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1日30時間

疲れたっていう感じはないのだけど、まあ今週も忙しかった。

いつも月末忙しくなるのはなぜ?

来月も月末にクリステーィン・ブライデンさんが日本に来るので
認知症に関わる者としては、当然、講演会に行きたいと思ったけど
当日はおしゃべり会の日だった。。(う==ン)

その他、軒並み講演会があるけど、自分の予定といろいろ考えると
あきらめざるを得ないこと多い。

一日も同じ。

24時間だと足りなくて、家族のこと、猫のこと、自分のこと、
知り合いのこと、親戚のこと、、
なんやかやで、後回しになってること多過ぎ〜〜〜

今日も昼間は猫の病気で。。。(やっぱり猫優先)
夜は会議で、、

優先順位を決めて、順番にやってるつもりだけど、、、

玄関出るたびに、ぼうぼうの木と草に、、、、

明後日こそは、、と、あ、おしゃべり会だった。。。と。。


そんなこんななか、大事なこと忘れてた!

Y先生への連絡〜〜

仲間よ、許せ!!

明日は打ち合わせがあるので、夜、忘れてなければ、、いい、、かも。。。

やっぱり一日30時間欲しい。。



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by ygracia | 2012-09-28 01:52 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

ピラティス

去年からピラティスを開始。
週一回なので、なにか大きな変化があったかというと
やせたわけでもないんだけど、

外見上は

姿勢が良くなったこと、しっかり立ってること。

いちばん嬉しいのは、
膝と足首のテーピングが必要なくなったこと。

長時間歩いてもまったく疲れなくなったこと〜〜〜

以前はヨガをして、複式呼吸だったから、ピラティスの
肺で深く吸う呼吸が最初できなかった。
でも今はすぐ吸える。

お腹の脂肪は、ま、もろもろの理由で減らないんだけど、
骨盤はしっかり立ってるし、ずいぶん筋力ついてきた。

ピラティスの先生たちは、とにかく体幹がしっかりしている。
内筋を上手に使い、骨を動かし、正しい骨格の位置にして、
正しいカラダの動きを作るわけ。
筋肉もりもりにはならない。
でも柔らかくなるのでもなく、からだがしっかりするわけよ〜〜

頭の中は、解剖用の骸骨人形を思い浮かべちゃって、
ここに筋肉ついてるから、あ、ここが動いて、、なんて
考えてしまう。

背骨一個一個動かすんだから〜〜

私は地域の教室だから、初心者もいいとこだけど、これで十分。

ピラティスで体幹を鍛えてから、ヨガやほかの運動を始めると
ケガも少ない。

そう、長友もピラティストレーニングだ。

昨日は長時間インタビューを受けてたので、やはり疲れたのだけど、
今日は重いからだをひきづって、ピラティスへ。

でも帰りはすっきり、前をまっすぐ見て歩き、
スーパーで買い物して、袋3個ぶらさげて帰って来れた。

なんだか元気!!

た、のしい〜〜

ひさしぶりで裏のおばちゃんと会った。
86才、ひとり暮らし。
いろんなことして、がんばって生きてるって。
刺繍、お習字、人形作り、
そして、頭を使う為に詩集を書いてるって。

たまには遊びにきなさいって。

私は、まだまだひよっこなわけだぁ〜〜〜


ピラティス
これはどちらかというとダンサーの方とかが多いかも。


PHIピラティスはスポーツ選手などリハビリも。
PHI Pilates JAPAN

ほかにも、ヤムナ(ボールを使って)とかいろいろあるなあ。




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by ygracia | 2012-09-26 17:29 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

ボランティア精神?

先日、夫も朝早くからお出かけ。
私も午後からお出かけ。

夫はリタイアして、悠々自適といいたいが、退職金も慰労金もなかったので、
キュ〜〜キュ〜〜いいながら、それでもリタイア後の自由な時間を
過ごしている。
で、今はなんだかボランティア如き仕事中。
なので、その日は元気に出かけて行く。

私も全部ボランティア。
長年、専業主婦で、それを失敗したと思ったこともあったけど、
スウェーデン人のキャリアウーマンの友人に
「私も専業主婦でいたかった。」と言われてから
なんだか、人にはそれぞれの役割あるんだと目が覚めて
自分の置かれた環境を最大限に利用すればいいと思い始めた。
だからボランティアが社会へ還元できること。

(ただし、今は、人間としては経済的にも自立すべき、、と思ってるけど。。)

ま、ひとそれぞれの環境はみんな違うからしゃべってもしかたない、、わな。

今日は、私の主軸のボランティアなんだけど、
生徒さんがお仕事のための学校に通い始まるのでしばらく、またお休み。。
と思いきや、
「先生と勉強したい」と言われてしまった。
嬉しいけど、まずは学校が始まって、その勉強内容と自分の時間とを
バランス取れそうだったら、考えようねとなだめた。

いつかできることもあるだろう、と思ってたことが、また不思議な出会いで、
また道ができた。

で、仲間に今回私が話させていただく認知症フォーラムの
チラシを遠慮がちに渡したら、
勉強したいのだ、という仲間がいた。

私が動いたら、いろんな世界を繋いで、あちこちのシナプスが繋がり始まった。

私は脳内神経伝達物質か、活動電位か。。。。


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診療内科クリニックの説明図をお借りしてます


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by ygracia | 2012-09-24 17:14 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

やるべきこと

昨日はニュースレター「ゆるりん通信」の編集作業。

毎回みんな、すごいなあと思うけど、やっぱりみんなすごい。

神様が、引き寄せて集めてくれた人材なんだとつくづく思う。

そして記事が活字になると、またまた嬉しいもんで。。

私は大学のときにずっと新聞部だった。
学生運動も下火になり、時代が変化してきたら、部員が消えた。
学生の意見をぶつける必要性がなくなっちゃったらしかった。
そんなことより、楽しく過ごすことがいいと、音楽やダンスに
みんな夢中になっていった、、みたい。 
とはいっても暢気な女子大生だったわけで、
どんな学生派閥が、うちに入れとやってきても
のれんに腕押し?ただのバカ?と思われたか、みんな去って行って、
(ま、大学と先生のシスターズの力だけど)
学生運動集結あとに拾った赤いヘルメットを災害時に
使えるね〜なんて部室に飾り、たったふたりの部活は
ずっと続いてた。
記事集め、広告取り、印刷屋、トッパン、、なんだかすごく懐かしい。
できあがった一枚目をおじさんから渡されるときの胸のときめき。
印刷屋近くの喫茶店で朝、食べるあの厚焼きトースト、
厚焼きなんてもんじゃなく、半斤くらいの厚さ〜

アルツハイマーだと過去の記憶がしっかり現れるっていうけど、
ひぇ〜〜だいじょうぶか。

と、また認知症の話題になりそうなんでやめよう。

なんやかんやで自分のヒストリーを思い出したりすると、
やっぱり、長いこと生きて来てると思う。

世の中100才超え5万人とか騒いでいて、またアンチエイジングに
拍車がかかりそうだが、私は自然でいい。

昨日乗ったタクシーの運転手さん。
70代と見たが、なぜかうちのそばの道の角の呼び方を知っていた。
今はマンションだけど、その角は「大久保だんご」
昔昔大きなだんごやさんだったのだ。

「いや〜〜このあたりは、昔とあまり変わらないね〜
こういういいところに住んでるから 肥えるんだよ〜〜いいねえ」

「????」

ま、ちょっとやり取りして笑って別れて、、楽しかった。

私よりも20才近く若い?ひとたちと話していると、年も忘れて
20代のただのきゃっきゃっ娘に戻って、恥も知性も忘れて
人生先行くことも忘れて話しちゃう。

あとから反省することしきりなんだけど、でもそんな私と
一緒にいてくれる仲間が有り難い。



これはうちのこたちなんですよ。
はい、ただの猫おばさんです

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by ygracia | 2012-09-23 12:18 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

明るく過ごすって

なんでも明るく行きましょう、生きましょうって、人はすぐ言うけれど、
人間には性格ってもんがある。

明るくしたくても、じと〜〜っとなる人間てもんがいる。

それでもそんな人間でも、ちっとだけ明るくなる気分を味わうこと
はある。
だけど、明るい人間からやいの、やいの言われたら、どうなんだろうね。
あんたは明るくないね、って否定されちゃったら、どうなんだろうね。

世の中みんな、明るい人間じゃなくちゃいけない流れがあるから、
そんなのできないよ〜って言う人がいると、返って嬉しくなったりする。



ほんとに人間っていろんな人がいる。

いろんな人とお話するのは好きな方だ。
相容れない人でもお話しながら、いろんな面を見て、自分もへ〜っと
思うのが好き。

だけど、相容れない人に自分の考えを話すのは非常に気を使う。
傷つけないように、でも伝えたいことははっきりと、だから
言葉を選ぶ。

私のトラウマのなかに、共感できていると信じてた人を
知らないうちに傷つけてたこと、というのがある。

でも今は、私は私であればいいと思う。
受け入れてくれなかったらそれでいい。

だって、人って、ほんとにいっぱいいるんだもの。

人は、どうしても知らないうちに認めてもらいたい、存在を示したいと
いう本能があるから、相手にぐいぐいせまることもある。
知らないうちに上から目線になってたりする。

そんなことも思いながら、いろんな人に会って、
長年知ってるのに、だんだんにもっと知り合えたりしていく、
そんな時間が今あって、私も充実してる、、かも。

ま、そんななか、長年の友たちを、ちょっとほったらかしてるから、
謝っておく、ごめん。

同窓会シーズン、60代ってみんな張り切ってるよね〜〜

自然体でいると、ほんとに疲れない。
だからこそ、とても素敵な時間が作れる。
誕生日過ぎたら、ずいぶん変化したもんだ〜〜

来週も大仕事あるけど、自然体、自然体。

あ、猫トイレ、洗わなくちゃ。。。。




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by ygracia | 2012-09-21 11:32 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

kaigoが終わって

今週は、認知症関連で毎日お出かけ週。

自分でもずいぶん強くなったなあと思うほど、タイムスケージュール
こなせている。
あとでどっとでないかなと思いながら、いまのところ大丈夫。
「疲れた」ということばが出てこない。

ピラティスのおかげ。
先生が、そろそろ普通の体操系のクラスに出て、そとからせめるといいと
勧められた。お腹まわりが強くなったけど、やせてないからだ。
でも、2キロは減ったんだけど。。。。
外目にはまったく伝わらないのが、ヒマンビトの悩み、、、

区民の健康センター、クラスもいっぱい、ジムも使い放題、
これまた便利。
お安いし、無料もあるし、昔昔のジム通いはなんだったんだろうと
思いながら、70代に刺激されながら通ってる。
でも、あの老老老体操に参加するにはまだ早い、いや絶対早い。

何のクラスにするか、楽しみだ。

20年前に決めた生きる道にまた復活して、気持ちが楽になり
自然体が戻って来た。
楽しくてしかたがない。
初心も思い出した。

父母の世話がはじまり、どんどんその深いトンネルのなかに吸い込まれ
出口などないと、そんな日々のなかで、私の生きたい道などどこかへ
かき消されていた。

それでも父母が私に新たに残したものも価値のあること。

だから自然体で歩こう。

昨日、介護家族会のリーダーたちと、初めてと言って良いくらいだが
たくさん、おしゃべりした。

「介護が終わって方が介護家族のために積極的に働くかというと
それができる人というのは少ない。でも介護が終わっても何も
できなくても会には参加している方もいる。それはそれで良い。
無理しなくていいんだよ、みんながしなくたって」と、同じ思いの人もいた。

ご主人の介護を終えられて、また家族会のお手伝いをなさっている80代。
なぜか、いてくださることが、すごく嬉しい。

いつも元気でみんなを笑わせている方が
「僕も落ち込みました」という。みんな同じなんだ。
でも「僕は何ともない」という方もいる。

おいしいお寿司を作って来てくれた方も長い介護生活。
それなのに、人をいつも思いやっている。

そしてそんな家族会を支える人々。

おいしいお料理の数々、男性料理に拍手、おふくろの味に拍手。
家族だけの忌憚のない話、

どんな人からも、学ぶことがいっぱいある。

お昼ごはんの時間しかないよと、沖縄からの友と
マシンガントーク。
おばあちゃんと呼ばせるにはまだまだ若い私たち。
母の顔がババの顔になるかと思ったら、とんでもない
若い若い本人の顔。
人生いろいろあるけど、いちおう夫に感謝しつつ、
残る人生楽しもうと結論。
そして、それぞれの用事に向かって電車に飛び乗った。

それにしても沖縄の有料老人ホーム、安いなあ。



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そうそう、本のご紹介

「平穏死という選択」  石飛幸三著 幻冬舎ルネッサンス

石飛先生は200回を超える講演会をされ、多くの意見を聞きながら、
現状の更なる変革を願い、今回の本を書かれたそうだ。
「平穏死」唯一の答えにはならない、だけど選択するためのヒントは
いっぱいあっていいと思う。人はみな「思い」の場所が違うのだもの。


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by ygracia | 2012-09-13 12:03 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

62

心機一転、生活変えようと思ってたけど、実行前に挫折〜〜62才。

今日は新たな気分で、ミサに出かけていろいろ反省しましょうと
思ってたんだけど、、、、朝起きれずに挫折。
いつものことっていえば、いつものことだけど。

昨日、夕食前からずっとテープから起こした原稿をにらめっこ。
普通に11ページあるものを4ページにするって、、、、
不可能。。と思いながら。

夫が用意したアイスクリームのスティッチの乗ったケーキも、気もそぞろで
食べて、おいしいね、と礼儀を示してから、
またパソコンに向かって。。。

夜中に一応できあがりとして、編集長に送ったものの、、
なんだか面白みが大幅カットされちゃったみたいで。。
またにらめっこ。
目がしょぼしょぼ。

原文は面白いし、すごいんだけどなあ。
どうしたらいいものか。また今日も悩む。

先日、夫に「日本尊厳死協会」に入ろうと思うと言ったら、
「おれはいい」と言った。
夫はふつうに生活して、ふつうに死にたいらしい。
何かあればこどもたちが判断するだろう、と言った。
ま、凡人。

私は生活習慣病をしっかり抱えているので、倒れるとしたら
「心筋梗塞」が1位、次に解離性大動脈瘤破裂 その次に
「脳梗塞」か「脳出血」。
血圧、コレステロール、肝機能、腎機能も今回は優秀で
問題なしではあったけど、これらのリスクはずっと
消えない。やせりゃあいいでしょうと言われるけど、
好きな?先生曰く「簡単にはやせられない」というから、
それを信じている〜〜〜(逃避)
認知症気にかけるまえに気をつけなきゃいかんことが
いっぱいなのだった。

新聞広げて、日本語の教材になりそうな記事を探していたとき、
たまたま見つけた言葉に、思想家、陽明学者の安岡正篤の
「人生五計」があった。
表現の仕方はさまざまではあるが、私は通訳者の篠田顕子さんの
文の中のこれが好き。

生計 命を大切にする
身計 有意義に生き抜く
家計 家庭の充実
老計 美しい老い
死計 悔いのない安らかな死


ま、私はいつでも「自由でありたい」ので、ドスドス音立てながら、
生きれるとこまで生きようと思う。

両親に感謝の日。
by ygracia | 2012-09-09 12:21 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

認知症の終末期を考える

今日は「認知症の終末期を考える」フォーラムに参加してきた。
ちょこっとお手伝いも。

数ヶ月前にこの題名を見たときは、「怒り」で心が震えてた。

「認知症」の終末期って、誰が決めるんだ、と腹がたったから。

母を1月に自宅で見送って(看取りということばも今はイヤ)、「人がひとり死ぬ」
ことをそして、父とは違う「死」を見たから、
(箕岡先生が「看取り」は日本独特の言葉というのを聞き、
日本人の死生観から生まれた美しい言葉なのかもと思ったけど)

「認知症であろうが、なかろうが」人の死をお仕着せの流れにのせて
欲しくないという気持ちが強かった。

今日、会場を見渡し、パネルディスカッションを聞きながら、

人間って、やっぱり死というものに畏れを感じるのだろうなあ、

人の死に責任を負うということがすごく重荷なんだろうなあ、

人って、やっぱり人の中で己をぐるぐる振り回し、ぶつけあった
ところで、相手に負荷をかけていく、自分もまた負荷をかけられる、、

みんなで話せばいろんなことが見えてくるからみんな来るのね、、

でも家族はどの世界ともつながっていて、それぞれの立場も
ある程度理解できてるんだけど、、

とかとかいろんなこと考えていた。

参加者は看護師さんや介護士さん、ケアマネなど、やはり
認知症の方の死の選択に近い人たちが多かったようだ。
箕岡先生の「認知症の人の終末期における倫理的問題」は非常に
興味深く、迷える人たちの指針になる。
家族も迷える場合はしっかり参考になる。

「問題なのは結論ではない。その結論を出すためのプロセスなのだ。」

聞いてるときに、すごく落ち込んでしまった瞬間があった。
私の母はアルツハイマーで腎臓ガンだった。
だから胃ろうの選択はなかったけど、
「延命治療の中で、救命治療」というところで、
母の点滴のことを思い出してしまった。
あの点滴を外していなければ、もしかしたら、母はもうすこし
生きて、楽しい事もあったかもしれない、と。

宮永先生が質問の答えをしているときに、
「医療者の意見も聞いて欲しい、対等に話したい」と
おっしゃったことも重なり、果たして自分の判断が良かったのか
とまたぶり返してしまったのだ。

認知症の人の終末期の具体的な研究はまだ少ないようだ。

父も内臓関係は特に問題なかったけど、胃ろうだった。
からだも自分では動かせなかったけど、気がつくと
タオルケットをまくっていたり、足を組んだりした。
笑いもした。話もした。
嚥下中枢がレビー小体病のせいで機能しなくなっただけ。
レビーは認知症であって、認知症じゃない。

母は医学的に言ったら、きっとホームから戻ったときから
終末期医療として、訪問医には捉えられていたのだろうと
思うけど、ほんとうに状態が良くなくなったのは
最後の1ケ月。

終末期ということばを簡単に言っちゃいけない。

細胞学的に、生物学的に終末期を考えてほしい、、かも。

パネルディスカッションは、並んだ人々の自己紹介の内容が強く、
これは知らせることも大切だけど、できれば討論したほうが
もっといろんな意見が聞けたのではと思った。
ま、時間も限られているから、、難しいんでしょうけど。

介護家族が社会に貢献することを美談化するのは
あまり好きじゃない。
どんな介護家族であっても、介護が済んだら、お疲れさん、と言って
静かにしてあげればいい。
できる人は社会に貢献して、これからせまりくる、認知症が
溢れる社会の力になればいい。
みんなじゃなくていい。

野田さんもいた。
グリーフケアが必要だと言った。
自分が浦島太郎だったと気がついたと言った。

そうだろうか。
お母さんと一緒に過ごしていた日々は竜宮城じゃない。
大事な大事な、大切な大切なれっきとした現実だ。

介護が終わると介護職側の目線になるのも家族の
通る道で、みんな同じだ。

そして、社会に復帰するかたちもみんな違う。

家族が亡くなった翌日に職を決めた人だっていると思う。
生きて行くために。

苦しみと悲しみを埋める力はひとそれぞれ違うから
与えられるグリーフケアも必要だとは思う。

野田さんの話は笑いも誘ったけれど、その心の奥の
痛みは計り知れないから、私は笑えなかった。
あのありのままの姿がみんなに愛されていて
会った人が皆、とりこになっていくんだろう。

野田さんが遠い存在であったとしても、あの介護の日々
の中でつながった部分だけは、ふんばる同盟の
札幌夫人と東京夫人、やっぱり信じ続けていたい。

らしくあれ。



母の声は、まだ聞こえる。
マツキヨの前を通れば、オムツを買わなくちゃと、思う。

ということで、乗り越えたと思って出かけた終末期フォーラムも
曇り空と同じく、まだ面白いとは思えなかった。。


白山通りのお祭りで、元気を取り戻した。

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と呑気にしてたら、こんな時間。
明日から、私も自分への復帰初日、早く寝なくちゃ。



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by ygracia | 2012-09-03 02:09 | 気まぐれなお話 | Comments(3)

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


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