2008年 07月 10日 ( 5 )

母と糖尿病

母は40代後半から糖尿病と診断されて、インスリン注射ももう30年くらいしていると思う。
ところが、この2ケ月ほど、血糖値が下がり気味で、先月は低血糖値が10回以もでた。
本人は具合は悪くないというが、いつも寝てるからわからないのだろう。
今回の受診で、昼のインスリンをやめることになった。
インスリンの量もどんどん減ってきてたけど、こういうことってあるのだろうか。
血液検査で、インスリンを自前でだせてるかどうかのホルモンをチェック、来月
わかる。

食事も以前ほど、食べなくなったみたいだ。
気分もいまいち乗らないのか、寝てばかりというか、暇そう。
それでも、イベントに一回でて、お誕生日のケーキをいただき、ジャズの
生演奏を楽しむことができたそうだ。

家にいた3日間は、多少,混乱。
ここどこだ、といってた。
面白かったのは、夜11時に最終のトイレに行こうというと、行かないというので
寝たままオムツをつけることにすると、おそらく頭は眠っていると思うのだが、
「いいんだよ、朝まで取り替えなくて。濡れてもだいじょうぶだから、夜中はいいよ」
この話し方が、元気だったころの母そのものなのだ。
とても普通に話してくれる。

パジャマをおろすのもあげるのも、すいっと、腰を浮かせてくれる。
昼間は覚醒しててもこんなに腰をすいとあげてはくれないのに。

自分がどこにいるのか、何をするのか、あまりわからないらしい。

いろいろ話しかけると、まるでわかったように返事してくれるのに、
5分後、私はまた同じ話をしなければならない。

ちまたで話題の「New フェルガード」を購入してみたが、運悪く
インスリン、血糖値の観察をしなければならないから、今月は
スタート出来ない。

飲んでもらって、前向きになればいいけど、また攻撃的になったら
ほんとうに困る。

まず私が飲んでみようか。
糖尿コントロールにもいいらしいので。

今日のホームで、スタッフが私に出してくれるお茶を用意してると
おばあちゃまが、「あら、お客様、だれ、だれ」ととっても楽しそうに
お話ししていた。
かわいいおばあちゃまだ。
by ygracia | 2008-07-10 20:20 | 母の記録 | Comments(6)

懇談会

母のホームで先日懇談会があった。
ありきたりの入居者数とか、クレームとか事故とかの報告のあと、
ひとりづつ、意見を言う。
顔ぶれはほとんど毎回同じだと思う。

それでもみな、思いはひとつで、父母、祖父母、叔父叔母が、快適に過ごして
もらいたくていろいろ意見を言う。会社側も真摯に聞いてくれる。
団塊の世代だから、結構意見活発。それと社会での経験があるから
かなり良い意見も出る。会社もぼーっとしてられない。

私が同意見だったのが、洗濯の話。
洗濯していただいている服のシミがとれていないから、家に持ち帰って
普通に洗ったら、きれいに取れた。洗濯は業者に依頼しているのかって。
お母様を入居させている男性の方だった。
確かに、母のも洗濯されているはずが、食べ物が固まったまま返ってきている。

母が汚いまま、いるのはほんとうにいやだ。
皆さん、同じ気持ちだと思う。
濡れタオルで、ささっとその場で拭いてしまえば、食べこぼしも
きれいになるのに、母のカーディガンはいつもガビがビしている。
こんど主任に話してみなくては。

転倒が多いことも気になったが、現状のスタッフ数で手がいっぱい。
その上、法律の改正で、入居者ひとりひとりの生活状況を手書きで
記入しなければならないという、なんとも現場にふさわしくない
作業がたいへんなのだ。
だから、いつも机に向かって下向いてたり、たったまま、何か書き込んでいる姿が
増えたのだとわかった。
そんなことより、父や母の話し相手になってあげてほしいのに。

このホームは、偶然が重なって、私が信頼した場所の系列だった。
糖尿病のインスリン注射が介護士ができないため、最初のホームに
いられなくなり、看護スタッフの多い、今のところに移動した。
最初は不安だったけれど、介護長、主任、スタッフが、私と同じ目を
持っていてくれたので、ほんとうに安心してお願いできた。

母との思い出作りをもっともっと頑張らなければならないのに、
今の私には気力も体力もない。
でもいつか、母と過ごす時間のために、健康管理にがんばろうと思う。

母の記憶が今、わりといい。
私の来る日を覚えていて、「来なかった」と怒っていた。
私は足の具合が悪くていかなかったのだけど。

母のひきこもりはあいかわらずで、あまり笑顔がでないから、
心療内科などへの診察を考えるかと主任から話があった。
でも行っても、老人性鬱とか、名前をつけられて、処方がでるのは
わかっている。
糖尿のためにその薬も制限があるし、いま、飲んでいるものでいっぱいだ。

母の笑顔を戻すのは、家族と、そしてスタッフのなかに気に入った人が
できて、お話相手をしてくれること。


主任さんのことは大好きで、笑顔がでる。だからもっとそういう人が
増えてくれれば良いのだ。

でもいちばんは、家に帰ること。。。

心は痛い。。

(2008ー6-18)


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by ygracia | 2008-07-10 20:19 | 母の記録 | Comments(0)

母の思い

かめこさんのブログを見て、涙があふれてしまった。
お母様の「しのう」という言葉にお母様の深い悲しみや思いがあるっていうことを
書いてらした。。
それを見て、父の死ぬ間際の顔と様子と、その数日間のことが
突然、鮮明によみがえって来た。

呼吸困難になって、なんとかがんばってもらおうと、娘と私(ほとんど半狂乱)とナースで、父に「スーーハーースーーハーー、お父さん、ゆっくり息を大きく吸って!」と
声をかけた。
娘があわてる私を制して、「おじいちゃん、ゆっくり、ゆっくりだよ、大きく!大きく!」と言った時、父が「うん」とうなづいた。。。

その日の数時間前、父の手をとり、ベット柵にわたしはあごをのっけて、
父としゃべっていた。
「お父さん、退院したら、何食べたい?」
むにゃむにゃと、声にならない言葉を父が言い返した。
「ハンバーグかな、お父さん、好きだもんね」
うんうんと、額を冷やすタオルが落ちそうになりながら、父がうなづいた。
「うなぎもいいね」
むにゃむにゃとまた何か言った。
私の手をしっかり握り返しながら、その目は笑っていた。。。

体を動かすことが大好きだった父、動けなくなってきたころ、必死で
体を起こそうともがいていた。

今振り返ってみると、父が気落ちしていたのは、認知症と診断されるころ、
何もする気力がないといつも言っていた。
介護の中間期に、一度、何やっても無駄だ、生きている意味がないと
いったことがあった。
そのとき、私は叱咤激励してしまった。

でもだんだんに、父は生きることに積極的になっていた。
治療をすればよくなるんだと、信じているようだった。

そして最期まで、生きようとがんばった。
最期の最期に、ニヤッと笑って、眠りにおちた。。。

自分がいろんなことが出来なくなってくる時って、何を思うのだろう。
私も足が悪くなり、思うように歩けなくなった時、この世の終りがきたような
気になった。
人の世話にはぜったいなりたくない。
早く死んでしまってもいいとも思った。

母は今、迎えにくることのない、娘(私)を待って、何をおもっているのだろう。

帰宅して夜中のトイレ介助に「すみませんねえ」という母は、何を思っているのだろう。


深い悲しみがあるけれど、父の見せてくれた生きる姿をぜったいに忘れてはいけないのだ、
わたしのばあいは。。。。

(2008−6−4)
by ygracia | 2008-07-10 20:18 | 母の記録 | Comments(0)

母の変化

母がこのホームに移動して、母娘で慣れることに気を取られていて、
母の体にまであまり目をやることがなかった。

ときどき、ドキッとする事故があったけど、体の機能に関しては
あまり見てなかった。

母の体を洗っていて、左足のふくらはぎがずいぶん、細くなっていることに
気がついた。
前は細くても筋肉が動いていたと思うのだが、今はあまり動いていない。
股関節骨折と大腿骨骨折をしている
右足の方がしっかりしているみたいだ。

あれ、書いていて、骨折が左だったか右だったか。。。
あとでチェックしておかなくちゃ、情けない。。

ホームで軽い体操時間などがあるけれど、母はいっさい参加しない。
声かけしたり、強制?的に連れて行ってもだめみたいだ。
私が行って、いっしょに参加してもいいのだけど、むずかしい。

昨日、のんびりした母なのに、わがままと、昔のあの恐い顔を
見せた。
私のほうがトラウマになっている。
部屋の電気をすべて消せというのだ。
夕方になって、電気を全て消したら真っ暗でしょうというと
いいんだという。
もうすぐ夕飯だからといっても、消せという。
消さないというと、いいわよ、自分で消すからといい
あの、昔の鬼の顔になり、私をにらみつけた。

アルツハイマーと診断され、昼夜なく声を張り上げ怒っていたときの
母を思い出してしまった。


でも今回は、夕飯のお寿司で、すっかり忘れたように、呑気な様子で
おいしいおいしいといって食べてくれた。


一日に何回ものトイレと、オムツ処理と、陰洗と、シャワーと
三度の食事と、夜中に母が何回も寝たり起きたりすることで、
私も眠れず、参った。

そして今朝は母をホームに戻す日。
病院にいくからと支度をして、連れ出す。
車にのってから、どこへいくのかと聞いて来たけど聞こえないふりをしてしまった。
憮然とした母。

ホームの建物を見まわす母。
担当のAさんがきたら、にこっとした。


不穏になったらどうしようとそればかり考えていたけど。ほっとした。


書類手続きなどしてから母のところにいくと、部屋で昼食。
娘がついていたのに、もういらないという。
介助して食べさせたら、ほとんど完食。


娘が言った。
私が部屋を出て行くと
「あの人はR子のおかあさんなの?」

。。。。。。



前回は問題なかったのに、今回はやっぱり姪のY子ということになってしまった。


低気圧の来る日は母の目のまわりは茶色いような赤いようなクマになる。
顔色も良くなくなる。

今日は母の顔色はだんだんに良くなった。


義兄が言ったことがある。
「老人ホームにあづけるっていったって、結局は姥捨て山さ」

この言葉に私はものすごく傷ついた。

親不孝な私なのだろうか。
悲しみは消えることはない。。

(2008−5−29)
by ygracia | 2008-07-10 20:16 | 母の記録 | Comments(0)

母との日々は

母が家に帰って来ている。
ホームを出る時、看護師さんに「お世話になりました」と言った。
昨日からそう言っていたらしい。
私と娘が行くと、「そこの服を全部もってかないと」とタンスを指差した。
ちょうどトイレタイムだったので部屋から出てそのまま、玄関に降りること
ができた。
車にのってからも「荷物もった?時計は?」と何回も聞いた。

家に行く途中で内科診察のために大学病院に寄る。
おそらく、このあたりで、母は今回も数日滞在だと理解していると思う。
今月は私の足腰の具合の都合で、ホームから病院に直行したので
あと2日間はお出かけせずに家にいられるから、のんびりした気分に
なってくれるのでは。。と思うのだけど。

母の頭の中は計り知れない。
覚えていると思うと、理解していない。
理解していないと思うと覚えているし、理解している。

一応アルツハイマーと診断されているけれど、
その後の大きな変化がないのが不思議。
また神経内科の診察をと思ったけれど、よくよく考えてみれば
何も不都合なことがない。
お世話してくれている場所でも困ったこともない。
糖尿病の母には処方できる薬も限られてしまうから、不穏なことがないかぎり、
今のままで穏やかに生活してくれればいいと考えた。
だからアルツハイマーでもなんでもいい。
母は母なのだから。
(2008−5−28)
by ygracia | 2008-07-10 20:15 | 母の記録 | Comments(0)

老いた父と母と-いつまでもあなたがたの一人娘でいたい~


by ygracia
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