アスタ マニャーナ、また明日! gracia.exblog.jp

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


by ygracia
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現役?

父の介護が終わったときに、レビー介護の現役ではなくなったという思いから、
おしゃべり会の集まりでも現役ではない感情の希薄を押さえ、モチベーションを
保つことが私自身に必要な調整ではあった。

現実、介護保険もサービスも医師たちの意識も介護職の意識も
父の時代から考えたら、大きな変化があったし
レビーの捉え方も変わってきていた。

変わらないのは介護者の思い。
そして、以前よりはっきりしてきたのは、レビーと診断される本人の
思い。
耳を目をしっかり、傾ければ、本人の痛烈な不安と辛さがすぐに分かるということ。


認知症を取り巻く世界は広がって、様々な取り組みが成され、
国の方針はよくわからないけど、とにかく多角面から、いろんなグループが
生まれて、NPOだのなんだの、山のようにある。

そういう人達が、勝手な思い込みや、聞きかじり(失礼)で
「認知症」を語り、「認知症の人たちを支えるには」とかなんとか
いろんなこと言い出して、在宅介護を誉めたたえ〜〜
なんだか知らんけど、腹が立つ。
いろんな集まりでも介護職が主体になれば、家族はお客様であり、
部外者。
行政が主体になれば、集客数が肝心で家族の思いはどこへ。。

チーム支援といいながらもプロではない家族や本人の思いは
直接には伝わらず、チームの中には入っていない。

今日もなんとなくタブロイド紙を見てたら、人生相談。
兄弟の兄が、勝手に母親を施設にいれてしまった、弟が母親を不憫に思い、、
というもので、回答者は介護情報のプロ。
その答えのなかに、『「認知症」というのは、家を忘れてしまうから。。』
っていうことを書いてた。
だから施設でもいいって???
もちろんそういうつもりで書いたのではないだろうけど、
もっと言い方あるでしょう。。

胃ろうのこともそう。
認知症で高齢者だったら、意志表示は全員できないものと判断している。
そうなのか?

ほんとうに?

断言出来ますか?

生きる権利はあるんだから。

意志表示できなくたって、家族が幸せだと感じるなら選択したっていいじゃないか。

NHKのためしてガッテンのお知らせにも腹立った。
喜びの顔で「認知症が治る」85%、なんて言わないで。

そんなことより認知症を診断できる医師をいっぱい育てようよ。

てなてな、いろんなことを腹立ててるんだけど、

「ぶれてはいけない」と今思う。

私はレビーだ。やっぱり。

未だに、治療はしてみるものの、根本に「難しいですね」と
突き放される現実があり、施設で寂しい思いをするレビー本人が
増える現実があり、レビーに振り回される在宅介護者がいるかぎり、
私のなかから、レビーは消えない。

「ゆるりん通信」もただの家族会お便りではなく、その評価も
医師たちから届くようになり、嬉しい反面、責任も感じる。
「おしゃべり会」もおしゃべり会でありながら、小さな力を
持続し続けている。
現役介護者ばかりの仲間に感謝いっぱい。



「介護」をしている人達が、それぞれにそれぞれの思いで、行動していい。
国を動かす動きになっていい。

どっかの大きな会のような、「介護は苦労したものが分かる」とか
「寝たきりになったら楽になる」とか「この会に救われました」なんて
話ばかり、大きな会には大きな会の役割あるからいいんだけど、
なんだか旧時代的な話はやめにして、

本村さんみたいに、苦悶のなかから、自然体で国を動かしたように、
そんな人々が増えてくれないかなあと思う。



ちょっとだけ、「いろんな思い虫」が、動いた今日だった。

それより介護ベッドの処分の大変さを思い知らされた。
ほんとはすぐにでも役にたてたかったんだけど。
しかたなく、介護用品リサイクル業者にお願いする事になった。

部屋が片付いたら、おひなさまを飾ろう〜〜
母も喜ぶ。
by ygracia | 2012-02-22 00:26 | 気まぐれなお話