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老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


by ygracia
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母の災難そして介護挫折

2ケ月ぶりに母を迎えに行った。
母は今日は、ずれていて、はじめから「てっちゃん」と私を呼ぶ。
「ばばちゃんは元気にしてる?」

それでもう天国にいると言ってしまった私。
母の顔はみるみるうちに不安でいっぱいになり、
そんなことはないと怒りだした。

適当に受け流して車に乗ると、やっぱり
「ばばちゃんはどこにいるの?」と聞く。
いまひとつ、私もわからないのが、ばばちゃんとはだれをさすのかだ。
私の記憶では、母がばばちゃんと呼んだ人は、母の長姉が嫁いだ先の
天理教会のお姑さんで心の広い人で、母の姉はもちろん、末っ子の母も
いっしょに嫁いだみたいになって、一緒にすごしていたと聞いていた。
だからそこの甥や姪の名前がすぐに出て来て、私たちを呼ぶ。。
母の母はそれ以前に亡くなっていて、「かあさん」と呼んでいた。
ばばちゃんがいつのまにか、母のおかあさんになっていた。
きっとお母さんと同じように思っていたのかもしれない。

車の中でひとしきり、疑問だらけになった母。
家に帰ると、猫を見て喜び、煮込みうどんを思ったより上手に
食べて、大笑いをし、ほんとに楽しげだった。
相かわらず「てっちゃん」だった。

朝方、3時過ぎに母のうなる声に目が覚める。
私が寝たのは1時。
起き上がれないから母の声の様子を聞いてたら、
うなり声は、あくびにかわり、こんどは大きなため息。
「あ〜〜あ」
なんだ、目がさめたのか。
こちらはうとうとしていると、母が信じられないくらい
しっかり腰をのばして、ベットから車いすに移動するのが見えてきた。
えーーあんなにのばせたっけ。
車いすを自由自在に動かして、テレビの前にいき、ひとしきり
テレビのスイッチを探していた。
う==ん、積極的な意思があるじゃない。

で、テレビがつかないからまたベットにもどり、横になった母。
ここから、「あ==あ」「てっちゃあああん」「う==ん」「ねこ」
「てっちゃあん、てっちゃん!」「あ==」「だれか〜〜〜」
「あ====あ」の連発。

時計は3時50分。
仕方なくおきて、私はトイレに行こうとすると、
目がきらきらの母、「なんか食べたい」
朝早いからまだだめ。
うんとうなずく母、お茶を一口飲んで「なんかたべたい」

母をトイレに連れて行き、洗ってきれいにして、ベットに戻る
「なんかたべたい」

リンゴジュースを持っていくと、母はテレビの前にしっかり
車いすで移動していて、ジュースを飲んで喜んだ。

もう5時すぎていて、さ〜て、仕方ないからこのまま起きるかと
部屋をでて、洗面所へ。。

「わ〜〜」と言う叫び声。

かけつけると、母が床に倒れ、その上に車いすがさかさまにかぶさっていた。

あたま真っ白。

何とか母の体勢を戻し、古武術介護のマネで、相手のからだを
自分のからだの一部にするように、、と母をすくっと
立ち上がらせて車いすにすわらせることができた。

どこもなんともないと言っていた母、
ベットに横になると、息ができない、痛いという。

救急車要請。

父のときとは違い、今日受診予定というと、すぐにS大の救急が受け入れOK

朝で時間帯もよく、スムーズにいったと救急隊員。

意識クリアの母、しっかりしてる。
訴えも私が言わなくても自分でできる。

6時過ぎに救急に入って、医師にみてもらったのが7時すぎ
レントゲン終わってもどって、もう8時。
医師あらわれず。
やっと来たら、外来の母の担当医にまわすから外来に行ってと。
私もこの時間ならもう先生来てないかなと思ってたので良かった。

ところが、救急からというのに、呼ばれなくて。
やっと呼ばれて9時半過ぎ。

左ろっこつの番号でいうと6から8のどれかが折れてるらしいと。
肺には影響なし。
ベルトをして固定。
痛み止めがでて、2から3週間で完治するとのこと。
先生は足の股関節のほうを心配していたがだいじょぶだった。
頭も打ってなかった。。と思うけど。
本人報告でこぶもないからだいじょうぶかな。

今日は診察前に病院のロビーでインスリンを打ち、サンドイッチを食べてもらう。
診察後タクシーで帰宅して、母を寝かし、私は再度病院へ、いろいろあって。
帰って母を起こしてインスリン、そして昼食。

それから内科受診の予定だったので私だけ先生に会い、
お薬をだしてもらう、
連絡がいってたらしく、「大変でしたね」で挨拶、
これで気持ちがほっと楽になった。
それと整形のNナース、ほんとに一生懸命、患者さんのことをおもってくれる人、
だれにでも精一杯の接し方。
これでいっぱい救われた。

母はショックはあったかもしれないが、いくところいくところで
しっかり訴えるし、演技はするし。。。。
なかなか医師があらわれないから、受付にむかって、
聞こえるように
「あ〜〜〜〜いたい、いたい」
っていいながら、そちらをしっかり観察してる。
私が「おかあさん、動くといたいのよ」というと
「人のことだと思って!!」と怒る、
診察室のドアのまえまで連れて行けと大声でいうし、
元気そのもの。

いろいろ考え、母を家においておこうかと考えたが、
すでに、治りかけの膝をまた傷めてしまったことに気がつく。
母の世話優先で、今日は一日、水も飲まず、ご飯も食べず、
薬も飲まず、母のことをしていた。
これが私なのだ。
上手なコントロールができない。
気がついたら腰も痛めている。
血圧上昇の感じがわかる。

だめだ。

ホームの介護長に連絡をいれ、受け入れを確認して、夕方母をホームに戻す。
新しいベテランナースに説明して、これからの対処をお願いする。
というか、ホームの人のほうが、老人肋骨骨折の介護経験者だから
病院に入院するのと同じ。
すこし安心した。

母はS大に入院できると思っていたらしく、個室にしてね、大部屋はいやだからね
などど、「いたい、いたい」をいいつつも、そんなこと言っていた。
だからS大は入院できないけど、いつもの病院は受け入れるってというと
あ、そうなの、よかったわといい、それでも帰るときは、まだ
帰らないといやがった。

寝不足、頭真っ白、膝痛、腰痛、血圧高めの私がまた運転して
ホームへ。

家に戻ったときは、放心状態。。

完璧に介護挫折。。。できない。。。


母の災難そして介護挫折_b0055939_035732.jpg

by ygracia | 2008-01-23 00:35 | 母の記録