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レビー小体型認知症に思う

ちっとも進まない原稿に、「力尽きた。。。」なんで思いながら、
自分のブログの過去記事に目が止まった。


家族会をやっているとレビー家族の起こしやすい混乱や脱線を目にすることがある。

診断されると、すぐ治療して、少しでも良くしたいと思うのは当然なのだが、
「お母さんにどうしたいの?」って聞きたくなる。

薬、薬でまた症状が複雑になったり、医師があまりレビー得意じゃないと、
薬で起きた症状に、また薬を使うので、どんどん悪化していくか、症状がコロコロ変化し
大混乱になって行く。

初期だけでなく、いつか薬を止めるときが来るんだけど、そのときも家族は迷うし、
まだまだできるって思うのも当然。
だけど、「何をしたいの?」

過去記事の中にヒントがあった。

おとなしいほうがいいのか、元気なのがいいのか
悩んだけど、父らしいのならやっぱり静かなほうだ。
ネオドパストンだけで適度に身体もやわらかくなり、
コミュニケーションも取れてたのだから
それでいい。
まだほんとに元気で動けるならアリセプトもチャレンジするけど
もうその時期は過ぎたような気がする。」

アリセプトが初めて処方されるとき、先生が言ったことを思い出した。
「まだご自分でいろんなことをなさりたいという意志が見えるし、
残存能力がたくさんあるから、試してみましょうか。
でもこの薬で治るのではなく、1日でも長く、自分を保持して
家族と1日でも長く過ごせるようにするためですよ」

そして、父にはミラクルといわれるように、効いて、ふつうの日々が
戻った。
しばらくして、涎が多くなり、本人も困って
「どうにかならないかな」とマスクをしたりしていた。
そしてまたしばらくすると、動きが鈍くなり、身体が硬くなり、
パーキンソンの症状が強くなってきた。」

今の現状を言うと、服用する薬の説明がちゃんとされていない本人と家族がまだ多い。
薬の機序を書いたリーフレットを渡される人もほとんどいない。
アリセプトが悪いわけじゃない。

本人に認知症薬を飲んだあとの感じを聞くといっぱいしゃべる。
「頭が締め付けられる感じ」
「頭と気持ちがバラバラな感じ」
「目が回る」
「ふらふらする」
「足が動かない」
「気持ち悪くなる」
「胃がもたれる」

レビー小体型認知症(レビー小体病)は多くの方が薬剤に敏感である。
アルツハイマーと違って、レビーは最期まで連続した医療のサポートが必要なので、正しい理解と最低限の知識は
家族も持っているべきだ。
また症状は非常に広範囲であるので、youtubeや認知症関連サイトで解説されているレビー小体型認知症やその対応が
すべてであると思わないでほしい。

10年たって何が変わったのか、、
ま、興味を持つ人が増えた、早期診断ができるようになった、とわかるが、
まだまだ適切な治療には程遠いのが現実だ。。

それぞれの生き方と、それぞれの治療選択。
先生も聞いてくれてるはず。
「どうしたいの?」


さて、原稿書き。。。

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by ygracia | 2017-10-22 10:30 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

生きること

私のボランティアは日本にやってきた外国人の子供たちに日本語を
教える、ということから始まった。

海の向こうにいるときは、ビジネスウーマンの日本語家庭教師として
少しやっていたので、この募集にはすぐ飛びついた。
なんでもすぐのめり込むのも私の弱点。
すぐに、資格を取る気になり、普通の資格試験じゃ物足りないから
大学に戻った。
40代での学生生活、眠気と戦うことから始まり、これを精神力で克服。
絶対眠らないって暗示かけたら寝なくなった。
若い人が勉強しないのを見て、俄然奮いたっちゃった。
夫も学費出してくれたり、子供たちはお母さんが大学生になったと
いうので、応援してくれてた。

日本のボランティア団体は、やっぱり島民精神というか、島国なんだなあと
思うことばかりで、素敵な先輩を清い目で選んで、ついていった。
今も地域の集まり見てても、やっぱり脱却しない日本人精神がりっぱに
息づいている。良くも悪くも。

その中で病院通訳兼日本語教師もした。
ひとりではできないこと、たくさんの壁にもぶつかったけど、
誠心誠意やり尽くした。
命と向きあうボランティア。

父がレビー小体型認知症になったことで、私の人生は大きく動き出しちゃった。
たまたま声をかけてきた介護家族の方が近隣だったこともあり、それなら
と乗り出したら、とうとう10年の月日が。。

昨年大きなフォーラムをした後、私は大きな壁にぶつかった。

私は一番になるためにこのボランティアを続けてきたわけではない、
私は目の前にいるレビーの家族とその後ろにいるレビーの方たちを見つめてきただけ。
まだまだ理解されないレビーだから、勉強しないといけない、情報も持たないといけない、だから一生懸命、自分の頭以上のことにも取り組んできた。

欲も何もない。
欲があるとしたら、すこしでもレビーの方と家族が気持ちよく過ごせるようにしたい、
ってことだ。

そんなこと考えてたら、私、私自身の人生、どうなってるんだろうって、
考えだした。

ボランティアに生きる人も多い。

だけど、ふっと思った。
自分の人生、しっかり立て直さないと、あと20年生きられないかもしれないのに、
今のままじゃだめだと。
一番愛する家族と、猫たちと、穏やかな静かな日々を守らないとって。

不思議なもので、そう心が決めたら、家族のどんなSOSも自然に受け入れている
自分が戻ってきた。

今年もまた新しい人たちと出会い、また新しい人生の側面ができた。
ミラーボールの一面一面のように、、
人間、いろんな面があって当たり前、死ぬまでにこのミラーボールの
新たな一面がいくつか輝き出すのかなとも思う。

格言はあまり好きじゃないけど、
マザーテレサが言ったことば、
「幸せになるために必要なものは、それほど多くはありません。
幸せのハードルを上げすぎないようにしましょう」

ハードルあげない幸せ、、

ハードルあげて飛ぼうとする自分を考え直さないとならない。

シンブルが一番だけど、シンプルになれない私。
冬物だそうとあっちこっちあけたら、断捨離しなくちゃならぬと
気がついて、部屋の中がめっちゃくちゃ。
それなのにブログ書く私、、
やっぱりダメだわ。。。

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by ygracia | 2017-10-21 15:56 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

こころで

時間もお金も余裕があったわけじゃないけれど、前から予定していた旅に出た。
友人ふたりと話す、ために。

レビー小体病の医療とケアがいつまでたっても広まらない、かわらない現状に
やっぱり介護者が余計な回り道をしないで済むように、本人がより良い時間を
続けられるようにと仲間とはじめたボランティア家族会。
来年はまるまる10年活動してきたことになる。

10年。
ありきたりだけれど、長いような短いような。
しかし、明らかにレビーを取り巻く状況は少しづつ、ほんとに少しづつだけれど、
変化してきている。

一方で、相変わらず、間違った診断、処方。
またレビーなのにそれをもっと複雑にしてしまう認知症診断が増えたり。

家族側も勉強していなければ、またいろんな例を聞いていなければ
そのまま、医師の言う通りに治療を進めていく、これも一向に減らない。

一方で疑問を持つのは良いことだが、勝手な解釈や中途半端な支え方で
すべてを悪い方向に持って行ってしまう家族も多い。

人間それも運命、価値観の違い、その本人と家族の歴史、そう言われてしまえば、
私たちが悩むことではないのだけど。

認知症の家族会はどこにでもあるけれど、レビーは「認知症」とついてはいるけれど
ちょっと違う認知症。普通の家族会に参加しても、なかなか話が通じないことで家族も不完全燃焼となる。
そして本人は記憶障害がない、体調不良がある、そういう日々の変動がほかの認知症の方々に通じなかったり、集まりの場では「僕は君たちとは違う」と場を離れることになったり、遠慮して自分の変化は話さないでいる、という方もいた。

私の父が最初に診断されたときの診断名は
「びまん性レビー小体病」

認知機能障害もでてくるとはいうものの、最期の最期まで父は父であったし、
小さな声ではっきりしない口調だけれど、父は発信していたし、家族はそれを
理解できていた。
体調不良や不可解な行動は当然出現し、それに振り回されたのも本当。
だけど、いつも感じるのは「お父さん、わかってる、何でも」ということ。

今までに参加してきた家族たちの声もこれだっった。
「だってわかっているんですもの。普通なときのほうが多いんだもの」
だから、何とかならないんだろうか、なんでこうなるんだろうか、レビーって
一体なんなんだろうか。
医師は「認知症」「薬剤過敏があるし、薬は出さない、ケアで乗り越えて」「とても効く薬をだします」「検査入院で徹底的に調べましょう」。。。

そしてその通りにして行ったら、本人、家族共々に疲弊していく現実。

私たちは医師を顧問にはおかなかった。
確定された治療法がないときに、医師を置くことはかえって医師だのみを増やすと思ったし、
とにかく病院も医師も治療方針もすべて違う、家族たちの話をみなで聞いて
それぞれの選択肢を増やせる場にしようと考えた。
ケアの基本はいつの時代でも変わらないけど、そこにレビーエッセンスは
必要だから、本人の心地よい、生きるための時間を作れるようにと
みんなで話し合ってきた。
主役は家族と本人。家族の向こうにいるそれぞれの本人をみんなが思い浮かべて
話してきた。

いろいろな変化を経験しながら続けてきた会も後を引き継ぐ人はいない。
私たち自身が100人きたら終わりにしようなんて言ってたくらいだから。

10年の年月はやはりとっても大きい。
私たち自身もそれぞれの人生のソフトランディングを考えなきゃならない年齢。

私たちのボランティアはレビーの歴史のほんの通過点にすぎない。

今、目の前に苦しむレビーの本人とその家族が、いつも華やかな楽しそうな
集まりからこぼれ落ちていることも知ってほしい。
藁をもつかむ気持ちで家族会に参加する人々は具体的な「希望」や
できるかもしれない「試み」をひとつでも得たいと願っている。

私がレビーに関する活動で、最後にしたかったのは、レビーに関わる医師たちの討論会。研究発表会ではない、意見交換会。
系列?に関係なく、いろんな分野から、集まってもらって、
平行線で構わない、先生たちのレビーに関する意見を聞きながら、
もっともっと多くの医療者や専門職や、もちろん一般人も家族も
すべての人たちがレビーに関心をもってもらえたらと思っていた。
しかしこれは大それたことだと周囲からは言われてたし、
きっとこれからそういう講演会や機会は増えてくるのだろうと感じている。
ひとつの治療傾向に偏らない、医師間の暗黙のマナーにつぶされない、
遠慮のない、そんな自由な討論会を願っている。

と、書き続けたけど、10年の家族会の体験談は膨大だ。
症状の変化、薬の作用、ケアの種類、涙、笑のエピソード、
本人の真実の声。。
データもない、
ランセット的なエビデンスもない、
医師でも信用してくれない、
だけど、ほんとに論文だしたら、すごかっただろうとつくづく思う。

なんだか目に見えない誤解も受けた。
みんなが傷ついたこともあった。
そんなことより、やっぱり、家族と本人の「今」に
わたしたちは寄り添い続けた。

10年。
今、できること、今の自分たちの役割は何か。
そして卒業への道はだんだんはっきり見てくるのかもしれない。

二日間の旅で、日常を離れてそんなことを考えていた。

東京に戻るや否や、
ガン闘病中の飼い猫の最終章に入り、レビー家族のSOSに応える。
これは今の私の役割。




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by ygracia | 2017-10-06 12:08 | 気まぐれなお話 | Comments(0)

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


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