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老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


by ygracia
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母の思い

かめこさんのブログを見て、涙があふれてしまった。
お母様の「しのう」という言葉にお母様の深い悲しみや思いがあるっていうことを
書いてらした。。
それを見て、父の死ぬ間際の顔と様子と、その数日間のことが
突然、鮮明によみがえって来た。

呼吸困難になって、なんとかがんばってもらおうと、娘と私(ほとんど半狂乱)とナースで、父に「スーーハーースーーハーー、お父さん、ゆっくり息を大きく吸って!」と
声をかけた。
娘があわてる私を制して、「おじいちゃん、ゆっくり、ゆっくりだよ、大きく!大きく!」と言った時、父が「うん」とうなづいた。。。

その日の数時間前、父の手をとり、ベット柵にわたしはあごをのっけて、
父としゃべっていた。
「お父さん、退院したら、何食べたい?」
むにゃむにゃと、声にならない言葉を父が言い返した。
「ハンバーグかな、お父さん、好きだもんね」
うんうんと、額を冷やすタオルが落ちそうになりながら、父がうなづいた。
「うなぎもいいね」
むにゃむにゃとまた何か言った。
私の手をしっかり握り返しながら、その目は笑っていた。。。

体を動かすことが大好きだった父、動けなくなってきたころ、必死で
体を起こそうともがいていた。

今振り返ってみると、父が気落ちしていたのは、認知症と診断されるころ、
何もする気力がないといつも言っていた。
介護の中間期に、一度、何やっても無駄だ、生きている意味がないと
いったことがあった。
そのとき、私は叱咤激励してしまった。

でもだんだんに、父は生きることに積極的になっていた。
治療をすればよくなるんだと、信じているようだった。

そして最期まで、生きようとがんばった。
最期の最期に、ニヤッと笑って、眠りにおちた。。。

自分がいろんなことが出来なくなってくる時って、何を思うのだろう。
私も足が悪くなり、思うように歩けなくなった時、この世の終りがきたような
気になった。
人の世話にはぜったいなりたくない。
早く死んでしまってもいいとも思った。

母は今、迎えにくることのない、娘(私)を待って、何をおもっているのだろう。

帰宅して夜中のトイレ介助に「すみませんねえ」という母は、何を思っているのだろう。


深い悲しみがあるけれど、父の見せてくれた生きる姿をぜったいに忘れてはいけないのだ、
わたしのばあいは。。。。

(2008−6−4)
by ygracia | 2008-07-10 20:18 | 母の記録