2005年 10月 20日 ( 2 )

生きること

フリータイムを楽しもうと思ったのは大間違い。
父のなかなかでないうんうんに付き合って、午前中はつぶれ、
家事に追われ、デイから帰った母の摘便をするはめになり、
その手で夕食を作る気にもなれなくなった。
でもほか弁も食べれなくなった父のためにはつくらねばならないんだけど・・・

人間は食べて寝て○そ、して生きる。
父のヒゲソリをするたびに、生きてんだとも思うし、
母の食欲みて生きてんだとも思う。
じゃ、私は?
食べる暇も寝る暇もなくふたりが生きることを支えているんだ。
そんな過酷な生活なのに、私の体脂肪は減らないし、
寿司を口に入れれば、ウマいとも思うし、ビールも最高と思う。
私を支えているのは何なんだろう。
愚痴も言う夫も彼なりに支えてくれてはいるんだ。

でも心の声はだれにも聞こえない。

鬱状態のときは、私も消えてしまえばいい、あとはどうにでも
すればいいと思うこともある。

昔、亡くなった夫の母と徹夜で話をした。
最初で最後のふたりだけの時間だった。
私はかなり変わってたので、夫となる彼不在で
義父と義母と対面し、入籍した。
その夜、義母と一生分の話をした。
その後、3年くらい会えなくなり、次にあったときは
母は動脈瘤破裂で命は取りとめたものの、別人になっていた。

義母はずっと着物で通したきりりとした細身の人だった。
ころころした私に義父はやせる話をした。
義母は「あなたをやせさせるようなことになったら、息子がわるいのね」
と言った。
息子二人の母で頑固で心を開かない義父のもとで、
母は長いこと寂しかったと言った。
すでに兄嫁がいたが、義母は私の出る幕ではないのでと言った。
義母の趣味の手芸をたくさん、見せられて、とりとめない話と
そして、義母はずっと長い一生のなかで悔いても悔やみきれないことが
あると話だした。

義母の妹は医大に通い、優秀な人だったという。
もうすぐ卒業というときに、人生に終止符を打った。
姉である義母はうすうす、妹の恋愛に気がついていたと言った。
でも妹が負の方向へ引っ張られていくのをどうすることもできなかったと
義母は母というより、一人の女性として、悲しく語った。
私も義母の語りに、そのあったことのない夫の伯母を
思い浮かべ、胸が痛くなった。
残されたものの、心の痛みは永遠に消えないと言った。
そんな話を誰にもしたことはないのに、私の顔みたら話したくなったって。
あと、考え込む性格の家系かもしれないしね、と笑った。

あの義母ももういない。
子供をおんぶして、車を運転し、ずいぶん病院まで通ったけど、
あの晩の義母に会うことは二度となかった。

生きることってなんだろう。

富田順子さんの介護の本を(失礼、題名今忘れた)を読んだけど、
ヘルパー向けであるが、家族はそれを実行するのは無理だと思った。
気力も体力も使い果たしている私には理想の世界でしかない。
父母ふたりの人生のペースにあわせるなんて到底できないよ。
それでも生きることをサポートし続ける。
父母がわたしを育てたように・・・

生きよう、生きよう、みんな生きよう。
アスタマニャーナと最後まで言い続けて、生きよう。生きよう。
あーあ。
私壊れてますか?

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by ygracia | 2005-10-20 18:51 | 雑感

性格

母をデイに送り出し、ほっとした。
今日は素直に出かけてくれたので良かった、母も外へ行きたかったのかも。
週2回にしてみようかな、無理かな。

父はすこぶる元気。
今日は寝ないで起きてる。
それもうれしいけど、実際は見守り必要なので
私は気が抜けない。

鬱になりそうなくらい、つらい日々もあるけど、
すぐ復活してまたがんばってしまう自分を観察する。
だけど、答えなんてどこにもない。
もっと鷹揚に考えればけっこう楽なんだろうけど、
介護は自分が一番と思っているから踏み切れないんだ。
そこを目をつぶれば、選択肢はいっぱいあるのに。
母や父が不快な思いや、がまんを強いられるのを
考えただけでこっちが辛くなる。

若いときに好きなようにさせてもらった。
父はふつうの人生を私に期待していたらしく、
留学が決まっていたのにお見合い写真を持ってきたっけ。
東大卒だったような。
母はいろいろな思いがあるけど、世界を見て来いと言ってくれた。
なにか期待があったのかも。
でも通訳試験もうけず、ガイド試験もうけず、
結局父母は私の真意はわからずに悩んだだろう。
私はというと、世界の空気をすって、好き勝手していた。
自由気ままな青春だった。
父母のすねをしゃぶりつくして、現在にいたるわけだ。
今は夫のすねにかじりつき、ぶら下がっている。
母は私を苦労なんかさせたくないといって大事に大事に育ててきた。
だから経済観念は育ってない。
でも精神面はとんでもなくスパルタで、すごかった。
もと赤十字看護婦で戦中は看護婦教育をしてきた母。
厳しかった。
このごろ思うのは私はもしかするとアダルトチルドレンかもということ。
だけど、人の世話をするのは好きだ。

父と母の性格、そして介護する私の性格。
いろんなものが混濁して現在がある。
だから、介護は100人100色、万人万色ということになる。

父も寝てるし、せっかくのフリータイムなので
DVDでもみよっと。
深く考えるのはやめよっと。

神戸屋キッチンのかぼちゃパイ。
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by ygracia | 2005-10-20 10:49 | 雑感

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


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