだって、分かって良かったよね。お薬も効くし」
やっぱり認知症という言葉はださなかった。

自分があなたは「痴呆症」です、って言われたら、ぜったいいやだから。

父は素直に受け入れて、それ以上私に質問しなかった。
アリセプト効果もあったし、鬱も脱却して
デイサービスにも楽しく通えるようになったからだろう。

幻視がひどいときも本人は夢みたのかもと、思っている段階は
せっせと素直に薬をのみ、いたって元気だった。

はっきり言って、レビー小体病だから、いっしょに戦いましょうというのは
ありえないだろうと思う。
もしかして治験に積極的に参加して自分を実験台にしてこれからの人々の
ために役立ててくださいという人がいるかもしれないけれど、
そういう精神状態になれる人がいるかどうか私には今はわからない。

もう80年以上生きてきて、自分はなんとか生きている、レビーだか
なんだかわからんけど、治るものかどうか、すこし不安だけど、
こんなものかと思っている人がほとんどじゃないかと思うのだ。

じゃ、アルツハイマーです、と言われたら?
若年性アルツハイマーの家族会(ご本人も含めて)の座談会
傍聴させていただいたことがある。

ほとんどが働き盛りの年齢。
ご自分の病気をしっかり受け止めているけれど、コントロールはできない。
それをサポートするのが家族であるわけだけれど、その苦しみ(あえて
苦しみといわせて)は、計り知れない。

若いからまだ人生の道が半分だから、きっと努力する余力もあるし、
必要性もあるのじゃないだろうか。

もし私が、今、あなたはレビーです、と言われたら、
実態を知って、残された時間をどう過ごすかと計画したとして。。。

レビー小体が、あたまのなかにある限り、自分でコントロールできないんだから
だったら、自然に過ごすのがいちばんいいや、って思うだろう。

明日死ぬのか、来年か、10年後かそんなこと、わからない。
レビーであろうが、アルツであろうが、病院でたとこで、交通事故で
死ぬかもしれないし、インフルエンザで死ぬかもしれないし、
階段おっこって、頭打って死ぬかもしれないし。。。(表現悪くてごめんなさい)

虎ノ門で診断受けたときに、先生が言ったことば
「ふつうに生活してください」

私が言う、「どうしたらいいですか?」への答えはいつも
「ふつうに、自然に生活してください」
だった。

この言葉にいらだち、レビーと診断されてアリセプトで快復したときは
「努力できたのに、直せるのに」と思い、反感持っていた。

でも在宅介護を終えて、思うこと。

「ふつうに生活してください」

ご飯を食べて、寝て、笑って、薬飲んで、ご飯食べて、ちょっと家族とけんかして、
寝て、夢見て。。。ご飯食べて。。。寝て。。。わらって。。。。
そのふつうの生活の中で好きなことができるなら、家族の力を借りて
やってみよう。。。
やりたいことある?って聞いてみたら、やりたいことあるよって
答えてくれるうちに、できるときにやってみればいい。。
ご飯食べて、寝て、薬飲んで、やりたいことやってみて。。。。

家族が必死になりすぎて、本人を振り回してしまうこともある。

また本人がどうしても病気に関して納得したいというなら、共に
戦ってもいいとも思う。

それを見極めるのは家族、いちばんそばにいる介護者しかいない。

いのちまるごと引き受けるのは、ほんとに大変なこと。

赤ちゃん育てるのは未来と夢と希望があふれる。

人生の終焉を迎える人のいのちを引き受けるのは自分のいのちもけずること。。。

父の引き出しを片付けていたら、メモがいろいろ出て来た。

「アルツハイマー病。。。。脳の中に。。」
父がテレビ番組でみた内容を書いていた。
レビーと診断されたあとの頃だと思われる。

父が何を思っていたのか今はもうわからないけれど、
最後まで生きようと力を振り絞っていた父には
レビー小体型認知症はまったく関係しなかった。

在りし日の父、ジュリと。。

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by ygracia | 2007-12-17 00:22 | 介護に思う

SMILE ~聖夜の奇跡〜

SMILE ~聖夜の奇跡〜
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アイスホッケーの映画です、そして小さな恋の物語〜〜役者、陣内孝則監督作品。


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私はアイスホッケー大好きなんです。
アメリカ東部の田舎町にいたときから、大好きで、
でも帰国してから東京生活で忘れてたのですが、
荒れてた息子が、突然、野球少年返上してアイスホッケーにはまりました。
「飛べないアヒル」の映画同様、都内高校史上最高?の弱小チームで
ほとんど全員素人同様からスタートでした。
スキー部から来た子はなんとかすべる、サッカーから来た子は気があせって
ずっこける、ほとんど運動したことない子は突っ立ってるだけ。
それでも各部のエースだった子たちが必死の努力で試合に参加できるまでになり
ました。
初試合は、悲惨なんていうもんじゃありませんでした。
相手チーム(うちの高校除いて、みんな子供のときからの経験者、北海道からの
推薦組ばかり)についていくこともできず、相手の練習台になったようなもの。
ゴールキーパーは200以上のパックを打ち込まれ、たってるのもやっと。。。

そしてうちのこたちも努力と涙と汗と笑いとで、たった一度でしたが
Bブロックの優勝を果たしました。
みんな、すばらしかったぁ〜〜〜

陣内さんの息子さんも同じ世代で、ホッケーしてまして、
陣内さんも応援にきていたとかで、かなり通るお声で指示するので、
最後には、監督が「お父さんの声はきくな!」と言ったとか言わないとか。

同じ頃、キムタクが「プライド」というアイホのドラマやってくれたので、
アイホ人口というかフアンが増えて、試合を見に来てくれて
すこし、潤うかと思ったのに、しりつぼみで、だめでした。
がっかりした。

アイスホッケーは、リンクの確保にお金がかかります。
フィギュアスケートも同じでしょう。
装具も揃えるのにかなりかかりますが、最初だけ。
リンクがもっと増えてくれたらいいのに、やっぱりだめですね。
息子たちもリンク作るのには、維持するのにはいくらかかるんだろうって
いっつも話してました。練習場がほしかったんですね。

この映画を見て、子供にアイスホッケーさせてみたいって
思う若いパパ、ママがいてくれたらいいな〜〜
たくましくなるし、我慢強くなるし、汗かくし、チームプレイだし、もちろん女の子もできます、
女子チームもあります、
華奢な体でもたくましく戦いますよ。
アイスホッケーマガジンも休刊になり、なんだか寂しかったとこに、
素敵な話題が生まれた!
陣内さん、ありがとう!!

ぜひぜひ、見てください。


本日公開上映劇場一覧
by ygracia | 2007-12-15 12:24 | 今日のお話

加齢

茨城県で、犬と散歩に出た認知症の女性が30時間後に5キロ離れたところで無事に発見されたって。老犬をしっかり抱いていたので体温が下がらないで助かったそうだ。
う==ん、この手のお話にはすぐ涙がでる。良かった!
(後日談、このわんちゃんは、おばあちゃんの犬ではなくて、3日前に3キロ離れたところからいなくなった犬だったそうな。予知能力でどこかのおばあちゃんを助けるために待ってたのかなぁ〜〜)

近所の警察署にもずっと張られている捜索人のお知らせがあって、
それも80近いおばあさん。お散歩にでたまま行方不明。
認知症の実態は深いこともあるとつくづく思う。
ご家族の心痛、たまらない。

こちらもいい話。

「気管に食物」でも感染もー

嚥下に心配ないと思っている高齢者でも家族は気をつけて。
機能の衰えは知らないうちに進んでて、突然発覚します。

実は、私も膝に激痛。
まさかの「カレイ」

いつものE病院にいくかと考えてたら、たまたま近くに膝の専門医が
いることハッケン。
テレビに出て患者数が増加しているらしいけれど、信頼できそうと
、それにこれは長いおつきあいになるとおもい、予約を入れた。
昨日、診察。
A先生はしっかり握手でご挨拶。
N先生に注射してもらって、激痛も治まった。
膝は軟骨がすり減り始めている状態。
来週からリハビリ開始。
かなりの患者さんがきているけれど、先生はじめスタッフもとにかく
やさしい。
やっぱりコレからは医療も「人」で選ばれて行くなと
つくづく思った。

母のリハビリ用ズボンをはいて、母の杖をついて
よたよた歩いてたら、ほんとに悲しくなっちゃった。
筋力アップの運動してたはずなのに、、、
ヨガだってやってるのに。
そして、まわりのおばあちゃんがすたすた歩くのを
見て、もっともっと悲しくなった。

両膝激痛と言って、必死の形相で杖をつき、入って来た
私と同年齢の女性、ソファに倒れ込む。
「歩けない〜〜」
わかる、わかる。

60歳になると元気になるってほんとかな。

とにかく「カレイ」に悩まされる今日このごろなのだ。


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by ygracia | 2007-12-07 09:58 | 今日のお話

ばんざい!!

ぼーっとしてたら、こてつさんから情報到着。

小阪先生中心に、先月
レビー小体型認知症研究会ができてたぁ〜〜〜

まだ昨年scallopsさんがまとめてくれたもののほうがずっといいけど、
なんだか嬉しい。

近い将来、レビー小体を消す方法が発見されるかも。。


ところで、ドクターコウノのブログ
「大学病院に殺される」という過激なタイトルだけど
私がいつも気になってた、抗うつ剤とアリセプトのことが出ている。
みんなよく読んで気をつけてください。

ドクターコウノの信奉者が多すぎて、いろいろなところで
医師がやりにくいと言われることがあるようだけど、
とんでもない!
何年も前からご自分の名前を出して
ページをプリントアウトして、担当医に見せていいと
ある意味医学界の悪習にいどんで、家族が願うことを
一生懸命代弁してくださってるのだ。
家族は、とにかく元気になって、すこしでもいっしょにいられる時間を
作りたい、
どのような状況になっても看てくれる、聞いてくれる医師がほしい、
それだけだ。



by ygracia | 2007-12-04 23:45 | 今日のお話

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


by ygracia
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