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東北関東大震災  認知症の方の支援に関する情報

私の住んでいる周辺では物流も少し改善されて、人も落ち着いたのか
今日あたりは、スーパーに品が揃って来た。
相変わらず節電はしているので、定休日の商店街のような雰囲気ではあるけれど。

あの気になる明るい六本木ヒルズも自家発電分を配給してたそうで、
ちょっとやっかんでたけど、エラかったみたい。失礼。

さてまだまだ余震は続くけれど、いろいろな状況を聞くにつけ、息もできなくなる。。。。

東北関東大震災
認知症の方の支援に関する情報



ご協力お願いします。

夫の友人、google検索で、安否確認できた〜良かった。
by ygracia | 2011-03-28 16:41 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

今、なにが大事?

パソコンのある小さな部屋の暖房も節電のため、使わない。
寒くて寒くてまるで冷凍庫にいるみたいなので、自然とパソコンもいじらなくなっちゃう。

病院のベッドで見ていたのは毎日毎日、災害の様子とACの広告。
ため息しか出てこなかった。
だからテレビは消して本を読んでいた。

東京の夜空も暗く、東京タワーもただの鉄塔になり、その後ろにみえるスカイツリーも
暗闇のなか。

相変わらず六本木ヒルズは明るいけど、なんでかな〜〜と思ってたら
自家発電だとか。
高い家賃で、自家発電で守られてるそうな。。。いいのかな。。。。

やっぱり寒い!

23区の住宅地は停電してないから、消せ消せというシュプレヒコールが多いみたいだが、
みんなちゃんと節電してるのだよ。
うちの猫たちもペットボトル湯たんぽで我慢してるのだよ。

やっぱり寒い!

被災地の人々、みな静かに堪えているけれど、みな、大変な経験と心の傷を
抱えていらっしゃるのだ。
人として、耐えられないくらいの状況を経験してきているのだ。
そっとそっと支えていかなくては。

若い力にほんとうに感動する。
だれからともなく、自分たちで動き出す若い力。
町中を自衛隊を自転車で誘導する小学生。
炊き出しをする高校生。
お風呂や、トイレを廃材で作り出す若者たち。
避難所のなかで、母校の後輩のために卒業式を準備する卒業生たち。
ボランティアですというのではなく、だれからともなく。。
炊き出し準備している女の子は言った。
「夜になるとあ〜〜と思うけど、家も無くなったし、どうせここで過ごさなくちゃならないなら
普通に過ごす方がいいと思うから」

原発の屋内退避地区に取り残されたペットたち。。
赤ちゃんのミルク用のお水。

何が正しい情報なのか。。

まだ被害にあっていない私は、今なにがいちばん大事なのか、
できるかぎり、正しい情報を選択して、自分にできることをしていこう。


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by ygracia | 2011-03-24 21:58 | 気まぐれなお話 | Comments(2)

haha~~地震

母、帰宅中、絶好調で、ボロボロだったお肌も美しくなり、病院には
口紅もつけて行った。
塗ってあげると、ムニュムニュと唇をあわせた。
そういうことは忘れないんだ。。。
母はお化粧きちんとする人だったし、化粧品もうるさかったなあ。

母に化粧水、クリーム、ってちゃんと毎朝、看護師(看護師だと思ってるので)さんに
いうのよというと、全然塗ってくれないわよという。
どこにおいてあるのかと。
忘れちゃうけど、教えておいた。

髪の毛もボサボサにのびきっていたけど、娘がきれいにショートカットに
してくれたので、ほっとしたし、母も喜んだ。
(何回もカットお願いしてたんだけどね。。。どうなってんだか)
ただ、右側の頭が敏感で、ちくちく痛い、もういい、と大変だったが、
娘が片側だけ長いのはおかしいでしょ、というと、また我慢して
がんばってた。

ま、いろいろあって、整形外科では骨への転移はいまのところ見える段階ではないとのこと。
(見えたら、もうかなりすすんでるということだし)
骨折もなかったけど、骨は硝子細工の骨!
チョンと空手の手をいれたら、ポキンと折れちゃうくらいうす〜〜〜くなってた。
というか。。。
ボルトのある股関節はボルトで支えてるだけ、骨はな〜〜い、みたい。
あ===

母、だましだましだけど、なが〜〜い診察時間を堪えてはくれた。
レントゲンの固いベッドに寝かされてたら、なぜかからだがカチンカチンに
固まってしまい、そのまま起こしてそのまま車いすへ。
体中もみほぐして、やっと戻った〜〜

食欲も旺盛で、びっくり。
夜中はなにやらおしゃべりしてたけど、私は疲れて曝睡。
朝起きて、母が落ちてたらどうしようと、考えながら、そのまま寝ちゃった。。朝まで。

で、予定を早めていたので、お昼頃までに母をホームへ。

「早く、帰りなさい。いつから入院なの?」(覚えてた)
「待ってるから、早く帰って来てね」(自分の意志をはっきりと)
担当主任もびっくり。

ホームのお昼ごはん、なんだかおいしそうだった。
大好きだったおそば食べてた〜〜〜

帰りは入院の準備もあって、ホームセンターに寄り、キャットフードなど
買って、次にダイエーにいこうと思ってたのが、すごく疲れて
二子玉川の交差点でボケして、反対車線に右折してしまい、
周りに迷惑かけながら、軌道修正。
で、疲れちゃったから、帰宅することに〜〜〜

で、途中で、地震〜〜〜〜〜〜

ちょうど赤信号で止まったら、車がボンボン〜〜
バンピング?とブレーキ踏み直してみたのに、ボンボンボン
隣りの車みたら、横にボンボン。
運転者もパニック。

そしたら、周囲のビルから人、人
信号が青になったけど、どうしようかと考えて、後続車もいないので、
信号機と電線の揺れが治まるのをちょっと待ってたけど、
揺れてる〜〜〜
そのうち、後続車がきたから、ゆっくり走行。

途中、道路に裸足のご夫婦。胸にワンコをしっかりだいてるのだが、
顔がまっさお。

で、事の大きさに気がついた。
カーラジオでは、車は走行やめて左に寄って止めてくださいって〜〜
だけど、誰も止まらないし。。。。。
信号機はだいじょうぶ。

帰宅したら、免震構造の3階は、大揺れだったらしく、
娘の部屋はすごいことになってた。
2階は人形ケースがセーフというところで止まってて、
ピアノがほんのすこし動いてて、
キッチンは、棚のドアが揺れると開かなくなるので、それはいいんだけど、
地震後に開けて、いろいろ受け止めなくちゃならなかった。
猫たちは、
トラじいは、腹だして寝てた。うしくんも寝てた。
ほかのはパニック。隠れた子2匹。こたつのなかに2匹、
あとは、飾り物が落ちて割れた〜

片付けしながら、また大揺れきたけど、もくもくと片付け。
だって、私の頭の中はとにかく早く休みたい、
明日はしっかり休まないと月曜日の手術に堪えられない〜〜てことしかなかったから。

6時過ぎてすこし落ち着いて来た頃、バイト中の息子が心配になった夫が
バイト先までみてくるといいだしたので、ついでに買い物頼んだ〜〜

ピザ屋でバイト中の息子、地震発生のときは、店中のタナからものが
落ちて来るなか、ドアをあけ、オーブン消して、焼き途中のピザを出して、
逃げる道を確保しようと他のドアあけたら、頭の上には上階の
室外機がいくつかあって、それがゆらゆら揺れて落ちてきそうだったので
すぐに店の中に戻ったそうだ。
そのとき、すく近くの古い木造の二階建ての家が
しなって揺れてたという。

今日は家族の性格しっかりわかっちゃった。
夫と娘は、パニックではないけど、興奮状態。
私と息子は意外とクール。

それから、テレビの報道見てて、東京の状況がほとんどわからないのに、
唖然。
たしかに東北地方、大変だけれど、それはNHKに任せてもいいし、
お台場フジや、六本木朝日は、もっと東京の情報重視して
優先して欲しかった。
あとからちらちら画像でてたけど、電車はどうなったのか、被害状況は
どうなのか、テロップだけじゃなくて、もっときちんと伝えてほしかった。
テレビが何もないから、ラジオ聞いてた。
ラジオのほうが、しっかり東京の状況伝えてた。

みんな大変だけど、東京、地震に弱いと思うんだけど。。。

夜、すぐそばの幹線道路は歩いて帰る人でごったがえしている。
車は渋滞。
まだまだ続いている。

みなさん、気をつけて。

でも考えちゃった。
手術中に地震がきたら。。。そんときはそんときじゃ〜〜〜寝てればわからん。

あ〜〜忙しい一日だった〜〜
by ygracia | 2011-03-12 01:45 | 母の記録 | Comments(0)

アルツハイマー復活騒動

私の足の問題で昨年から母の帰宅が不規則になった。
で、ひさしぶりの本気介護で、連れて来たら。。。。。

ホームに迎えに行くと、介護士のステーションの脇に頭ボサボサの母が
リクライニング車いすにすわって待っていた。
口のまわりにはカレーの黄色い色がついている。
ふいたんだろうけど、ついている。。。

セーターにはごはんつぶがいっぱい。

伸びきった髪で、私をみると、両手をのばして「あーーあーーー」と言った。
悲しみでいっぱいになったけど、「こんなことは想定してた」と割り切った。

担当主任は玄関であったが、病院付き添いのために出かけるところだった。
だから、遠目で大きな声で連絡事項を確認しあって、お別れ。

結局母が外出するのに、介護士も事務員もだれも出てこなかった。
こんなこと、いままでなかったけど、介護士の姿もみえないから
仕方ないのか。

また悩みのエイヤで、車いすから、車の助手席に移乗。
今回はプラスティックのペーパーを広げておいたから、
体勢を直すのは楽にできたけど、、、やはり母の足はどうにもならなくて
力まかせに母を抱き上げて乗せるしかなかった。
そろそろ、限界かな。
次回からは福祉車両のレンタルかな。。介護タクシーかな。
近くの店でちらみはしたけど、、確認してこようかな。

車にのった母に「寝てていいよ」というと、
「ひさしぶりだから、外の景色がみたいの」とはっきり言う。
ちょっとびっくりした。

そのまま、病院の診察にいく予定だったのが、なぜか246がすいてて、
早く戻って来てしまったので、病院通り越して、家に戻る。
それともひとつ、ホームを出る時、すでに母のおしりが汚れてた。。

ダダっと、片付けて、短い時間だから、というわけではないが、
リクライニング車いすを押す力が私に残ってなかったので
普通の車いすで、病院に向かう。

だいじょうぶそう。

なぜか元気で、私の名前も間違えない。

とってもご機嫌で、先生にも笑顔を見せた。
先生も「この前より、今日は目がしっかりしている」って。

帰宅途中の道で母の長年の知り合いのご夫婦に会う。
いつも母に会いたいと言っていたおばちゃんが、母に手をのばすと
母の顔がほころんだ。
うれしそうに、「覚えてる」と言った。
「いろんなところに連れてってくれたねえ、このごろ、ずっとそんなこと考えてるの、覚えてる?」
母「うんうん」
握手を交わして、お別れした。

母が「今、どこにすんでるのかな」というので、
お店を閉めて、おうちを改装して、きれいになったのよと説明して
おばちゃんの家を見せた。
母、何か考えているようだった。

家に到着して、夫と娘がお買い物にでかけて、
私は母をベッドに寝かせ、2階にあがり、ヨベールをセッティングして、
カチっとスイッチいれて。。。。。。。

私の目に飛び込んで来たのは。。。

母が起き上がって、足をベッドからおろそうとして、片足が柵にひっかかってる。

ギャーというより、心臓止まりそうになって、
1階に飛んで行った。

「おかあさん!!」
「ご不浄に行きたいの、足がひっかかっちゃったからとって、車いす、こっちにむけて」
と指示する。
「おかあさん、歩けないの、そのまま降りたら、また骨折しちゃう!!」

「歩けるわよ、何言ってんのよ! 早く、早く、でちゃうぅううう」

「だめだってば!」

私は母を寝かそうと必死、母は起き上がろうと必死
(いつもはひとりでは起き上がれないのに)

シャワー車いすでトイレに行けばいいのだけど、立てないのだから。。。
それにもう一年近く家でトイレには行っていない。
どうしちゃったの?

すったもんだで、ま=昔を思い出したけど、あのころと同じように、
母と娘で罵倒しあった〜〜〜

結局言いました。。「歩けるもんなら歩いて見なさい、折れてもしらない!」

「何言ってんのさ、歩けるんだから、ヒーヒー歩けるわよ」
と母、しっかりベッドサイドにすわって、車いすをたぐり寄せ、立ち上がろうと
してるけど。。。。。無理です。。。

「ヒーヒー、ご不浄にいきたーい」

で、娘(私)は結局負けまして、シャワー車いすに移乗して
(母は自分で立ってすわったつもり。。。)
トイレ行きました。。。

パンツをおろすのに、立てない母、ここでやっと目がさめたらしい。
私は腰をそらして母をだきあげて、パンツをおろし。。。

でるわけありません。。。。もうリハパンもパッドもしっかり重い。

ベッドに寝かせようとやっきになってた時に気がついた。
母の目。。。せん妄状態。

近所の人にあったことで、何か回路がつながったのか、
まだすこし動けたころの記憶が呼び戻されたのか。。。

母は数年前の母になってたのは確かだ。。

ひとつひとつ消えて行くのがアルツハイマーかなと思ってたけど、
母の場合、脳梗塞でドカンと消えて、、、
今はどんなことになってるんだろう。。

で、バトルのあとは、腰痛と右膝(移乗させるときに軸足なので)の痛みで
完全ダウンの私。。

あとから夫に報告。
「そんな、、階段駆け下りて行ったの? また骨折しないでよ」

たしかに、いつもは階段ふつうに降りれない私、たしかに駆け下りていたあ。。。こわあい。。


久しぶりに自分からリクエスト、クリームあんみつ堪能中、病院のカフェで。

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by ygracia | 2011-03-10 02:59 | 母の記録 | Comments(0)

忙しいと

一昨年年末より、わが家にはいろんなことが起きて来て、まだその余波は
続いている。
ほんとは、シンポジウムの続きを書きたいんだけど、その余裕がなかったから、
今日はぶつぶつと。。。。

夫にも人生変わり目があり、おまけに大病、手術。
私はその前に骨折したんで、結局歩けるようになるのに、大変だった。
そんな両親抱えた娘が完全に体調崩してしまい、就職活動どこじゃなくなった。

そんなんでも母は元気でホームで過ごしてくれてる。

で、まだまだ状態は完全ではない。
おまけに私の足に見つかったおかしなもんが、悪性かもって言われて、
有名大学病院の『骨軟部腫瘍外来』という未知の世界に送られた。
入院で生検手術と決定したんだけど、そこからどんでんがえしで、
大きな心配はないだろうということで、元の病院にかえってきた。
たった一ケ月のできごとなんで、あわただしかったけど、ほっとした。

で、報告に言って、そのまま、足のボルトを抜く手術の日が決まり、
その日のうちに手術前検査を済ませてしまい、準備終了。
二度目の入院なので、説明も簡単だった。

13日から入院。
また痛い思いをするけれど、ボルトを抜いたら、すこしはすっきりするかもと、
淡い期待を抱いている。
昨年同室だった方と会ったら、ボルト抜いたら、なんとなく気持ちが楽になったので
足が軽くなりましたって、医師に伝えたら、
「そんな重い物はいれてませんよ」と真顔で言われたそうだ。
気持ちの問題なのにね。。

私自身、まだ階段は不自由でこわい。
先日も駅の階段、混雑していて手すりのある側に行けなくて、
真ん中を降りるはめになってしまい、ものすごい緊張で降りた。
転ばなくてほんと良かったと思った。

抜釘の手術が終わったら、また筋肉復活のためにコツコツ運動だ。

で、その前に大仕事。
日曜日は甥の結婚式出席。
来週は母が帰宅、
内科と整形へ2回通院で、4日間の滞在。
ホームに戻ってもらって、私はすぐ入院。。

きっと病院で曝睡できるだろう〜〜〜〜楽しみ????
by ygracia | 2011-03-04 01:55 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

老年医学会シンポジウムー食べられなくなったらどうしますか?ー認知症のターミナルケアを考えるー

一年ぶりで、セミナーに参加した。
老年医学会主催であること、医療関係者、介護関係者からの調査報告、そして、メインの死生学。
興味がありすぎて、うきうきして出かけた。

で、今日いろんなところで、このシンポジウムのニュースやブログ記事を見て唖然とした。
なんて恐いんだろう。
マスコミ関係者もかなり出席していたけれど、捉え方がどうなんだろう。
ただ、まちがいではないけれど、すごく恐くなった。

ガイドラインというものは、それは決定ではなくて、「参考にする」ということで
あって、かならずそうしなければいけない、ということではないのに、
ガイドラインができれば、楽になるっていう考えは違う。
ガイドラインは、あくまでもツールなのだ。

そして、恐いのが記事になると、経管栄養=延命治療と誤解されてしまう
ような感じがする。
シンポジウムのなかでも発表者が、何度も「胃ろう」が悪いもの、という考えに
流れないように、そこを間違えないように、と言っているのに、
おそらくマスコミ関係者の一部は、ターミナルケア=延命治療=自然死がベターと
捉えているのだと感じた。



ニュースでは医師への調査のみを取り上げてたところが多かったが、
シンポジウムでは
① 患者家族対象面接調査
②看護師対象量的調査
③医師対象量的調査
がなされていた。

そして、言いたいけど、老年医学会4506名への調査なのに、回収率は35.3%
回答数は1555。
平均年齢53.8±12.3

こういう数字は、実際良い方だというけれど、私は情けないと思った。
これから大いに頼りたい老年医療に関わる医師たちが、お忙しいとは思うけど、
もっと真剣に考えろ、って言いたい。

医師への調査から見えてくることは、医師は医学的に真摯に考慮して、
家族に伝え、患者に医療を施している事(意思決定のできない認知症患者)

ANH(artificial nutrition and hydration-人工的な栄養・水分補給法で
静脈栄養法と経腸栄養法のすべてを含む)導入の方針決定に困難さを
感じていること。

その内容は第一番目
本人の意思不明    73%
経口摂取継続に伴う危険(肺炎・窒息) 61%
家族の意志が不統一   56%
ANHに移行する判断基準  45%
ANHを行うことに関する倫理的問題 33%
AHN差し控えの法的問題(刑事) 23%
民事訴訟の懸念 14%

第二番目
・AHNを差し控えた場合のマスコミ問題
・AHNに関する医療側の見解の不統一
・AHN差し控えに関する家族やスタッフの心理的葛藤
・AHNについて家族に説明するが理解してくれない
・終末期の医療・ケアに関して家族の意志が不明
・責任の所在が不明
・家族が判断できず、主治医に決定を任せる

と医師は考えてるようだ。

でもAHN導入を検討する要因のところではきちんと
発熱を繰り返す、咽せが多い、栄養摂取量の低下、開口しない、口から食べ物を出す、
体重が減って来た、褥瘡がある、
という家族でも理解できる判断となっている。

医師たちの「ガイドライン」の考え方はやはりいろいろだ。
『画一的になってはならない。患者個々に医学的・社会的背景が異なる。「死の迎え方」の多様性を一般社会に浸透させることが必要。』
というのが同感。

家族調査から見えてくることは、どの家族もとにかく苦しんだこと。
そして、やはり「医師からの説明がなされていない」ということ。
医師側は「説明したのに分かってくれない」とでているから、
あきらかに、コミュニケーションの不足、医療用語での説明は
一般人に理解しにくい、時間不足、エトセトラ、なのだ。

看護師への調査では看護からの立場で、
やはり、家族、医療者の話し合い、コミュニケーションが重要と感じているが、時間が
十分に取られていないということも指摘されている。

と、まだまだ続く。

この老年医学会のシンポジウム、
「認知症末期患者に対する人工的な栄養・水分補給法の導入・差し控え・中止に
関するガイドライン作成」を考えることが目的。

西洋から入って来たものをそのまま取り入れて実行するのではなく、
日本人にあった、生身にあった考え方で、ツールを作れないかということ。

介護家族が、親の死を経験して、意思決定に苦しんだから
エンディングノートに書いていると言ったら、医師がそろって言った。
いや、その時になって、治療を妨げる結果になることもあるし。。。。

そして発表者がそろって言った。
自分は何もしないでいい。。
ただ、ひとり、「わたしは、ずるいから、家族の決定に従います」って。正直だ。

死ぬのが近くなって、どうなるか、あのね、そんなのわかりません。
食べたいっておもうかもしれない。
死にたくない!って思う人だっているし。
突然苦しくなって、助けて〜〜っておもうかもしれないし。

認知症患者で意思決定が難しい場合と言っているんだけど、
そこ自体が、話しているうちに、健康な人間の考えになっていってしまうところが
難しいなと感じた。

80過ぎの老年医学会の会員の先生が発言していたけど、
みんな「いつまで話すの」なんて笑ってたけど、ほんとはきちんと話しを聞くべきだ。
もういつも死を目前にしている毎日、そして、いままで人の命を
しっかり見て来た人だ。
「あのね、80過ぎたら考えも変わりますよ」
そしたら、壇上がいいましたね、
「60にはまだわかりませんよ」

だからこそ、十二分に話し合わなければならないのだ。
マスコミももっと広い見方の報道しないとだめだ。

そして、メインは死生観。

医師が悩むのも、看護師が疑問に思うのも、家族が苦しむのも
「生きることと死ぬこと」について、自分の考えの軸となるものを
持っていないか、ぐらついているか、弱いか、、、だから。

面白いと思ったのが、

「尊厳ある死」
良く言われるけれど、じゃあ、一体何か。
それは、本人の生き方、人生を知らしめること。
医師も家族も考えなければならない『死生観』

続いて、生きてる人間が理解していないこと
「死」が近くなってからだに起こるさまざまなこと。。。

つづく
by ygracia | 2011-03-01 02:55 | Comments(0)

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


by ygracia
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