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それぞれの介護、それぞれの人生

このごろ思うこと。

介護の仕方も百人百様なんて言ってるけど、そういうことより、
みんな思うように生きればいいと感じる。

人からの、親切か、またはお節介なアドバイスも、それを100%信じてしまったり、
また、先日書いた、thirdman現象みたいなもんで、自分の範疇でしか理解できないから
都合良く解釈して、事実が違ってしまうと、言った人を責めたりする。
責任転嫁したり、蔑んでみたりして自分をなだめる。
言ったほうも、ちゃんと解説したはずなのに、と憤慨するし、悔しくもなる。

自分の生き方を信じたらいいのだ。
自分にとって、何がいちばん大事?
何したい?

柏木哲夫先生(淀川キリスト教病院名誉ホスピス長)は言う。

「人は生きてきたように死んでいく」ということです。
これも本当にそのように思います。しっかり生きてきた人は、しっかり亡くなっていかれますし、ちょっと変な表現ですが、べたべた生きてきた人は、べたべたと亡くなります。
そして、周りの人に感謝をしながら生きてきた人は、私たち医者やナースに感謝をしながら
亡くなっていかれますし、不平不満を言いながら生きてきた人は、我々に不平不満を言いながら
亡くなっていかれます。最後の一ヶ月というのは、それまでの人生の凝縮です。
ですからそういう意味で、人は、生きてきたように死んでいくのです。 」

私は思う。

家族の命をまるごと請負って、
どうしていいのかわからなくなったら、日々の生活で傍にいる人にかたっぱしから
確認して歩けばいい。
そんなこと、、と言ってないで、勇気を振り絞って話すべき。
だって、愛する人の生死の問題なんだから。

今は情報も氾濫していて、どれがまちがいで、どれが正しいとも言いきれない部分もある。
この大学研究ではこうでも、あっちの研究ではこうだっていうことも山のようにある。
反論もいっぱい。

どんな家族もその家族の体験しか知らない。

だけど、死に向かうことは人間みな同じなわけで。。


。。。。。。


多くの場合、人は死に向かってきちんと準備していく。

今いる世界から身を引いて行く準備を始めて静かになる。

食事量は減って行く。

目をとじ始まる。

死の2週間くらい前から兆候がでてくる。

血圧が下がる。

心拍数が増えたり減ったりして、体温も同じく下がったり上がったり。

汗のかきかたが変わる、顔色が白っぽくなる、

呼吸も不規則になる。痰が増える。

眠る時間が多くなる。

急に元気になる。

また乱れる。

尿閉が見られる。

水分も切っていく。

呼吸を忘れることが増えて来る。

便もきちんと出し切っていく。

粘膜は分泌が増えて、呼吸を妨げるようになる。膜をはっていく。これは自然な現象。

血圧はさらに下がり、脈は弱くなり、触れられなくなる。

すーーーっと吸い込んで去って行く。。吐くように見えた息は、、ない。

。。。。。。


大学病院の小児病棟で南米からきていた子のお世話をしていたとき、
死にゆく子どもたちといっぱい接した。
このブログのなかでもどこかで前に話したと思うけど。。

死を知らない子どもが、怒りもなく、「今」を生きる。
母親の涙を見て、6才のこどもが、治療を信じ、医師を信じ、わがままを言わない。

私がそばにいた子は先に逝ってしまった仲良しのことは知らなかったはずなのに
「Mちゃんがおいで、と呼んでいる」と告げて、ほんとに逝ってしまった。

霊安室でそばについていたら、腹水でふくらんでいたお腹もきれいになくなり、
閉じたはずの目はうっすらと開き、ガラスのような透き通った薄いグリーンの目が
私を見つめていた。
「何をしてほしかった?」
私はずっと問いかけた。

母とは歌を歌って、最期の時間を過ごした。
最期とは意識してなかったけれど、最期なのだとこころは感じていたのかも。

いっぱい歌って聞かせた。
母の好きな唱歌。

「浜辺の歌」
「椰子の実」

私と母との母娘関係を最初に実感してたのは、「かにの母さん」なので、
これも歌った。

ジャズや洋画が大好きだった母だから、英語でなぜかクリスマスソングを
いろいろ歌った。

そして聖歌、賛美歌。

歌いおわるころ、母に言った。

「お父さんも待ってるね」

。。。。。。。

どこに書いてあったのか忘れたけど、死にゆく人に「許可」を与えるのも
家族の役目ということばがあった。
私は父に許可あたえなかったけど、父らしく真面目にしっかり生きた。
私の思いにも応えるべく、胃ろうで何も食べられなくても、頑張って生き切った。

母には許可を与えるもなにも、母らしく、母は自分で仕切って逝ったと思ってる。
母に応えられない自分もいたけれど、母は私を最期までかばって逝ったと感じている。

それぞれの介護、それぞれの人生。

家族の思いとわがままにも、家族だから、それに応えて、またがんばる本人。
支えているようで、支えられ、支えられているようで支えている。。ずっと。




柏木先生のお話から、ユーモアの大切さ。

「ひとりの87歳のすい臓がんのおばあさんが、だんだん弱ってこられて、
この女医さんと死を語り合うことができるような間柄になられたんです。
往診に行ったときに、「どうもあと1週間くらいで、向こうへ行けそうです」と
こう言われたそうです。女医さんは、「ああ、そうですか。やっぱり向こうっていうのは
天国のことなんでしょ」と言いますと、この患者さんは「私、天国でも地獄でもどちらでも
いいんです。きっとどちらにもたくさん友達がいると思います」と言われたそうです。
そこで二人で大笑いをしたと。そういうことを発表されました。
これはすごいことですね。死を迎えつつある患者さんが、そういうユーモアを分かち合うこと
によって、日ごろお世話になっている女医さんをねぎらったわけですね。
と同時に、その死を迎えつつあるつらさや悲しさをユーモアのセンスで吹き飛ばすという、
そういうことをされたんです。私は本当にこれはすばらしいなと思いました。 」


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by ygracia | 2013-05-29 03:02 | 気まぐれなお話 | Comments(4)

支えること

今日も楽しい時間を過ごして来た。

生活するために日本語を学ぶ人たちと過ごすようになって、もうウン十年。

いつも、「気持ち」を想う。

朝起きて、今日の日付は、日本語で言えない。

住所を聞かれても良くわからない。

自国語でも確実には言えない。

私はいったいどこにいる、だれ。

先生たちは英語を使いたがる。

自分は大学院まで出ているのに、だれもそれは知らない。

病院で初診受付を書いて下さいと言われたけど書けない。

痛い。

プライド。

まだ電車に乗ったことがない。

いくら勉強しても日本語が難しい。

親の都合で日本に突然来た、納得できない、荒れる。

自国で学校に行った事がない。

勉強したいけど、働くことが先決。

辛い。

自国語で溢れる思いを涙目で語る若者。

自分を認めてくれる人がいて嬉しい。

私、子供のためにがんばりたい。

自信を持って話していたことば、「どうこも」→「docomo」だった。

悔しい。

先生、どうしよう。

いろんな思いがいっぱい。

ちょっと手を貸して整理することを手伝ってあげるだけ。


今日は来年の目標をふたりで決めた。
私も伴走者。

大切な時間。
by ygracia | 2013-05-14 01:31 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

母の日に

今日は母の日。

母は空の上。

清水千鶴さんの歌
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by ygracia | 2013-05-12 00:43 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

生き方自由

数年ぶりで、千葉からのかつぎ屋のおばあちゃんがやってきた。
昔は良く、おいしいトマトやきゅうりを運んで来た。
もうお野菜は運べないんで、お仲間と車を頼んで、お花の鉢物だけを運んで来た。
前は息子さんが来てた。

おばあちゃん、ひさしぶりで会ったら、腰がいっそう曲がってて、でも日焼けした
顔はそのまま。
朝からまわってたら、疲れちゃったとうちの玄関前で座り込んでた。

嬉しくていろいろ買っちゃったんだけど、まけてもらって、もういいよ、全部置いてく、って。
まあね、手入れされた鉢ものは、ふつうにお店で買ったら高いものだけど、
おばあちゃんのおこずかい稼ぎに協力して、おまけもらって、、なんだかいいのか
悪いのかわからんけど、きれいだし、元気だし、しっかり育てよっと。
でもね、おばあちゃんのお財布、ずっしりで、こっちがびっくり!!

で、御年80才ですけど。。

待ってるからね、というと、年末にくるよ、って。
でも来れるかなあ。。

生き方自由。

家族が認知症になったとき、支える側の「決心」は難しい。
SOSだけを支えるのか、万事を支えるのか。
施設にお願いしたらしたで、何を基準に「決心」するのか。

「決心」はみんな違う。
高齢でも若い方でもみな違う。

ある記事のなかで、「母が命あるかぎり、私が決めるのではなく母に寄り添って行く」と
「決心」を見た。

仲間の言う「決心」は「いい人生だったと思ってもらえれば」だ。

本人と徹底した話し合いができるなら、決心もしやすい。
だけど「認知症」
だけど 繰り返し繰り返し、話し合いはできる、のだ。

「決心」はあきらめではない。
「生き方自由」だから。

人にはそれぞれの生き様があって、生き様こそ人に与えられた
「ほんとの自由」だと感じるこのごろ。

数十年前に「キミは満天の星」と古文の辞書に書かれた。
つい最近「ボクの星ですから」と言われた。

こころがあったかくなる瞬間を忘れずに、私も私の生き様を続けたい〜〜

で〜〜も

糖尿病は認知症の引き金とは知ってるけど、
アルツハイマー脳内状況と糖尿病の人と同じと聞くと、、
私はアルツハイマーになる?
父がレビーだから、先にできたアルツハイマー因子を食べるために
レビー小体がやってくる???

ま、それでもなんとか生き続けたいネ。

「毎日がアルツハイマー」の主役のように。

みなさまぜひご覧下さい。
支える側の気持ちのあり方も。

毎日がアルツハイマー公式サイト
http://maiaru.com/
by ygracia | 2013-05-10 01:07 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

生きる、死ぬ。

世間では「命」を考えない、考えられない人の事件があふれかえっている。

私の周囲では、「老い」と「認知症」と「死」と「健康」が溢れかえる。

ノートばやりの昨今は、自分の生き方死に方、きちんと書いておこうって
団塊の世代には結構浸透して来たらしく、売れ行きもいいらしい。

だけど、、「認知症」という病気にかかった場合のことは、、想像つかないかもしれない。

多くの介護ブログはみな、ただ「認知症」になっちゃった、と捉えている人が多い。
「分からなくなった人」という考えだ。

私はたまたま父がレビー小体病で、母がアルツハイマーだったから、
「認知症」にもたくさんの種類があって、それぞれにダメージを受ける状況が
違うこと、医療にしてもケアにしてもきちんと理解すべき点が必要だと
知る事ができたけど、多くの場合、興味がないのか、医師も告げないのか
「認知症」ひとくくり、みたいな感じも受ける。

また名前は聞いたものの、家族がまちがった情報を持ってたり、相違点など
興味もなかったり、そういう場合もある。

何が残念かといったら、本人がいちばん苦しむので、そこが悲しい。

なんでもそうだけど、「自分に置き換えてみたら」すこしは本人の思いに近づくと思う。

人間は自分の価値感、判断力、知識の範疇を最大限に使うけど、結局それ以上の判断はできないという。情報を得てもそれを使うのは「自分」だからだ。

thirdman現象というのを先日テレビでみたのだけど、かなり面白かった。
911の被害者がみた「守護天使」の話から始まっている。
脳の極限状況で現れる現象で、結局は「自分」が作り出すものという。
脳のどこがうごいて、そのメカニズムがわかってはいるのに、
人間は「自分の脳を使って、脳の研究をしている」ので、科学的な方法だけでは
真実をつかめるわけではない、と言う。


父が言ったことば
「俺を病気にしたのはお前だ」

私はこのことばが、父の訴えたかった真実かもとこのごろ思う。

薬でもない、ケアでもない、人間の生き方、死に方、
その権利は本人にしかない、と同世代の認知症の方たちの声を聞きながらも
すごく同感する。

また続きはあとで。

「生きる」「健康」のためにピラティスに行く♪
by ygracia | 2013-05-08 14:25 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


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