2004年 11月 06日
悲しみ(せん妄)
朝から、また救急車を呼ぶかどうか迷った。
救急センターに電話をいれたところ、決まり文句で断られた。
断る理由はいわれなくてもわかる。
高齢・痴呆だ。
要するに、助けても助けなくても高齢ならそれであきらめるだろうからだ。
と、今日はすべてにネガティブな感じ。
父は大汗をかき、呼吸も荒かった。
誤嚥性肺炎か、打撲のせいか。
診察予定だったので9時までまったが、父は眠ったまま。
脳外科で呼吸のことをいうと、背中の打撲のせいかもという。
そして、整形でみてもらってください。
整形にいき、せなかの傷と打撲をみせて、
レントゲンを6枚。
やり直しを2枚。
父はへとへとで眠ったまま。
結局はっきりとした骨折はなかったものの、ひびはあるかもという。
ただ、うでも動かせるのでシップでいいだろうって。
固定するとうでも動かなくなるからって。確かに。
首は老齢のためほねのあいだは詰まっていた。
ま、これもシップのみ。
いつもの大学病院、土曜のせいでとっても静かだった。
昼寝から起きた父、
トイレにいって戻ってくると、またベットへ行こうとする。
「少し起きたら?」
だまって、ソファにすわったが、なにかかしこまっている。
「なんで呼び出すんですか?」
まっすぐ前を見て言う。
「なあに?」
「なにか用事でもあるんですか?」
父に名前をきくと、他人に聞かれたようにです、ますで答える。
娘の名前まで言えた。住所も電話番号も。
「娘のつれあいは?」
「。。。。。」
「孫の名前は?」
「。。。。。」
「私はだれ?」
「副所長の・・」
「え?」
「職員」
「掃除の係りの・・」
胸が痛くなった。
夫は、機嫌が悪く、「だからどうしろっていうんだよ、しかたないだろう」
涙がとまらなかった。
娘が来て「だ~れだ?」
と聞くと、「りょうこ」
あれ、
「じゃ、この人は?」と娘が指差すと。
「見たことある」
「ゆみこだよ、」
「嫁にいったのに、なんでいるんだ」
「ずっといっしょに住んでるんだよ」と娘。
「そうか」
そのあとは、自分が起こされている理由がないといいはるので、
娘が絵の道具を持ってきて、書かせた。
私が泣きながら夕飯の準備をしている30分間で
船の絵を書き上げていた。
ごはんの前に
「私は誰?」
ときくと、「ゆみこ」
「忘れないでね」
と言っておいた。
猫が4匹いることは覚えていた。
痴呆と診断されてからいろんなことがあったし、
もっとぼけていることもあったけど、
私のことをわすれることはなかった。
母がいつも「ゆみこのいうとおりにしなさいよ」っていってたし、
父も「うん」といっていた。
ショックが大きすぎて、母の病院へいく気力がなくなってしまい、
娘にいってもらった。
母は母できょう一日、水ものめず、つらかったらしい。
完全看護といってもこんなもんなんだ。いつものことだが。
地域のホームドクターは必要だ。
私の子供のころは、先生が家まで来てくれてた。
父を時間をみて地元の先生のところで見てもらうことにした。
ちょっとした熱や、そんなことでも助かる。
今日一日、こどもたちが赤ちゃんだったころ、急の発熱や、
そんなことで一喜一憂して病院へかけつけたころと
同じだと思った。
全国の病院に老人科を作るべきだ。
内科や脳や、耳鼻科、眼科、歯、整形、ひとつずつ回されなくても
すべての可能性を疑ってくれる医師と連携してくれる医師たちと
こころのあったかい看護師と、臨機応変な事務方と・・・
休む場所と・・・・
あ~病院つくろうかなぁ~~~
救急センターに電話をいれたところ、決まり文句で断られた。
断る理由はいわれなくてもわかる。
高齢・痴呆だ。
要するに、助けても助けなくても高齢ならそれであきらめるだろうからだ。
と、今日はすべてにネガティブな感じ。
父は大汗をかき、呼吸も荒かった。
誤嚥性肺炎か、打撲のせいか。
診察予定だったので9時までまったが、父は眠ったまま。
脳外科で呼吸のことをいうと、背中の打撲のせいかもという。
そして、整形でみてもらってください。
整形にいき、せなかの傷と打撲をみせて、
レントゲンを6枚。
やり直しを2枚。
父はへとへとで眠ったまま。
結局はっきりとした骨折はなかったものの、ひびはあるかもという。
ただ、うでも動かせるのでシップでいいだろうって。
固定するとうでも動かなくなるからって。確かに。
首は老齢のためほねのあいだは詰まっていた。
ま、これもシップのみ。
いつもの大学病院、土曜のせいでとっても静かだった。
昼寝から起きた父、
トイレにいって戻ってくると、またベットへ行こうとする。
「少し起きたら?」
だまって、ソファにすわったが、なにかかしこまっている。
「なんで呼び出すんですか?」
まっすぐ前を見て言う。
「なあに?」
「なにか用事でもあるんですか?」
父に名前をきくと、他人に聞かれたようにです、ますで答える。
娘の名前まで言えた。住所も電話番号も。
「娘のつれあいは?」
「。。。。。」
「孫の名前は?」
「。。。。。」
「私はだれ?」
「副所長の・・」
「え?」
「職員」
「掃除の係りの・・」
胸が痛くなった。
夫は、機嫌が悪く、「だからどうしろっていうんだよ、しかたないだろう」
涙がとまらなかった。
娘が来て「だ~れだ?」
と聞くと、「りょうこ」
あれ、
「じゃ、この人は?」と娘が指差すと。
「見たことある」
「ゆみこだよ、」
「嫁にいったのに、なんでいるんだ」
「ずっといっしょに住んでるんだよ」と娘。
「そうか」
そのあとは、自分が起こされている理由がないといいはるので、
娘が絵の道具を持ってきて、書かせた。
私が泣きながら夕飯の準備をしている30分間で
船の絵を書き上げていた。
ごはんの前に
「私は誰?」
ときくと、「ゆみこ」
「忘れないでね」
と言っておいた。
猫が4匹いることは覚えていた。
痴呆と診断されてからいろんなことがあったし、
もっとぼけていることもあったけど、
私のことをわすれることはなかった。
母がいつも「ゆみこのいうとおりにしなさいよ」っていってたし、
父も「うん」といっていた。
ショックが大きすぎて、母の病院へいく気力がなくなってしまい、
娘にいってもらった。
母は母できょう一日、水ものめず、つらかったらしい。
完全看護といってもこんなもんなんだ。いつものことだが。
地域のホームドクターは必要だ。
私の子供のころは、先生が家まで来てくれてた。
父を時間をみて地元の先生のところで見てもらうことにした。
ちょっとした熱や、そんなことでも助かる。
今日一日、こどもたちが赤ちゃんだったころ、急の発熱や、
そんなことで一喜一憂して病院へかけつけたころと
同じだと思った。
全国の病院に老人科を作るべきだ。
内科や脳や、耳鼻科、眼科、歯、整形、ひとつずつ回されなくても
すべての可能性を疑ってくれる医師と連携してくれる医師たちと
こころのあったかい看護師と、臨機応変な事務方と・・・
休む場所と・・・・
あ~病院つくろうかなぁ~~~
by ygracia
| 2004-11-06 21:47
| 幻視